見出し画像

曇りガラスに映る社会ー選挙を眺めてみてー


誰もが他人事だから、幸せでいられる。
所属も、肩書も、助けもない人は、ただ落ちていく
曇りガラスに映った世界に憧れながら
唯一の権利を行使をする
何も変わらない社会に、恵まれた人だけが救われる社会に
いつものように奈落に落ちていく


政治の話をすると、自分自身の思想が露わになってしまうし、お堅い人だと思われて話せない人は多いのではないだろうか。

思想を自由に話せる立場って、地位や名誉(ジバンもカンバンも?)というものが確固たるものに近くないと難しい。

あるいは、秘密性が保持されている場所であること。

そういえば、若者向けの選挙投票啓発活動をしていた時もあった。


「とにかく行くことが大事。候補者や政党名を書かなくていいから」

という教えをするように言われていた。


とにかく候補者たちは、20代・30代の投票率を上げない限り、若者に対する社会政策や問題改善などは二の次三の次であるわけである。

今回も安定した投票率の低さであり、若者の投票率も悪すぎる。

わざわざ行くのも面倒くさいし、選挙権を地元に置いて来たりしてるだろうし、もっとネットでできたらいんじゃないのかな。と思うけれど、あの時代から議論されているけど進まない。

そんな私は、朝7時に投票所に行くわけだけど。
そのついでに、朝ご飯を買って帰るのがお決まりコースである。


今回の参院選を評価するとかしないとかじゃなくて

相変わらず社会がどうなるかを真剣に考えていない人が多いんだなという印象しかない。自分自身が底辺にいるからこそ、自分のことを救いあげてくれるような政党があればいいな、と思うがどこの政党もあるわけがない。

政治なんていうのは、過去の時代から「恵まれた人の遊び」でしかない。右とか左とか真ん中とか、どの方向性にも存在している貴族に向けたもの。あるいは、社会生活を円滑に行えている民のものであるから”底辺人”で、落ち続けている者には関係がない。


富裕層や知識職業者たちが好む政党はいつものようだし

2〇Hテレビのような戦略で社会進出をさせる政党もいるし

一致団結しても成果が上がらない政党もあった


そして、いつものように選挙戦は「お戯れ」でしかない。いかにキャッチーなのか、いかにマジョリティであるか、いかに恵まれを集められるかにかかっている。

今回は、マイノリティをうまい具合で使った人もいたけれど
あのやり方は、本当に社会進出だとか、正規のやり方なのだろうかと
正直議論は必要だと感じる。

結局、選挙権を持つ多くの人は、自分の生活している社会を「曇りガラス」を通してしかみていない。もちろん、自分自身の人生を好きなように見る権利がある。しかし、常に自分の都合のいい面だけを見続けてしまった先には真っ暗闇しか待っていない。

今だけの幸せを数年なのか数十年なのか

それを続けられるのって幸せなこと。
その幸せを経験している人が多すぎるのが問題なのかもしれない。

正負の法則だろうが、不幸は続かない理論だろうが、そんな苦しんでいる人たちを安心させるような言説は存在しない。


だから問題なのかもしれない。
幸せは、世界を曇らせてしまうから。


だから偉い人たちは、幸せな人たちを増やして曇らせているのかもしれない。曇らなかった人は、死なせたり、多くの人から排除されるように仕向けているのかもしれない。

幸せであるなのならば、曇っていてもいい。
なんて正直思うところはある。

ただ、僕は二度と幸せにはなれない。
自力で何かをなることも、誰かが助けてくれるわけでもない。
だから、せめて権利だけは行使する。

壊した自尊心は、僕の世界から色を失わせた。
夢も努力も無意識だと、この世界に期待しても救われないと。

そんな人を救ってくれる人は
本当の声を聴いてくれる偉い人はいない。

もしそんな政治家がいればいいのに。
まあ誰も投票もしないだろうし、いても報われない。

曇りガラスに映った世界で、僕も生きることができたら。



夢はルポライターなどです。(/・ω・)/「声なき声を」届けることや草の根活動を頑張っている人や世に出せるように、そのために使えたらなと思います。