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"歴史" 系 note まとめ

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2022年7月の記事一覧

「モノ」を教材にした社会科授業のアイデア

どうもlargehillです。 最近スッキリしない天気かなと思えば、めちゃくちゃ暑い日になったりと天気が安定しないですよね~。 「戻り梅雨」なんて言葉も出てきて「梅雨って戻って来れるんだ(笑)」と思っている今日この頃です。 今回はここ最近思いついた、いくつかの社会科授業のアイデアを書いてみます! 特に小学校社会科を想定しています。 テーマは「モノ」を教材とすること。 現役の先生方、先生になりたい方、良かったらご活用ください☺ なぜ小学校社会科?小学校の社会科では人々の「努

『古代インドの衣装』を出版しました。

古代インドが好きすぎて、『古代インドの衣装』という本を作ってしまった……気付いたら100ページになってた……というお話。 『古代インドの衣装』The Costumes of Ancient India古代インドが大好きなオタクがツイッターで古代インドのことを呟いていると、いろんな方から質問がきます。特に多いのが衣装についてです。 確かに古代インドの衣装を調べようとしても、ネットではほとんど引っかからない。じゃあ本で調べようにも、そもそも古代インドのどの時代なのかとか、もとに

【第66回】GHQは日本人を「洗脳」したのか?

「ウォー・ギルト・プログラム」とは何か?1945年9月2日、ポツダム宣言を受諾した日本は、戦艦ミズーリ艦上で「降伏文書」に調印した。「連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)」は、日本政府に対して、翌日の9月3日午前10時に「三布告」を公表すると通告した。 この「三布告」とは、「第1号:立法・行政・司法の三権をGHQの管理下に置き、日本の公用語を英語とする」「第2号:GHQの布告に違反する者は軍事裁判にかける」「第3号:日本円を廃し軍票(B円)を日本の法定通貨とする」という内

パンクラス・ロワイエ(鍵盤楽器音楽の歴史、第141回)

1733年10月1日、パリのパレ・ロワイヤルで王立音楽アカデミーによってラモーの《イポリートとアリシ》が上演されました。 このラモー50歳にして初のヒット作は大変な反響を呼び、賛否両論が巻き起こります。フランスの流儀に反している、要するにリュリ風でない、ということが問題視されたわけですが、実際リュリじゃないんだから当然でしょう。それぐらいフランスの劇場は保守的だったわけです。 ちなみに同じ年にペルゴレージの《奥様女中》が初演されています。これが20年ほど後にパリで上演され

東京の水はどうやって飲めるようになってるのか?

先日、東京都の持っている巨大な水源林にいってきた。 デジタル技術も都市を支えるインフラの一つになりたい。その際、水道局、下水道局、港湾局、交通局などの既存の都市インフラの先輩部局の在り方が参考になるのではと思いインフラ系部門の現場に時間をみては行って話をきいてる。 これが毎回、滅法、面白い。今回は水道局の奥多摩から山梨県甲州市にかかる水源林に行ってきた。以前に行った金町浄水場と併せて都市インフラのおもしろさをみなさんが知る機会もないと思うのでメモをもとにまとめてみた。(間違い

歴史のことばNo.14 「歴史の産物が一夜にして無に帰すことはなく、(…)他に選択の余地がない与件となる。」 松井透『世界市場の形成』

本邦におけるグローバル・ヒストリー研究の先駆け 「世界史」を「グローバル・ヒストリー」と呼びかえる動きは、まだ一般に普及しているとはいえないだろう。    さしあたって「グローバル・ヒストリー」は、世界史を見る上での新しいアプローチであるとみればいい。  たとえば、歴史学者の水島司氏は、つぎのような特徴を列挙している(『グローバル・ヒストリー入門』山川出版社、2010年、2-4頁)。 ・「あつかう時間の長さ」 ・「対象となるテーマの幅広さ、空間の広さ」 ・「従来の歴史叙

2-3-5-2. 唐の滅亡と東部ユーラシアの変動

遣唐使はなぜ停止されたのだろうか? 894年、菅原道真の建議により、遣唐使が廃止された。 唐の治安の悪化や海上交易の危険などが主な理由だ。 だが、そのほかにも原因がある。 古来、仏僧は遣唐使に随行し、中国に入ることが多かった。 しかしこの円珍という僧が唐に入ったのは、新羅(しらぎ)の商人の船に乗ってのことだった。5年の歳月を経て、858年には唐の商船で帰国する。 要するに、唐はかつてのように公的な使節ではなく、商人による往来も認めるようになったのだ。 平安貴族の愛

2-3-5-1. 隋唐帝国と東部ユーラシア 新科目「世界史探究」をよむ

突厥の台頭 中央ユーラシアのうち、以下の地図中のステップにあたる地域が、遊牧民の活動エリアである。 6世紀のなかばになると、トルコ系の遊牧民の突厥(とっけつ)が、柔然をたおし、モンゴル高原の覇者となった。 突厥は、西方ではエフタルを滅ぼし、タリム盆地やアム川・シル川流域のオアシス都市と協力関係を結び、広大な遊牧帝国を築いた。 商業民のソグド人の交易活動が拡大したのも、突厥が中央ユーラシア大陸広域に秩序をもたらしたおかげである。 また、西方のビザンツ帝国とも外交関係を結ん

『文明論之概略』を読む 【福沢諭吉の文明論】

政治学者の丸山眞男さんの著作に『「文明論之概略」を読む』があります。 これは、岩波文庫版の『文明論之概略』をテキストとして、二十数回にわたって開かれた読書会での講義を基にしてまとめられたものです。 明治八年、福澤が41才の時に著された『文明論之概略』は、人文科学・社会科学・自然科学という全ての分野に通用する基本書です。 慶應大学を受験しようと思っているのであれば、学部の如何を問わず、全ての受験生が読んでおくべき必読の教養書と言えるでしょう。 卷之一第三章「文明の本旨を論ず」

5/20 ゴールデンカムイ聖地巡礼旅in網走監獄

5/20 Fri 4泊5日北海道旅行4日目 最果ての監獄、博物館 網走監獄へ!ついにやって来てしまいました。開拓の村同様、こちらもゴールデンカムイの世界観を存分に堪能できる聖地オブ聖地です☝️☝️ それでは今回も例に漏れず、パンフレットの番号順にご紹介しようかと思います。 1: 鏡橋 ▼これは二代目の鏡橋を再現したもの 3: 正門 ▼両脇の小部屋は受付と面会に来た家族の待合室になっていました。マキシム機関銃は置いてないよ。 4: 庁舎 監獄の歴史や建物の見所を紹介

2-3-3. 東南アジア文明の展開 新科目「世界史探究」をよむ

東南アジア史はむずかしい? 東南アジアの歴史を学ぶのは、むずかしい。 それは、東南アジアが、われわれのうちにある、さまざまな常識の通用しない地域であるからだ。 逆に言えば、東南アジアを学ぶには、われわれがあたりまえだと思っている見方、考え方を、いったん揺さぶる必要がある。 いくつか具体的にみていこう。 都市や国家はどんなところにできるのか? たとえば、これまでわれわれは、世界各地にさまざまなタイプの国家が登場してきたのを見てきた。 国家とは、ひとことでいえば、ある

事実を書くことの冷たさ(森鷗外について)

 我々は平素から、大小さまざまな悲劇に遭遇し、また見聞する。しかし、些少な事件はもちろんのこと、いかなる社会の重大な悲劇も、放っておけばいずれは風化して忘れ去られてしまう。人間はそれが大きな悲劇であればあるほど、このような記憶の風化に抗し、事象を埋もれさせまいとする。そして歴史が書かれなければならない必然へと転化する。すなわち歴史というものは、ある人々にとっては忘れて欲しい汚点であっても、社会が「教訓」の名のもとに思い起こすことを強いるもので、見方によっては残酷なものでもある

佐賀の群像に思いを馳せて

佐賀公園内には、「稀代の名君」と呼ばれる佐賀藩十代 藩主の鍋島直正公の立派な銅像が建てられていた。 直正公は藩校「弘道館」での教育、医学校や病院の設立、 種痘の普及、反射炉の設立などの功績を残している。 佐賀藩は、幕末から明治にかけて多くの優秀な人材を 輩出し、中でも「佐賀の七賢人」と呼ばれる人たちは、 時代の先駆けとなっている。佐賀の群像に思い馳せる。 佐賀城の鯱の門は天保9年(1838年)に完成したもので 門構えに2階を設置した櫓門形式となっている。この 門は明治7年

ただ歴史への愛を語りたい。

先日、かの超偉大なnoteアカウント、『みんなの世界史』さんのマガジンに僕のnoteを追加していただき、そのマガジンを見てみることにしました。 「"歴史"系noteまとめ」というもので、800本以上のnoteたちが集まっていて、まぁ面白い記事が多く、僕自身スキの持ち手を全消費させながら夢中で読み漁ってしまいました。 ということで! ちょっと僕自身の歴史への愛を語りつつ、今回は面白い記事の紹介と感想、というパートの比重を多めにやっていきたいと思います。 いやぁ、歴史って