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貧困と欲望と妊娠と人生 燕は戻ってこない 桐野夏生

代理母と、代理出産を依頼した夫婦の物語である。
代理母となる29歳のリキ、代理出産を依頼する40代と30代の夫婦・草桶基と悠子の三人の視点で描かれている。

燕は戻ってこない桐野夏生

代理出産はこの世の中にすでに存在している「現実」のものである。あくまで日本では代理出産が認められていないというだけで、海外を経由すれば依頼は可能だ。

本の紹介文には「予言的ディストピア」と書かれているが、果たしてこの物語は本当に「予言」なのだろうか?

現代社会の不安や焦燥、格差、困窮、人間の本能や尽きせぬ欲望について三者三様の視点で描かれたこの物語は、日本ではまだ現実としては起こり得ないことかもしれない。
が、公になっていないだけで「子宮ビジネス」はこの日本でも起きている気がしてしまった。

サロゲートマザーになりませんか?

作中ではサロゲートマザーでの代理出産のことを「貧しい女の人が子宮を売る」「ビジネス」「プロジェクト」とダイレクトに表現している。

条件の合う若い女性に、それ相応のお金を払って子供を産んでもらう。
代理母は金銭的な不安が解消され、依頼者は念願の赤ちゃんを手に入れ、双方幸せな人生を送ることができるーー。
代理出産とは、そんな単純な話だろうか。

リキが紹介されるサロゲートマザーとは、自分の卵子で人工授精を行う代理出産で、夫婦の妻には一切血縁関係のない子供が生まれる方法である。
夫婦の受精卵を別な女性に移す場合は、ホストマザーと呼ばれる。この場合は代理母と子供に血縁関係は生まれない。

代理母仲介業者の青沼はリキにサロゲートマザーを「人助け」「素晴らしいこと」と表現するが、リキはその言葉に違和感を覚える。美辞麗句で中身が見えないようにラッピングしているが、実際のところそんな単純なものではない、と自身でも分かっているのである。
出産したという事実は体にも記憶にも刻み込まれる。妊婦としての十月十日だけではなく、その後の人生まで変わる出来事なのだ。

他人の人生を、自分の人生のために買うということ。
自分の人生を、他人の人生のために売るということ。

迷い、悩み、考え抜いた結果、リキと草桶夫妻は青沼の元で無事「契約」を結ぶことになる。

しかしリキの妊娠は、思いもよらない事態に発展していく。

貧しい女の人の子宮を買う

あまりにも衝撃的な単語で、読んでいて辛くなった。
しかし、それは現実の一面である。

彼らは安易にその決断を下したのではない。
契約を結ぶまでも、結んだ後も、妊娠中も、そして出産後も、ずっとずっと葛藤し続けている。他人からしたら勝手に見えるかも知れない、しかし当事者にとっては「自分勝手」も自分の人生である。自分の人生を他人ではなく自分で決めるという当たり前のことが一番難しいということに気付かされる。

リキと草桶夫妻を取り巻く人間関係は、まるで現代社会の縮図だ。
裕福な資産家の草桶家と、29歳で手取り14万円の生活をしているリキ。
特にリキとテルは「女性の貧困」として社会問題に取り上げられそうなくらい生きるのに精一杯な状況だ。困窮の原因が本人にないリキの人生と、原因は分かっていても断ち切ることができないテルの人生。彼女たちの生き方を自己責任だと責めることが果たしてできるだろうか。必死に生きる彼女たちの選択を、他人が「間違っている」と指摘する権利はどこにもない。
有り余るカネを使い、自分の夢を叶えようとする草桶夫妻の苦悩を知った上で、彼らの決断を批判することができるだろうか。悠子の辛い不妊治療を想像すると、彼女にとっての希望はこれしかなかったのだろうとも思う。彼女もまた、女性として生まれてきた上での孤独な苦しみと共に生きているのである。

生活に困窮し、1000万円で代理母になる決意をするリキ。
一度は子供を諦めたものの、自分の遺伝子を残したいという本能に駆られた基。
苦しい不妊治療を経て血縁関係がない子供を育てる気持ちを固めるが、リキの妊娠が判明したのちに心が揺れ始める悠子。

この三人の心の揺れ動きや自己主張が当事者目線で描かれているのが面白い。
全員、もがきながら答えを探している。

作中で変わり者として描かれる悠子の友人・りりこが実は一番まともな感覚の持ち主で、リキ・基・悠子のある意味ぶっ飛んだ思考の持ち主たちの視点で語られる物語の世界に、読者的視点をもたらす橋渡し的な役割を担っていたのかもしれない。
彼女自身はセックスも男も嫌いな、春画を書く芸術家である。アセクシャルで出産希望のない彼女は、代理出産に関わりのない立場から彼らを見守っている。

自分の人生

何人もの本能と願望と欲望と人生が混ざり合い関わり合い、物語の序盤ではどことなく自信なさげだったリキは、徐々に意志の強い堂々とした女性へと変化していく。

強くなっていく彼女の言動に胸がスッとする反面、その自信は環境の変化による一時的なものなのではないかと不安にもなる。
代理出産の契約金が手に入ったことによる経済的余裕、お腹に子供を宿した「母」としての強さ、妊娠出産を経た経験からくる自信。
しかし、これらはサロゲートマザーとしての役割があって手に入ったものである。サロゲートマザーは出産後、速やかに子供を手放さなければいけない。

果たして代理母と依頼者夫妻の関係、はどうなるのだろうか。


読了後、それぞれの視点で考えてみると、誰も彼もがものすごく自分勝手に生きているように感じられた。
なんて傲慢で我儘なんだと思う反面、人の気持ちの流れとはこういうものであると納得もできる。自分自身も側から見れば、風が吹けば折れてしまうほどの弱い意志を積み重ねて生きてきているように見えるのだろう。

彼らの選択がどのような結末を迎えるのか、是非自身の目で確かめて欲しい。

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