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クリスマスに奇跡を、心に暖かさを


クリスマス・イブやクリスマスも「商業主義」の一つに過ぎない。

無償の愛ではない、創造される「愛」が最も活発になる日になった。

そこに入り込めない人々にとっては、苦しみでしかない。

誰か達の幸福を喜べないわけじゃない。
ただ、そこに自分がいない事実が悲しくなってしまうのである。

だから、何かで繋ぎ止めておくために試行錯誤をする。

その”繋ぎ止めておくための行為”は、とても純粋な心であったとしても批判・非難の対象になってしまう。


プレゼントをあげる行為は、プレゼントをもらいたくて行っているわけではない。ただ、純粋に喜んで欲しいからするのである。だから、見返りを求めているわけじゃない。

でも、気にかけて欲しいという根本的な理由があるのかもしれない。

たまには連絡が欲しいな、たまにはご飯に行こう、たまには一緒にいようなどの小さな理由でしかない。

伝わらないかもしれないけれど、好きな人に対してあげるプレゼントも、関係を急ぎたいわけじゃない。

ただ、あなたを思う気持ちは、誰よりもあるから、これから頑張るね、という素直な思いだけである。

伝わらないことは重々承知している。でも、大切にしたい気持ちを表す一つの手段でしかない。


僕は、常に渡す側だから、もらうということは少ない。

自分に対して愛を示してくれるために、もらうことは一度もない。

でも、それでも僕はみんなの喜ぶ顔が見たいし、これからの関係を深めていけたらと思う。好きな人に思いを伝えるための一つの手段のために渡していく。


確かに、もらえない事実を受け止めるって難しいよね。

クリスマスだからこそ、気兼ねなく思いを込めて贈ることができる。
そこに自分自身がいないというのは苦しくなる気持ちをよくわかる。

その思い自体は大切にしながらも、遠くから微笑んで過ごしていけるような強さを身につけないといけない。

たくさん人に喜んでもらいたい気持ちから行った行動が

相手には届かなかったり、相手に気持ちが伝わらないことがあれば

それは「相手」の心の在り方が合ってないだけである。自分自身の思いや優しさが無意味になることはない。

友達関係が深まるわけじゃない、あの人と付き合えるわけじゃない。

その友達も好きな相手も、別の人に向いていて自分のことは存在さえしていないかもしれない。

その思いを無下にするような人はそれまでの人でしかない。それでも「喜んでほしい」という気持ちから来ているものならば、悲しみで溢れてはならない。


本音は言わないのか、らしくないじゃないか


そう思う人もいるだろう。

本音は・・・。悔しいよ。僕だって欲しいさ。

あなたへのプレゼントは誰よりも思いを込めたんだよ。
そう本当は言いたい。

これまで、何一つ報われなかった。やりくりして思いを乗せても無下にされることしかなかった。でもね、結局は、エゴでしかないんだよね。

自分の心の傷や失ったものに対して、しっかりと向き合わず、自分を排除するような仲間のなかで過ごしてきて、好きになる人をちゃんと見極めることなく選択していた結果でしかない。そのことに気づくことができた。

だから弱音も愚痴も言えないし、自分の行動の全てが乗り越えてきた人生によって引き起こされているのならコントロールしなくちゃいけないんだよね。

真剣に自分自身の心に向き合って、聞きたくない話を聞いて改善のために行動していると不具合の連続になってしまう。

正直、仕事にも支障が出るくらいなってきている。

でもね、それでも変わらないいけないことに気が付いたから。
もうこれまでの傷で自分を苦しめたくない。


自分で自分を苦しめるような思考

をしてはならないんだ。

自分を自分でいじめては、あいつらと同じになってしまう。

色を失った世界に、色を入れていくことは痛みが伴う。
いつも被害を受けた方ばかりが割を食うのかもしれない。

例え、それでも乗り越えた先には、誰も見たことのない世界はあるのだ僕は信じている。変わろうと行動してみたら「うまくいく」ことが、ほんのほんの少しだけ増えた気がするから。


クリスマスは、色々な思いが溢れてしまう特別な日である。

でも、誰もが幸せになれる魔法の日ではない。

ただ、自分の働きかけで「周りの人」の心に暖かさを

自分の思いで「好きな人」に笑顔を与えられるかもしれない。

例え、自分には何もなかったとしても。灯は、未来の自分に必ず灯っている。だから、自分自身で大切にしたい気持ち、友を気に掛ける優しさ、喜んで欲しいという素直さを汚してはならない。


せっかくのクリスマス、小さなチョコでも、缶ジュースでも、自分にプレゼントをしてみるのもいいかもしれない。

自分だけは、自分を理解していると思えることが強さになるから。



夢はルポライターなどです。(/・ω・)/「声なき声を」届けることや草の根活動を頑張っている人や世に出せるように、そのために使えたらなと思います。