見出し画像

二人のシェフの記録|居酒屋×フレンチ

これはシェフ・中安工の私的な物語です。料理人となって27年、その証を映像として残しておきたかった。そのときの気持ちを書いてみました。そして、常盤司郎監督に撮っていただいた映像をご覧いただけると嬉しいです。

2022年の夏。フランス料理を辞めようと思った僕と、フランスで輝かしい経歴を残した友人・佐藤伸一。27年料理人を続けながらも互いに交わることのない人生の線が、一瞬でも交わるようなイベントをやってみたい。そう思ったことがきっかけだった。


STORY

フランスでの日々
伸ちゃん(佐藤伸一)と出会ったのは、僕が働いていたフランス・ブルターニュ地方のレストランだった。彼が食事に来て、何故かそのまま僕の部屋になだれ込み、酒を飲んだ。彼はどこか他のヤツとは違っていた。そのことは今でも強く覚えている。もっと話をしたい、聞きたいと思い、勢いのままに店を辞めた。そして彼を追うようにパリへ行き、気がつくと同居生活を始めていた。

一年後
僕の元にその連絡が届いたのは、一年ほど経ったときだった。
東京のフレンチレストランで料理長をやって欲しいのだという。迷いに迷ったが19歳で渡仏して7年、僕は帰国を決意した。
あのとき誰にも負けない自信があった。20代で3つ星レストランの魚や肉に火を通し、ソースを作っていた僕には自信しかなかった。しかし、全てが足りておらず、店は1年で閉店してしまった。その後、料理人を辞めようとすら考えていた。

日本人初の快挙
そのころ彼はフランスで偉業を成し遂げていた。
フランスのミシュランで日本人初の2つ星を獲得したのだ。世界の料理人トップ100人にも選出され、佐藤伸一という名前が料理界に刻まれた。
だけど、僕はそのことを知らなかった。フランスにも星にも興味をなくしていたのだ。あんなに憧れた赤いガイドブック。何度も何度も擦り切れるほど開いていたのに…

それでも…
それでも僕には料理しかなかった。そして新しく選んだ道は、居酒屋だった。
大阪の西成で生まれ、ホルモンを食べながら育った僕は、その頃の気持ちを思い出しながらのんびり料理をやろうと思っていた。居酒屋は楽しかった。フランス料理に縛られる事もなくなり、驚くほど気持ちが軽くなっていた。

最初で、最後の競演へ
そして2022年の夏、伸ちゃんとのコラボが実現した。
この企画を思いついたとき、僕は友人の映画監督、常盤司郎の顔が頭に浮かんだ。何かを残さなければいけないと強く思ったのかもしれない。最初で、最後でも構わないと思えた彼との競演だったから。
たった2日間だが、27年間の料理人生の詰まったイベントだったと思う。
ご来店していただいた皆さん、伸ちゃん、スタッフのみんなにとても感謝しています。そして、それをドキュメントとして形にしていただいた常盤司郎監督はじめ、素晴らしい映像のプロの方々には感謝しかありません。恥ずかしながら、僕は最初のテロップを見ただけで泣きそうになっていました。最後に妻へ。 Merci mille fois


PROFILE

中安 工 Takumi Nakayasu

1977年大阪府生まれ
19歳で渡仏。7年後に帰国し、都内でグランメゾンの料理長となる。
その後、フランスで培った独自の味覚を取り入れた居酒屋「工」を新橋にオープンした。


佐藤 伸一   Shinichi Sato

1977年北海道生まれ
23歳で渡仏し、数々の名店で腕を磨く。その後独立し、オープンわずか2年でフランスで日本人初となるミシュランの二つ星を獲得。
「LE CHEF」誌にて世界の料理人トップ100に選出される。


MOVIE

二人のシェフの記録   居酒屋×フレンチ|最期の競演

STAFF
監督:常盤司郎
撮影:斎藤卓行、斉藤順子
作曲:河内結衣
音楽プロデュース:鮫島充
編集:常盤司郎
制作協力:中川美音子、横田智昭、株式会社ダルク・モデル&ファクトリー

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?