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丁寧に心を探して、ずれた自分を戻したら、本当の「音」で話せるようになったよ。

私はずっと、上滑り(うわすべり)の感覚を味わっていました。中学生の頃がピークかな。

心が急いている感じ。

いつも無理して心を持ちあげて、テンション高めに振るまってみたり

早い会話のテンポに飲まれて、遅れないようにと反射的に、心にもない返事を平気で口にして、追いついてない心を置き去りにしていました。

心の中では、風車がからからと回るみたいに、常にどこか空回りする自分を感じながら

半音ぐらい、上にずれた自分を生きていました。


常に自分を偽っているような、

中身のない空っぽな自分を演じているような「むなしさ」をいつも感じていました。

時に暴力的に、私の中には黒い嵐が吹き荒れて、それは人への恨みだったり、自分への憎みだったりしました。

しかし、荒れ狂った暴風雨には全力で蓋をして、何事もない顔をして生きていました。


今から思うと、

自分を抑えつける圧力が大きすぎて、それほどの真っ黒な感情を生み出してしまったのかなと思います。

身体の内側は真っ黒で、自分はなんて卑劣で残忍な悪に染まった存在なんだと、思っていました。

だからこそ、こんな自分を人に見られてはいけないと、隠すことに必死でした。


今のわたしは、

普通を生きています。

会話を振られても、回転がおそいので、中身を飲みこむまで、ゆっくりと間があきます。

時折、相手がしゃべっていることが、何をいっているのか分からないこともよくあります。理解が追いつかないか、根本的な興味がもてないのです。

面白くない冗談を言われても、フフンと笑えずに、何を言っているんだろう、とだまりこんでしまうこともあります。

会話のテンポについていけなかったり、うまい返しができない自分を残念に思うこともありますが

私はそんなわたしが、きらいではありません。


Youtubeを、撮れるようになりました。

ことばを探しながら、丁寧にえらんで喋るので、編集しているこちらが冗長に思うくらい、ゆっくりです。

だけど、そんな私が好きです。


本音を話すときの私は、かつて思っていたよりもずっと静かで、低くて、身体に響いてくる振動が、とても心地いいです。

私は、わたしと一致しているんだなあ。とその声を聞いて思っています。


本当の私は、

私が思っていたよりも

ずっと暗っぽしくて、湿り気があって、おびえてばかりで、深みがあって、愛情があって、素直さのある、やさしい人間でした。

その反面、冷酷で、思いやりがなくて、自分勝手に突っ走りがちで、思い込みが強くて、不器用で

人の痛みに敏感で、弱くて、度胸があって、怠けたがりの人間でした。


私は、私を生きることで

それまでロボットのように心を殺していた分、うまくいっていた機械的な仕事や労働が、できなくなってしまいました。

正直に生きる、生きたい、と思うようになってから。自分に嘘がつけないようになってから。

それは外面的には、ダメな方に傾いたのかもしれません。私はもっともしかしたら、大きな何かを成し遂げることができたのかもしれません。


でも、あの空虚さの中で、人の愛も知らずに生きていたら、きっと人を見下して、自分の弱さにも本当の強さにも、気づかないままだったでしょう。

それは何だか、悲しいです。

心の感覚を受けとめる練習を、これまで積んできたからこそ

こうして文章をつむぐことや、ほんとうの『音』で声を発することの心地よさを

「これが本当にやりたいんだ」という感覚をかんじながら、歩むことができています。


正しいことかはわかりません。

極端にどちらかにしか振れない私は、まったく「偽って続けること」ができなくなってしまったので。

社会人としては、成功者になりたい人としては、ダメかも。忍耐力がないから。


だけど、ずっと豊かになった。

なんのわだかまりもない心でそこに存在して、だからこそ素直な心で笑いながら、人とのつながりを感じられる。

自分自身とのつながりを感じられる。

これは、昔の自分に会えたら真っ先に伝えてあげたいことで、きっと一番、かつての私がのどから手が出るほど、切望していたことだと思う。


これは、成功した。と言ってもいいんじゃないかと思う。自分てきに。自分の人生的に。

まだまだ途中だけど、成し得てないことも、落ち込んでふさぐこともたくさんあるけれど

それでもきっと、いい感じに進んでいるんだろうという気がする。

それを信じてこれからも、歩んでいきたいと思う。


そして誰もが、自分がいいと思える方向へ、進んでいるんだと思います。


おわり。



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