学校という永遠③高校時代のいじめとまさかの逆転劇

最終章、高校時代のガチ話に突入。

学生たちの夏休み最終日に、うまくはいかなかった学校生活を振り返りつつも今のんきに生きられている報告をするシリーズです。
幼稚園から中学校までの話は、興味がある方のみ以前の投稿をご覧ください。




中学3年のポケベル事件で机に「死ね」と書かれ同級生に思い入れがなくなった私は、「自分の道は自分で決めよう」と自然と決意し、学校でたったひとりだけ志願した高校に入学した。
とはいえ進路がどうとか難しい話はバカなためあまり重視せず、端的に言えば「かわいく楽しい女子高生ライフ」を送れそうな学校を探していた。
なんとなく一生同じ場所で働くことはないと感じていたので、いま進路のために学校を決めなくてもあとからどうにでもなるだろうと思っていたふしがある。
気に入らない無地の制服で3年間を送るより、好きな制服で3年間を送れたほうが良いと考えていた。
…オシャレが好きなんですよ。

県立なのに制服が私立のようにかわいく、そして修学旅行が沖縄というエンタメ感の強い学校を見つけ、見学へ出かけた。
学校説明の案内も親切で、見かけた先輩たちは悲壮感がなくみんな楽しそうだった。

その高校は偏差値がそこまで良くない、たぶん今はもっと悪くなっていると思う高校だったが、かわいい制服でその場所に通う自分を想像するとワクワクした。
その学校の偏差値よりも幸い頭は良かったので、希望を伝えるだけでいつのまにか推薦入学の座を獲得した。
受験を経験していない、ぬるい自分をたまに恥じるけれど、とにかくなんだか楽勝な雰囲気で高校に入学し、新しい私への一歩を踏み出した。



入学時にランダムに割り当てられたクラス、1年7組がその予感を早々に打ち砕いてしまった。

なんというか、相当に「やばい」クラスのくじを引き当ててしまったようだ。


スタートはいい感じだった。
近くの席になった美人のKちゃんと仲良くなり、放課後にふたりで遊ぶほどになった。
Kちゃんは快活ですぐに他のクラスメイトとも打ち解け、「中学からウチら目立ってました」のオーラを発する女子ともあっという間に仲良くなった。
なんとなくの流れで、Kちゃんが所属したその「ウチらイケてます」系キラキラグループに私も属することになった。
当時の教室内ヒエラルキーでいえば1番か2番のグループに属していたと言える。
私を除いて7人組のそのグループは目立った男子とも仲が良く、みんなでゲームセンターに寄り道したりアイスを食べたりした。
ちなみにKちゃんはすぐにその男子グループの中のオラオラ系強い男子、カズヤと付き合っていた。
実はカズヤくんも、後にこのモンスタークラスの闇に巻き込まれることになるのだが まずはそれ以前の話を進める。


6月のある日からすべてが一変した。


教室のドアを開けていつものようにKちゃんに話しかけたつもりだったが、なぜか返事が返ってこなかった。

よく意味がわからないのでグループ内の他の子にも話しかけてみたが、みんな一言二言のてきとうな言葉と苦笑いを残し、その場を去ってしまった。


ある日を境に誰も喋ってくれなくなった。
俗に言う「集団無視」「シカト」「ハブ」ってやつである。


特になにか変わったことをしでかした覚えはなかった。いや、もしかしたら私がいつのまにか「なにか」をして相手を不快にさせていた可能性もあるのかもしれないが、仮にそうだとしても、やっぱりずるい。


7人全員が、私が教室に戻ったり近くに行こうとするだけで
なにかを囁き、遠くへ行ってしまう。


他のグループの女の子たちに話しかけても、反応は鈍かった。
私がいたグループはヒエラルキー上位。
統率力があるグループだったから、そのほかの階層にいたグループを手なずけるのは容易かった。それがますます厄介だった。

あの人たちに言われたから、あなたと喋ってはいけない。

そんなことをはっきり言ってくれる人はいなかったけれど、そういうことだったと思う。


一日で状況を理解し絶望したが、さてこれからどうしようか、どうやってこの状況を打破しようか、とも考えていた。

ちなみに、なぜか男子はほとんどの人がその「ゲーム」に参加していなかった。
話しかけてもふつうに返答があったり、今まで通り話してくれる人が多かったが
それもまた、女子が持っているなにかのスイッチに拍車をかけたのかもしれない。

男子と常に一緒に行動するわけにもいかないので、私は結局常にひとりだった。


休み時間に過ごす人もいなくつらい思いをしたが、それより体育の時間や英語の発音練習で「二人一組でペアになってください」の瞬間がいちばんキツかった。

こそこそ話しながら、わざと「ひとりのわたし」を笑う元グループメンバー。
体育の先生が困って、近くにいる女の子に声をかけなさいなんて言う。火に油だった。
どうやり過ごしたかは正直あまり覚えていないが、そんな状況でも学校をサボったことは一度もなかった。


小学1年で感じた「親には学校でうまくいっていないことを知られたくなかった」気持ちが再来したのもあるが、なんというか、ここで登校拒否になるのは勿体ないと単純に思った。
入学したばかりの高校、憧れだった高校生活。
2ヶ月であきらめるわけにはいかなかった。


ただひとつ、遠足の日だけは休んでしまった。
クラスメイトと「仲間として」過ごす時間が100パーセントの日をひとりで無事にこなせる勇気はなかったため、たぶん、具合が悪いと親に相談し自宅で過ごした。
自宅のほうがよっぽど遠足のようなパラダイスだったが、翌日はきちんと学校へ行った。
みんなは楽しそうに遠足の話をしていた。
教科書の同じ場所を何度も読むふりをした。


1ヶ月ほど経ってもあまり状況は変わらず、おそらく自身のヒエラルキーも最下層になった。
かわいい制服の意味もなく、日中はやり過ごしたり死にたいと思うだけの日々を送った。
ただしその頃になると「飽きる」クラスメイトもいたのか、あまり目立たなかったけれども知性が残る秀才タイプの女子たちは徐々に会話を再開してくれるようになった。
それがだいぶ光になってくれたとも言えるけれど、私を当時生かしてくれたいちばんの味方たちは
実は「教室の外」に存在していた。



中学3年からインターネットの世界にのめり込んでいた私は、高校に入学しても教室以外の「居場所」を持っていた。

好きなミュージシャンのファンが集う掲示板にいろいろなことを書き込んでいるうちに「学生の常連さん」と認識された。
仲間と夜中じゅう(テレホーダイという、ネット定額の時間帯を活用していた)、時には朝までチャットをし、タイピングを自己流で上達させ、信頼できる大人たちのサポートのもと、オフ会にも参加していた。
お酒は飲まなかった。私はまじめだった。


学校から帰ると秒でパソコンを立ち上げ、中にいる友達たちにメッセージを送る。
ネット世界ももちろん人間の集まりなので多少の摩擦は生まれるのだが、ひとりを攻撃して陥れるような人は当時はほとんどいなかった。
「ともだち」はどんどん増え、たまに同年代の女の子も顔を見せるようになり、ネットが学校みたいになった。

ただ、
私は学校で無視をされています。
そんな告白をする勇気はなかったから、もしかしたら当時の仲間たちは私が昼間の高校生活を満喫しているリア充学生と思っていたかもしれない。

でも、20年ほど前にそこまでネットにのめり込んでいた人たちだ。もしかしたらみんな、日中なにかが満たされず、夜な夜な分厚いパソコンのスイッチを押していたのかもしれない。
だからこそ、その世界に惹かれたのだろうか。


あまりに居心地が良いためついには自分でてきとうなホームページを作り、自分が管理人となった掲示板にともだちを招待した。
ホームページの中に「詩」のコーナーを作り、学校であった嫌な出来事はフィクション混じりの詩にすることにした。
創作が捗り、あの子たちのムカつく態度はシャボン玉だとかオルゴールだとか玩具箱とかいうまあまあ厨二なタイトルの詩として調理された。とりわけ椎名林檎をリスペクトしていた。
自作のポエム・超初期作品の『シャボン玉』。
タイトルの由来はたしか、
消えたいと思ったから、ですね。


クラスを捨てて、ネットで生きた。
そのおかげで心が死なずに済んだ。


クラスを捨てた私は「これ以上失うものはない」と、学校でもある作戦を考え実行した。

名付けて「他のクラスに友達を作ろう」作戦だ。うーむ、そのまんまですね。


めちゃくちゃ安易な発想だけれど、なんとこれが大正解だった。


時期が「入学してたった数ヶ月」だったことも良かったのかもしれない。
他のクラスに自分の状況を知られすぎていたら、この作戦は失敗した可能性もある。



休み時間にだれかと会うふりをして「他のクラスパトロール」をすると、同じミュージシャンが好きな女の子だったり、音楽が好きな男の子だったり、同じ原宿系のファッション雑誌を読んでいたり。
とにかく趣味が近そうな楽しい子たちがびっくりするぐらいにたくさん存在していた。

そして同じように、
自分のクラスではあまり友達がいないけれども、こいつとは音楽の話が合うんだよ。
そんな理由で他のクラスを避難場所にしている子もいることを知った。


「違う人たち」ばかりでは、ないのかもしれない。


クラスは全部で8組。
単純に、自分のクラスの何倍もの高校生が教室の外にはいる。
その全員と「合わない」とは、ちょっと考えられなかった。
その勘が当たっていてほんとうによかったし、ラッキーだったと思う。


休み時間は他のクラスパトロールで増えた楽しい友人たちと過ごすようになった。


でも少し騙している気分になって、
「実は私、クラスの女子と全然うまくいってなくてさー。ハブりみたいな。」
勇気を出しつつ軽いノリで告白をした。


「そうなの?あー7組か。あのクラス評判悪いよ」
「ってか、誰がいるかも知らないけど。みんななにしてるん?」

入学してから大して時間は経っていないのに、なぜか私のいたクラスは外部での評価を落としていた。
7組はそのクラスでこそ無敵状態の人が多いけれど、そういえば教室以外で7組の子たちを見かけたことは滅多になかった。
ずっとクラスだけが世界で、他のクラスのだれかとは世界を広げようとしなかったのかもしれない。


「気にしないで、うちらと一緒にいればいいじゃん」
「クラスにも遊びにいくよ」
教室の外は天使や女神たちであふれていた。


クラスでひとりでも、「外」から友達が遊びに来てくれる。
廊下ですれ違うと声をかけてくれる。
しかも他のクラスの彼女たちは、みんなグループ争いで言うと上位層に近い存在だった。
スカートは短く、運動部で同性に人気の高い女の子や個性を突き進む怖いもの無しの女の子たちが臆せずに私に話しかけてきた。


クラスの女子たちは、狐につままれたような顔でその光景を見ていた。


そして、いつのまにか無視がなくなっていた。




「そのヘアゴムかわいいね」

音楽室でだったか、急に元グループのメンバーが笑顔で話しかけてきた。
私はクラスを捨てているためてきとうに返事をしたが、なぜか他のメンバーも私に近寄ってくる。


意味がわからないので曖昧に答えていたが、いつのまにかKちゃんもときどき私のそばに寄ってくるようになった。



数ヶ月で完全に無視はなくなり、私が主役のゲームは終わりを告げた。


マジでなんだったのだろう。


この子は実は友達が多い、それも目立つタイプと仲が良い、
仲良くしておけば「メリットがありそうだ」。
きっとそんな理由で無視の指示が中止されたのだと思う。
強い者に憧れるKちゃんたちの考えそうなことだった。



それ以降はいじめもなく「私は」平和に過ごしたが、そのクラスはやはり頭がおかしく、
私がターゲットから外れた後も、標的を変えてゲームを続けていた。


ヒエラルキー制度をガン無視し、「なぜだかいろいろ免除されたポジション」を獲得した私は、元いた7人組のグループには帰らずにさまざまなタイプのクラスメイトと適度な距離感で付き合うようにしていた。
それでも、やはり学校に来なくなってしまった子たちはいた。
無視に加担することはなかったから、少なくとも彼女たちは「だれとも会話できない」状態にはならなかったはずだけれど、味方がたった数人ではくじけてしまう人もいる。
私も首謀者であるだれかに「無視をやめろ」と言えるほどの正義は悲しいことに備えていなかった。


私を無視していたはずの子が、自分が無視をされたら「一瞬で登校拒否になる」のはなんだか違うな、ずるいな、とは思ってしまった。



そして、みんなが忘れかけていたであろう、冒頭のオラオラ系カズヤ。
なんとカズヤもある日、無視ゲームのターゲットになってしまったのだった。
ほんとうにどんな異常クラスだよ。


教室に入り、目立つ仲間の男友達に声をかけるも誰も答えない。
自分がされたことと同じ光景が起こっていた。


Kちゃんとは既に別れていた。
「あいつキモい」と話している声を聞いた。


幸いカズヤは愛すべきバカで、「そんなはずはない」と、オラオラの威厳を保ったままいろんな人に話しかけていた。
私は無視ゲームに加担しない属性なのでカズヤともふつうに話をしたが、元々そこまで仲も良くないのであまり救えなかったかもしれない。


カズヤは愛すべきバカで強く、私と同様やっぱり他のクラスやクラスのゲームに飽きた人たちと新しい友達の輪を作成し、威厳を保ったまま一部の無視を受け入れていた。
カズヤもまた、その後はなんとなく存在を免除された。



ちなみにそのとき担任はなにをしていたのかと言うと、
なんと先生も例の目立つ生徒たちから結構あからさまに嫌われ、手を焼き、教室での威厳はゼロに近かった。
ほんとうにあのクラス………


担任(最初あたりに出てきた体育の先生とは別人)はタレ目の男性で、生徒たちから当時流行っていたタレ目のキャラクターのあだ名をつけられていた。
具体的に助けてくれたことも、助けを求めたことも申し訳ないが無かったけれども、おそらく先生は、私がターゲットになった頃の「様子のおかしさ」に気がついていた。



「お前は同年代のみんなより精神年齢が高くて大人だから、もしかしたら感覚が合わずに大変なこともあるかもしれない」

「なにかあったら相談してくれ」


そうなんですか。大丈夫です、なにもないです、と答えた気がしている。

嘘をついてごめんなさい。
そして、他の子たちが無視をされているときにも報告しないでごめんなさい。


クラスを捨てた、免除されたなんて言っているけれど、
きっと、心の底では「またターゲットになる」ことに怯えていたのだろう。


正直「大人がいてもこじれるだけだよ」と思う問題は多かったけれど、話をしたり聞いたりするだけでも糸口が見つかることもあると、今では思っている。


精神年齢が大人と言われたことは初めてだった。
15歳だった私は、どんな空気を纏っていたのだろう。
びっくりしたし、なんとなく少し誇らしくなった。





漫画のような逆転劇の結末をそろそろ話そう。



あの7人組のだれかがいじめの首謀者なことは分かっていたが、その「だれか」になかなか辿り着けなかった。
ふつうに考えればKちゃんかなと思いつつ、でもなんとなく引っかかる部分があった。それでは簡単すぎる、というか。
しかし数ヶ月後にその人物があっさりと判明するのであった。


2年生になり、1年7組のクラスメイトたちと完全に「離れる」ことができた。
どうやらタレ目の担任や他の先生が配慮し、私やそれまでクラスで異質扱いされた子たちを「7組の人間がいないクラス」に配置してくれたようだった。
先生公認で、他のクラスの仲の良い友達たちと同じクラスになることができた。とてもありがたいと思う。


そこから先はパラダイス。いま振り返ってみても、高校2年生のクラスがいちばん楽しく、いちばん女子高生していた。
同じ高校とは思えないほどその教室では無視のひとつも生まれず、放課後に仲良くロッテリアのシェーキを飲んでテスト終了を祝った。
同じクラスに彼氏もできた。ちょっとくりぃむしちゅー、時代に合わせて言えば海砂利水魚の有田に似ていた。
有田とはさほど長くならずに別れてしまったけれど、ああ、これが学生生活か。と、どんなイベントにもうっとりしていたように思う。
沖縄の修学旅行もバッチリ満喫した。写真はどれも無邪気に笑っていた。
小学生の頃の絶望的な表情は、もうどこにもなかった。



元・7組の人たちのことは素でどうでもよくなっていたが、ある日、妙な噂が私のクラスにもやってきた。


「7組だったIちゃん、学校辞めたらしいよ。」

「え?なんで」


Iちゃんとは、例の7人組だった目立つグループの一員。グループの中では比較的温和で影響力も弱いポジションだと思っていた。


「なんか、みんなに無視されたみたいで。これまでIちゃんに言われてやってたけどもう無理だ、とか」

「んん?ちょっと待って。」

私は混乱した。


「無視された?Iちゃんに“言われた”?」




あのゲームの首謀者はなんと、温和に見えていたIちゃんだったのだ。
美人で勝気でカズヤを「キモい」と言ったKちゃんではなかった。
KちゃんもなぜかIちゃんには逆らえず、彼女を崇拝していた。あくまで当時は。
もしかしたらIちゃんがカズヤをキモいと評価したことで、Kちゃんの中でカズヤの価値が急降下、大暴落したのかもしれない。


Iちゃんは2年生になると7組以上の友達も影響力も持てず、加えて絆が固いはずの元7組グループから「一斉に無視をされた」。

きっと教室でも、新しくなった教室の外、元7組の中にも居場所がなくなってしまった。
皮肉だけれど、壮大なブーメランとはまさしくこのようなことを指すのだろう。


あんなにたくさんの人をゲームのコマに使ったIちゃんは、自分がターゲットになった瞬間、ぽきりと折れた。
コマは実際は薄い紙で出来たぺらぺらなものだった。

その噂がほんとうなら、政権が崩れた3日ほどで学校に来なくなり、そのまま学校を辞めてしまったという。


そんな漫画みたいなことがあるのかと当時も思った。


やっぱり、集団行動しかできない人は潰しが効かないな。

不謹慎だが、その経験が私をいっそう「ひとりでもちゃんと立てる人になりたい」と思わせてくれた。
そして、やさしい人になれたらいい、とも。



Kちゃんからは、2年生のある時期に手紙をもらった。

「あのときのことを後悔している。本当にごめんなさい」


そう書かれていたが、私はそれ以上心を開くことをしなかった。



実は今でもKちゃんは私のSNSを覗きにくる。20年近く経った今でも、だ。
インスタで勝手に私をフォローし、ストーリーを見ていることを知っているが、もちろん私はフォローしていない。
危害を加える目的はなさそうなので黙認しているが、正直あまりいい気はしない。


私は私が好きな人たちと、私をほんとうに必要としてくれている人たちとふつうに生きているから。
だからもう、気にしないで。



Iちゃんのその後は知らない。
でも、生きていてくれたらいいな、と思う。



こんなに語ることはあるけれど、
すべて、たった数年間だったり数ヶ月間の出来事なんだよな。


学校は永遠じゃない。


今は永遠のように思えるかもしれないけれど、
それはほんの一瞬。


参考になるかはわからない。
でも、こんなおかしな逞しさと、熱中できる趣味と「教室の外」を知ったおかげで、死にそうだったひとりの15歳は、無事に30代になりました。



「会社は肉体的疲労だから耐えられるって話。社会人のほうがラクだと果てしなく思う。」



これは20代の頃の私の言葉なのだが、
ほんとうに私にとってはこれがすべて。
社会人でいじめとか、もしあってもめちゃくちゃその会社のレベルが低いだけだし、さっさと辞めて問題ない。
そんな世界もあるんだよ。



あ、もちろん、両親の存在も大きかったです。

いちばんしんどかった時期、横断歩道を前に「この赤信号を渡れば、明日から学校に行かなくてもいい」とぼんやり考えたことがあった。
でも、少し後にこの発想がよぎった。


「いや、親が悲しむからやめよう。」

「学校のことをなにも話してないのにいきなり死んだら、絶対一生悲しむし分からなくて苦しむよな。」


前言撤回し、生き延びる策を考えた。
そう思えることができたのは救いだった。


だれかのため、なにかのため。


その発想になんとかしてたどり着ければ、みんな命を終わらせることを思い留めてくれるだろうか。
親とうまくいっていない人なら、連載漫画の続きを読みたい、だって大いにありだと思う。
とにかく続きがあることを、味方や同志がたくさんいることを知ってほしい。


教室の中が異常なら、とにかく教室の外をよく見て、観察してほしい。


ほんとうに味方がいなかったら学校を休んでも、転校しても、或いは辞めてもいいと思う。
ただ学校生活自体に未練があるのなら、辞めない選択をすこしでも回避できるといいな、とも思っている。

嵐は収まる。手はひとつじゃない。
私はラッキーだった部類かもしれないけれど、

とにかく、生きてくれよ。



つらい思いをしたことのあるすべての人が、
穏やかに眠り、軽やかに目覚められる世界になるといいな。
おやすみなさい。またあした。


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