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魂の在処

 死後の世界を見たことはありませんが、仕事柄目前にいる人の「死ぬ瞬間」に立ち会うことは何度もあります。現代日本では基本的に「心臓死」を死の定義としていますが、「心停止」後に蘇生処置によって生還する人もいます。

 「死ぬ瞬間」を目前にすると、ある瞬間を境にヒトがモノになるのが分かります。私は幼少期からいわゆる霊感のある体質でしたから、余計にそれを感じるのかもしれませんが、ともかく瞬間的に「ああ、亡くなった」と感じるのです。そして不思議なことに、それは心臓が止まる瞬間と同時ではありません。ズレがあるんです。その方によってタイミングが異なります。ほとんどは心臓の止まるタイミングの前後ですが、心臓がとまってしばらくしてからフッと変わる方もいれば、数分〜数時間前には「亡くなっている」と感じられる方もいます。ご家族の到着を待っているときなど、心臓が止まっても「まだそこにいる」ような方もいらっしゃいますね。

 人の身体を生きている人間たらしめる要素を「魂」と定義するなら、確かに魂は存在します。特に亡くなってすぐは、身体の中にいなくても近くにいることが多いですね。それがこの世界なのか、位相のずれた並行世界なのか、この世なのかあの世なのか分かりませんが、とにかくその人の「魂」のようなものは、まだ近くにいます。

 これは完全に主観ですが、魂には距離とか場所とか時間とか、あまり関係ないように見えます。

 2011年3月のことでした。

 あの痛ましい大災害の後、私は深く深く心を痛めて体調を崩し、布団に臥せていました。
 そこで夢を見ました。

 みたことのない木造建築の1階、六畳くらいの部屋にいます。部屋には私ひとりです。初めは小さく雑音のような気配を感じ、次第にそれが強くなっていきます。やがてそれがゴウゴウと水の流れる音と気付きます。
 瞬間、部屋の全ての壁面と天井と地下から、

 ドドドドド ドドドドドドドドド

 と、人が壁を叩く音が轟きました。5人や10人の気配ではありません。40か50人、いやそれ以上のヒトの気配が、部屋の全ての方角から近付いてきて壁を叩き続けます。その気配が私の左上の方に収束し集中し、鈍色で球形の塊になって回り始めました。私は恐怖で動けず、目を閉じます。

 そこで起きました。

 しかし、私の左上にある気配は未だ消えていませんでした。私は申し訳なく思いました。当時の私は幾らかの霊感があるだけで、専門的な修練も積んでいなければ供養する方法も曖昧だったからです。しかし呼んでしまったものは私の責任です。なにもしないわけにはいかないと思い、うろ覚えだった「鎮魂祝詞(みたましづめののりと)を唱えました。すると、徐々に気配が離散していくのがわかりました。

 翌朝、布団の下が大量の水で濡れていました。

 雨も降っていませんし、布団の上は全く濡れていません。布団の下から左側に、水溜りが出来ていました。これはあの水かもしれないと、丁寧に拭いてから清め、供養しました。

 不思議と体調不良は改善していました。

 魂は存在します。ただ私たちの「科学の目」がまだそれを「観測」出来ていないだけで、確かにそこに存在しています。

 「人の死」に近い仕事をしておりますので、私は毎日、すべての生命に対して畏敬の念をもって、供養を続けています。

 本日、水の光景が急に脳裏にフラッシュバックしたため、このような記事を書くに至りました。

 非科学的な文章に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。亡くなられた命の御冥福を祈り、すべての命の幸せを願い、結びとさせていただきます。

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