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他人と自分を比べてもキリがないと気が付くまで


他人と自分を比較するは、自分自身と他人が同じラインにいると勘違いしているからである。

そもそも他人は、自分と同じラインにはいない。

ずっとずっとずっと先にいる。だから比べることなんてできない。

なら自分だけを見てあげることの方が、いいのかもしれない。

どうしても他人と自分を比較してしまうことは多い。

自分自身の人生が、うまくいかないほどに比較しては苦しむことになる。

比較を力に変えられることもできるけれど、長くは続かないし続けられない。
確実にそれが手に入るなんてことはない。だから余計自分自身を追い込んでしまう。

人は、自分自身が考えるよりもずっと上手くいっている。
あれもこれも手に入れているし、様々な人から助けをもらっている。
愛されているし、守られている。

自分の何百倍も何千倍も

自分自身が思い悩み比較しても、更なるものを持ち合わせている。
ただ言葉にしないだけで、ただ当たり前すぎて言わないだけで。

だから人と比較している時点で、他者の表面上しか見ていないということになる。

他人の過去全てまで網羅して、自分の足りないところやできないところを比較することはできない。

その人が助けられ、守られて、頑張れるようにしてもらって、
続けられるようにしてもらって得ている幸せまでは見ることはできない。


確かに自分自身は幸せでなかったかもしれないね。

何も手に入らなかったかもしれないね。

当たり前を手にできなかったかもしれない。

ただ息をしているだけで、ただ痛めつけられているだけかもしれない。

そんな人生なんていらないと思ってしまうよね。


でも、目に見える部分だけを見ては比較して傷つくのは、止めることができるかもしれない。
そもそも勝てない相手と自分を比較することはしないはずだから。

一国の王様やスーパーアイドル、大金持ちの子ども、すぐに助けてもらえる人たち・・・

そんな人とは比べないのに、なぜ近くの人や同じだろうと仮定した人たちとは比べるのだろう。

自分自身とは同じではないのに。なんで勝手に同じだと認識しているのだろう。
たまたま同じ人間というだけで、他は全く違うのに、どんな錯誤を起こしているのだろう。


他人は自分よりもずっとずっと幸せである。他人はずっとずっと上手くいっている。

他人と自分を比較するは、自分自身と他人が同じラインにいると勘違いしているからである。

そもそも他人は、自分と同じラインにはいない。

ずっとずっとずっと先にいる。だから比べることなんてできない。

なら自分だけを見てあげることの方が、いいのかもしれない。


もちろん自分を自分で比較するのは難しい。
変わらない状況や劣った状況を知ればおかしくなりそうである。

だから比較はしなくていい。何もないならそれでいい。

幸せになれないのも愛されないのも運命であるといえる。
それは、あなたの責任ではなくて、周囲や環境、社会のせいであるから。

でも、その憎悪や絶望を外に向けても意味がないし、外に出せば自分を自分で傷つけることになる。
自分を苦しめてきた人と同じになり、それこそ最後の最後まで取り返しのつかない人になる。

ならせめて自分だけでは、正しくありたいとは思わないだろうか。

全てが真っ黒ならば、自分だけは真っ白でありたくないだろうか。

何も知らない、何も得られない、見えているのに知っているのにという状況は苦しい。
でも仕方がない。そもそも他人は同じラインにいないから。


自分を素晴らしいと思う必要はないし、自分を大切に思う必要もない。
他人だけが上手くいっている状況を受け入れる必要もない。

でも、今できる範囲の変えられることはするべきである。変えられる範囲でいいのである。

髪を切ってみるとか、新しい靴を買うとか、歩いてみるとか。
そして一歩踏み出して、自分に合うものを教えてもらうとか・・・

他人と自分を比較してもキリなんてない。
そもそも自分なんかより幸せなのだから。悔しいけれど、悲しいけれど、恥ずかしいけれど。

自分を大切にするという方法のみしかないから。

生きるって難しい。本当に


夢はルポライターなどです。(/・ω・)/「声なき声を」届けることや草の根活動を頑張っている人や世に出せるように、そのために使えたらなと思います。