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「ありたい姿」であるためにも


こうでありたい姿や思い描く未来を掴み取る上でも

身体や精神はもちろんのこと

地位や所属が必要になってきてしまう。

正義を貫くにしても、変革を目指すにしても、導師として人々を導くにしても、愛で癒すにしても、戦う者たちの居場所を作るにしろ

先陣を切って行く者は「不安定」であってはならない。


結局、何もかも失ってしまうと「叶える」ことが難しくなる。

いや、自分の生活がギリギリになって娯楽や癒しさえも犠牲にできるぐらいの熱量があるのなら違うのかもしれない。

あるいは、支えをしてくれるような人がいたり、揺らぎあるものを潤沢なもので補えるのなら話は変わるのかもしれない。

しかし、自分自身はどうだろうか。

また別の機会に話をしたいと思うが、転職活動は1500社以上(2000社近いかも)が書類で落とされている(年齢や経歴、職業形態の問題などが原因と推測)。もちろん、ブラック企業に自分から望むことはまずないわけである。そうなれば、仕事ができなくなってしまうのが、この「人手不足」の社会である。

いわゆる転職エージェントは、全く仕事しないどころか、もうブラック企業へいってくださいよ、と言われる始末である。

ほかの試験にしても、可能性が不透明すぎるし年齢の壁も近づいている。そこを自分の力だけでやらなければならない。

少しでも安定をするためには、一度の失敗は許されない。失敗しても許される場合なのは、これまで「失敗という失敗」をしてこなかったという証明なのかもしれない。

何をするにしても、不安定なものを背負うというのはデメリットでしかない。ある程度の幸せを持ち合わせていなければ、人を救うことや勇気づけること、守ることはできるはずもない。

たとえ泥船でも、見た目が豪華客船なら誰でも信用してしまうだろう。その逆で、いくら中身が綺麗であってもツギハギだらけの船なら誰も身を委ねようとはしない。


自分は、何をするにも熱意がなかったのだろうか。

不安定な地位でいる苦しみや絶望が分かるからこそ、そうなってほしくないとできることをしたいと思った。でも同時に、僕自身も救われたい気持ちはあった。それはいけないことなのだろうか。

不安定な立場というのは、どれだけ辛いものなのかを知るものは多くはない。

それは、努力が実りやすかったり、周りの援助に恵まれたり、救いの手を差し伸べてもらえたり、色々な要因がある場合が多い。確かにこうも考えられる。本当に何もかも奪われてしまえば、口も手も動くことはできないだろう。

お前は、まだできているのではないかと。

それはもうしつこいぐらいに話しているが、僕の特性上の恵まれて、どんなに苦しくても口と手は動き続けてしまう。

それを職業にすればいいのかもしれない。まぁ・・・あるわけはないし、貧乏になったり、一人で戦うことはもうしたくない。


自分がありたい姿であるためにも、どうしていいのか正直わからなくなってしまう。生きることや夢を追う上では、根性や気力だけあればいいのかもしれない。でも、それはあくまで「そのスタイル」があっている人である。

色々な世界を見ることができて、自分を見つけることができるこの期間はよかったと思う。それは事実であるけれど、ここまで戻れないものだとは正直思えなかったし、ここまで底に落ちていくものだと知らなかった。

「ありたい姿」になるためにも、失ったものが必要になってしまうのだということに気が付いた後、僕はどうしていくべきなのだろうか。

夢はルポライターなどです。(/・ω・)/「声なき声を」届けることや草の根活動を頑張っている人や世に出せるように、そのために使えたらなと思います。