幸枝

主に読書記録。ぽつぽつと、浮かんでは消えてしまう言葉を書き留めてみようかと

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主に読書記録。ぽつぽつと、浮かんでは消えてしまう言葉を書き留めてみようかと

最近の記事

逆ソクラテス(伊坂幸太郎)

逆ソクラテス(伊坂幸太郎) ずっと楽しみにしていたこの本を読んだ後は、数日間他の本に手が出せなかったぐらい心が持っていかれました。 単行本を購入するとまずカバーを外してハードカバーの表紙を見るのが好きなんだけど、これはなんといっても装丁が素敵で。 読む前の段階で、すごい満たされた気持ちに。 紺色のハードカバーに山吹色のスピンの組み合わせにもうっとり。 装丁ってすごいなぁと、いつもほんとに思う。 (関係ないけれど、山吹色ってすごい名前) この本を表すとしたら、 「大人びた

    • ホワイトラビット(伊坂幸太郎)

      ホワイトラビット(伊坂幸太郎) 「絶対に、という言葉を、絶対に言うな」 この一行を目にしただけで、伊坂さんの作品を読んでるなぁというにやつきが生まれる。 泥棒兼探偵の黒澤が出てくる作品で、泥棒、誘拐犯、人質、警察等、様々な「肩書」を持つ人物が出てくる。 目に見えるものがすべてではないことを、教えてくれる 重たくではなく、軽やかに 正しいとか正しくないとかではない もやもやした日々のいまに、合う一冊でした。 「ありがたき幸せ」 「まだ、引き受けるとは言ってない」 「あ

      • ライオンのおやつ(小川糸)

        ライオンのおやつ(小川糸) 数年前から漠然と四国へ行きたい気持ちがあって、 この本を読んでさらに瀬戸内海をみにいきたい気持ちに。 「晴れの日が多い」ということが、四国に行ってみたい気持ちの中に含まれていたことを思い出す。 「雨の日が少ない」だけでなく「晴れの日が多い」ということ。 そこに行けば気持ちの良い青空と空気が待ってるんじゃないかと思うと、なんだかすごいなぁと、行ってみたいなぁと、思いを馳せていました。 穏やかな気候のイメージと、穏やかな物語が溶け合って、胸の中が

        • なかなか暮れない夏の夕暮れ(江國香織)

          なかなか暮れない夏の夕暮れ(江國香織) _____稔は短くこたえ、ロックを解除した。 自分が本に指をはさんだままであることに気づき、左手の人差し指だけが、まだあの場所にいるのだと考えてみる。 少しはやい夏を感じて、昨年の夏からあたためてしまった本を手にとる。 夏の描写とリンクしていた気候も、読み終わる頃には梅雨入りとともに涼しくなっていてすこしだけさみしい。 この本の主人公は常に本を読んでいて、本の世界で吹く風や匂いといった空気を感じるぐらい、本の世界にどっぷり入り込ん

        逆ソクラテス(伊坂幸太郎)

          神様(川上弘美)

          神様(川上弘美) 川上さんの本は「センセイの鞄」を最初に読んで、綺麗な言葉と文章にすっかり魅了されて、そこから本を読む頻度がぐっと上がったように思う。 他の本も読んでみると、川上さんの本はどちらかというと現実離れしたおとぎ話のような世界(川上さん曰く「うそ」の国)が多い。 だけど、そこは現実との境目が淡くて、気づけばそこにいるように、すっと連れて行ってくれる。 だから川上さんの「うそ」の国は、とても居心地が良い。 『星の光は昔の

          神様(川上弘美)

          さよならは小さい声で(松浦弥太郎)

          友人が松浦弥太郎さんの著書をよく読んでいたこともあり、気になってはじめて読んでみました。 このエッセイに出てくる人たちは、みんながみんなそれぞれの魅力を持ったすてきな人たちばかり。 すてきな人の周りには、すてきな人が自然と集まる気がする。 このところ特に眉間にシワを寄せて考えてばかりいた気がするので、ここからは軽やかに生きようと思いました。 考えることが生きること、と思う気持ちは変わらないけれど、重たくではなく軽やかに生きていき

          さよならは小さい声で(松浦弥太郎)

          流浪の月(凪良ゆう)

          甘くてひんやている。 半透明の氷砂糖みたいな声だった。 「そういうのとはちがうの。もっと切実に好きなの」 「セツジツって?」 「わたしがわたしでいるために、なくてはならないもの、みたいな」 わたしと文との関係を表す適切な、世間が納得する名前はなにもない。   事実と真実はちがう。 . . . . 冷たく蕩けるアイスのように、冷ややかに甘い。 痛くて、甘くて、吐きそうになる。 不快とは異なる不思議な気持ち。 名前のつけられない感情、名前をつけたくない感

          流浪の月(凪良ゆう)

          蛇を踏む(川上弘美)

          _「よくわからないけどね、しょわなくていいものをわざわざしょうことはないでしょ」 コスガさんはそういうが、どんなものをしょってどんなものをしょわなくていいのかしょってみるまでは分からないような気がした。しかしコスガさんには言わなかった。 あとがきで、川上さんは自分の書く小説のことを「うそばなし」と呼んでいるという。 _「うそ」の国は、「ほんと」の国のすぐそばにあって、ところどころには「ほんと」の国と重なっているぶぶんもあります。 「うそ」の国は、入口が狭くて、でも

          蛇を踏む(川上弘美)

          平凡(角田光代)

          平凡(角田光代) もうひとつ、月が笑う、こともなし、いつかの一歩、平凡、どこかべつのところで… 短編の作品それぞれ共通して、今の自分とは違う別の人生を考えている 「あの時ああしていれば、いなければ」 もうひとつの人生に憧れる場合もあれば、今を肯定するためにもうひとつの人生をあまり良く思い描かなかったり 生きていると大小様々な選択をひたすらすることになる 選択肢があるということは、良い結果だろうが悪い結果だろうが「選ばなかったもうひとつ」が生まれる

          平凡(角田光代)

          人間(又吉直樹)

          顔も名前も覚えているのに、自分が彼をなんと呼んでいたかが思い出せず不安になる。 _冒頭に出てくるこの文が、主人公の不器用さと繊細さを教えてくれる気がして。 あぁ、この主人公は考えなくてもいいことを考えて悩んでしまうんだろうなと、同じことを思ったことがある私はそれだけでこの本が好きになった。 「いまが尊いと最近おもうようになった。ほとんどの時間を忘れてしまうから。その過ぎていく時間に自分がなにを感じていたのかさえ忘れてしまうかもしれへん。それが、たまらなく怖くて、た

          人間(又吉直樹)

          マチネの終わりに(平野啓一郎)

          「花の姿を知らないまま眺めた蕾は、知ってからは、振り返った記憶の中で、もう同じ蕾じゃない。」 知ってしまえば 気づいてしまえば もう、同じように見ることはできない もう、同じように振る舞うことはできない 装うことはできたとしても 自分だけは、知っているということを知っている 新しいことを知る素晴らしさには どこか狭さのようなさみしさも伴うのかもしれない 映画にしろ音楽にしろ、自分の気持ちさえも "知らない" ということは、それだけ幸せなのかもしれない

          マチネの終わりに(平野啓一郎)

          さがしもの(角田光代)

          _さがしもの(角田光代) _だれか 毎日はせわしくなく彼を迎えにきて、手をふるまもなく背中を見せて消える。 生活になれなれしく肩を組まれることもなく、意味不明な理由で恋人に去られた経験もなく、何かに強くあこがれて、そのあこがれの強度によって、あこがれに近づけると信じていたころの自分。 _ミツザワ書店 この本にはこれだけの言葉があふれているのに、それはすべて他人の言葉で、ぼく自身の言葉といったら、何も言っていないのに等しい幼稚な一言でしかない、というような気分。 自

          さがしもの(角田光代)

          舟を編む(三浦しをん)

          _舟を編む(三浦しをんん) 少し前に友人との話題に上がったからなのか、 言葉について改めて考えているからなのか、 目についたので久しぶりに読んでみた。 辞書を編纂する仕事を通して、言葉についてより深く考えるこの物語は、出てくる言葉が丁寧で綺麗。 辞書好きにも、言葉好きにもたまらなく愛おしい物語。 子どもの頃、知らない言葉や漢字があると「辞書で引いてみなさい」と母に教えられていた。 そのせいか私は、物語を読むより辞書をめくるほうに興味を持つようになった。

          舟を編む(三浦しをん)

          火花(又吉直樹)

          _火花(又吉直樹) なんだかんだタイミングを逃し、この夏にようやく手にした火花。 熱海で火花(ドラマ)の撮影に出くわしたのが懐かしい。 ひどく昔に感じたけれど、2年ぐらいしか経ってないのか。 時の流れが私にははやすぎる。 器用そうではないからこそ、書ける物語なんだろうと思った。 不器用な性格と"人を笑わせたい"という気持ちとで上手くいかず苦しむ主人公の、生き辛さがそこにはあって。 それは本人の苦しみのようにも感じられて。 上手く立ち回れないからこそ、見える世界、書

          火花(又吉直樹)

          パレード(吉田修一)

          > パレード(吉田修一) 読み進めてこわくなっていく 読み直してさらにこわくなっていく 一番こわいのはやっぱり人間だと思う こわいもの見たさ…ではなくて 目を背けたいもの だからこそ、物語を通して見つめてみるのもいいのかもしれない。 そんな中、栞としてか挟まれていたイチョウの葉。 こんな小さな出会いがあるから、古本を買うのも悪くないなと思う。 そして、イチョウの葉が挟まってた頁はこんな文章だった。 「テレビをつければ罵り合い、新聞を開けば利権の奪

          パレード(吉田修一)

          キッチン(吉本ばなな)

          _キッチン(吉本ばなな) 私は二度とという言葉の持つ語感のおセンチさやこれからのことを限定する感じがあんまり好きじゃない。 でも、その時思いついた「二度と」のものすごい重さや暗さは忘れがたい迫力があった。 なんにせよ、言葉にしようとすると消えてしまう淡い感動を私は胸にしまう。 「まぁね、でも人生は本当にいっぺん絶望しないと、そこで本当に捨てられんないのは自分のどこなのかをわかんないと、本当に楽しいことがなにかわかんないうちに大っきくなっちゃうと思うの。あたしは、よ

          キッチン(吉本ばなな)