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「京都アニメーション火災事件」から感じたこと


お悔やみを申し上げるとともに
怪我をされた方が早く治りますように。


近年、稀にみる重大事件が7月18日に起こってしまった。

アニメファンであれば知らない者はいない大きな制作会社である。

「京都アニメーション」

そこで放火事件が起こった。
しかし、いつもと様子が違う。

続々と情報が更新されるごとに増える人数。
何が起こったのかと目を疑ってしまう。

ネットでは、様々な情報が拡散され、情報が更新されていく。

どの人が生きているのか、どの人と連絡が取れないのか。犯人に対する憎悪を表す人、世界中の人たちからの反応、支援の輪を広げようとする人たちなど

SNSというのは、本当にすごいなと感じた。

しかし、そこで疑問に思うことがある。
犯人に対して向けられる悪に満ちた感情である。

このような事件の際、傍観者である第三者たちも
冷静に物事を見れない傾向にある。

今回は、特に「ネット」と親和性の高い人々が、心の拠り所に、ライフワークに、人生そのものにしていたものを作り出していたい場所。

つまり、自分たちの「神聖なものを作り出す場所」を壊されたことによって過激な表現をする者が多く見受けられた。

それは、被害を受けられた方やその周辺にいる方たち以上に

”許せない!!!!!”という感情を出していた。

中には、犯人への憶測や犯罪紛いの暴言が繰り広げられている。


ただ、我々第三者は、より冷静に静観しなければならない。

犯人に対する「罰したい気持ち」は、過激になればなるほど善からぬ方向になってしまう。

それは、ほぼ犯人と同義になってしまうのではないだろうか。

思いの矛先と方向の違う正義は、社会をかき乱し、傷ついた本人たちを悩ませ、真実を歪ませかねない。

大切に思う感情は、この事件自体を静観し、適切な立場の人間に任せることが重要である。

また第三者は、遠くの方で「いくつかの答え」を待つべきである。

もちろん、迷惑のかからない範囲での支援や援助はするべきである。助けを求められれば対応できるように準備をしておくことも大切だ。

しかし、それは当事者たちからの働きかけがあった場合である。

本当にこの事実に、これから起こりうる災悪に関わりたいと思うのならば、適切な専門家や立場になれるように頑張ればいい。

それ以外の第三者は、遠くから見守りながら、その時を待とう。


あくまでここからは、邪推な話し。(憶測的なことはしてしまうよね)

しかし、なぜ犯人はこのような事件を起こしたのだろう。

仮に、犯人の目的が、本当に「パクられた」ということが事件の引き金だとしたら、会社全体を攻撃するよりも、パクった本人やパクることを指示した者を対象をするべきではなかったのだろうか。

個人よりも組織が、構造側に問題があるとした理由はわからなくもない。

確かに、自らが追い詰められた際に、諸悪の根源よりも「そこに所属している者すべてが悪」としたい気持ちはよくわかる。

大小限らず「犯罪」は、誰しもの心に存在するものから引き起こすものだと思う。

その気持ちを表に出すか、出さないか。対象を自分に向けるのか、社会に向けるのか、悪に向けるのか

他人に向けるのか。それはもう個人の問題になるわけだけど。

ただ選択として正しかったのだろうか。
いや、そうすることしか頭になかったのだろう。

正当や正当じゃないというのは、本人にしかわからない。その難題に関して、寄り添ってくれる人がいたら状況は多く変わる。

一人だと全てが狂ってしまうから。正しい選択も「悪い選択」になることは大いにあり得る。

例えば、本当の敵が見えなくてしまうことである。僕は、大概の凶悪事件や不特定多数に対する事件はここに問題があると思う。

本当に、本当に許せない相手って、社会とか組織とかではない。

その社会や組織にいる、どこどこ部の、どこどこ課の誰々。特定の人物や特定の少人数であるはずであろう。それを全体化することでとんでもないことが起こってしまう。自分の首も心も、自ら「悪」とした人々と同じ末路を辿ることになる。

もしかしたら、自らの手で、味方の人も味方になり得る人も、自分自身の正当性を確固たるものにしてくれる人かを傷つけたかもしれない。

その人や場所を、自らの手で壊してしまえば、救いようがない。

救いたくても、すでに「悪」に成り下がってしまう。

もちろん、99%の人は壊してもやり直せる。
しかし、想像もできないほどの時間や労力を費やすことになる。

僕も、自分自身で壊した関係はたくさんある。
自分を守るためでもあったし、後悔はないけれど
もう少しだけ強かったら違ったのかなと感じる。

これから真実が少しずつ明らかになってくるだろう。

ただ、失われた命は二度と戻ってこない。

そう、誰にでも言えることだが、「命は二度戻ってこない」のである。

目の前の「悪」という事実だけに目を奪われてはいけない。自らが、命を奪う行為をしていないか、直接的なことだけではない、間接的にも、傍観者としても、無意識でも。

命を奪う行為は、

直接的なことだけではないのだから。

一つの事件から、様々な角度で物事は見なくてはいけない。答えは、数学のように解が存在しているわけではない。必ず一つの答えが導けるわけでもない。

冷静に、とにかく冷静に、その思いを落ち着けて。

でも、簡単にはできない。そう簡単にできないよね。


夢はルポライターなどです。(/・ω・)/「声なき声を」届けることや草の根活動を頑張っている人や世に出せるように、そのために使えたらなと思います。