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心地よく身分相応に生きる

 心身が健康なうちに、自分が大事にしている考え方を整理する。きっと業務で死んでいた過去の自分が見たら「できないわ」と思うかもしれない。それでもなお、追求すべきあり方として備忘録までに。

割り切る、等身大を切り取る力

自分の等身大を見失ってはいけない。「限りを知る」こと。たとえば在宅勤務は覆らないのだから、与えられた環境でどうポジティブに生きるかを考えた方がいい。マスクがドラッグストアになくたってオンラインにはあるかもしれないし、モニターがなくて作業しづらいなら支出調整してお金を捻出すればいい、猫背が辛いならストレッチすればいいし、運動不足ならすればいい。

大抵の原因と解決策の距離は近いのに、脳が手足を動かすまでの時間的距離は遠い。自分の頭で考えた実現性の高い解決策があるなら、やれば解決、満足というシンプルな話。等身大でできることをすればいい。この構造を理解しながら無意識に実践できると、そんなに気負いせずにスイスイと生きられる。「それが難しいから〜」という反論がすぐに出てくるが、本質的なことの多くは「簡潔で普遍的な綺麗事」に収斂されるものだと思う。しかし簡潔と簡易は別物だ。「感謝しよう」「大切な人を愛そう」聖書で聞くような言葉だって、当たり前でしかない。だけどできない。ではなぜできないか、心と脳と身体がバラバラだから。もっとそれぞれの距離が近ければ、シンプルに生きられるはず。等身大を見誤るから、世の中の問題を不必要な量で背負うし、出来もしない解決策に飲み込まれる。自分が担う問題を絞り、割り切って対処していったほうがいい。

流れに乗ってみる

流れを味方につけること。わざわざ逆流しようとしても疲れるだけ。(もちろん逆流して、渦を起こし、抗うべき場面も。特に自分の美学を汚されそうになったときは必ず主張する必要がある。)イメージは上昇気流を生み出す空気抵抗。漂流ではなく航海。逆風は自分が向きを変えたら浮力に変わるかもしれないし、水流に乗れば推進力が生まれるかもしれない。

そしてある意味、場当たり的思考も残したって良いわけだ。日々刻々と状況が変化する中で、短いスパン・環境だけでも自分が幸せでいられる最適な生き方を意識するだけでだいぶ違う。その選択の連続が、点から線となり、中長期で見た時に継続的な幸せになる。禅語の「而今(自分が今生きているの一瞬だけ)」に共感する。知識として世の中の動向・潮流、有識者の未来予測は把握しながらも、遠景として見据える程度に留めること。大事なのは、足元のレールを自分が納得できる形で少しづつ延ばしていくこと。

可処分エネルギーの調整

自分の可処分エネルギー量と性質を理解してコントロールするのも大事。(ここで言うエネルギーは身体ではなく精神・気)エネルギーの量は人によって大差ないけれど、消費に緩急をつける意識は高低あると思う。少し意味合いは違うがドラゴンボールに出てくる“戦闘力のコントロール”がイメージに近い。要はずっと負荷が高い状態を保つのではなく、平時は押さえ、瞬間的に集中するという。たとえば情報摂取も薄く長くやると疲れる。ましてや質が悪い内容だったら。ずっと同じ報道や話題をメディアで浴び続けたら気が滅入るはず。だから自分が信頼できる媒体から定点で情報を得る仕組みを組んでしまった方がいい。

エネルギーの「性質」というのは、どうすれば限られたエネルギーが増幅・回復するかであり、言い方を変えれば燃費のようなもの。当然、自分の好きなことはやり続けても疲れにくいし、嫌いなことに向き合い続けるとすぐにエネルギーは枯渇する。不思議なことに、自分が幸せだと思えるものにエネルギーを費やしているときは、消費しながら生産するような循環が生まれる感覚に陥る。こうした燃費の性質を理解して、エネルギー総量をどう配分するかを考えるべきだと思う。


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