#287 世界を核戦争から救った男

核軍縮が進む現代において、核戦争による終末論はいささかリアリティを失っている。

しかし、かつてはリアリティを持って核戦争が恐れられていた時代があった。

冷戦の緊張がピークに達していた1983年9月26日深夜、ソ連ではアメリカ軍が核ミサイルを発射したとの警報が発令された。

その当時、核ミサイル発射警告衛星による監視を担当していたスタニスラフ・ペトロフ氏は当時のようすを次のように語っている。

「最初に警報メッセージを見たとき、わたしは椅子から飛び上がりました。部下たちは皆混乱していたので、わたしは、パニックになってはならない、と大声で叫びました。自分の決定がさまざまな結果を招くだろうということはわかっていました」そのうちに2回目の警報が鳴った。「サイレンが再び鳴り始めました。メインスクリーンには、血のように赤い大きな文字で、『開始せよ』と表示されました。さらに4発のミサイルが発射されたという内容でした」

https://wired.jp/2017/09/27/officer-who-saved-the-world/

もしアメリカのミサイル発射が本当であれば、数十分以内にソ連に核ミサイルが着弾する。
そうなる前にソ連は反撃のミサイルを発射しなければならない。
上層部がアメリカのミサイル発射をしれば瞬時にその決断に迫られることになる。

しかし、ペトロフ氏は警報に違和感を感じていた。
アメリカが核兵器による先制攻撃を仕掛ける場合は、大規模な攻撃になると予測されていたものの、レーダーが捕捉したミサイルが数発と極端に少なかったからだ。

ペトロフ氏は、自分の直感を信じ、独自の判断で警報を黙殺した。
後に警報はシステムの誤作動であることが分かった。
もしペトロフ氏がソ連の上層部に警報のことを伝えていたとしたら、高確率で核戦争が勃発したと言われている。

歴史を振り返ってみれば英雄とも言えるペトロフ氏の判断だったが、警報黙殺の事実をしったソ連上層部はペトロフ氏を左遷。その後ペトロフ氏は軍を早期退職して静かな余生を送った。

このエピソードは長く公に語られることはなかった。
ソ連崩壊後、1998年に元ソ連将校の回顧録によってペトロフ氏のエピソードが語られ、世界に知れ渡ることになる。

ペトロフ氏の行動は国連からも称賛され、2006年に「核戦争を防いだ男」として表彰された。その後も、ドキュメンタリー映画が作成されるなど、ペトロフ氏のエピソードは注目を集めた。

その後、ペトロフ氏は2017年に77歳で静かに息を引き取った。
人類を救った英雄の死はロシア国内では報道されず、世界に広まったのは彼の死の数か月後だったという。

しかし、ペトロフ氏の勇気ある決断は、現代でも世界中で語り継がれている。

【目次】

【参考】


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