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31歳になっても-あの頃と変わらない日々-


未だに、僕は僕の人生を僕のものだとは思えない。
苦しみの悲しみに溢れる世界で戦い続けているから。
ただ無駄に人生を生きるのならば、早く眠りにつきたい。
いや、悪夢から覚めて歩き出したい。

「悪い夢だった、今日は14歳の誕生日なのに」

そんなことを呟きながら目を擦りたい。


まさか31年間も生きてしまうとは思わなかった。

13歳で死ぬはずだった僕の人生は18年も過ぎてしまった。

ずっと動き出すことのない時計は
僕を社会や世界から遠ざけるという呪いを与えた。

そして幸福や安寧というもの享受できないように守っている。

それでも諦めたくないという気持ちは
呪いを凌駕する力を持っていた。もちろん限界があったけれど。

30歳前後から、少しだけ呪いから解放される兆しもあった。
一人ではなくなってきたり、少しだけ安心できる生活を手に入れることができつつあった。未来への期待も持てるようになってきて、乗り越えたと思えた。

しかし、それは勘違いも甚だしいものであった。
ただ諦めにという希望は呪いを弱めることで
31歳の誕生日は、少しだけ明るかったのだけど・・・

でも、奪われたものや失われたものは幸せになどなれるはずないのだ。
僕だけであるとは思うけれど、そもそも幸せになってはならない呪いや生きてはならない呪いを多くの人に与えられてきた。

そもそも「生きてはいけない」とされたあの日から
無理矢理に自分の人生なのだから負けたくないと抗ってしまった。

抗ったからこそ見えてきたものはあったけれど
それは果たしてよかったのだろうか思い出さないことはない。

どんなに頑張ったところで
報われるわけがないし愛されることがないのなら

どうしてここまで頑張る必要があるのだろうか。
それは生きているからだろう。だから死という救済からは目を逸らすことができない。どうあがいても選択肢はそれしかないのだから。

じゃあなぜそれでも生きようと思うのだろうか。
18年経った今でも「自分だって幸せになれる」と信じているからぐらいしか分からない。

もし本当に自分の望む世界が手に入れることができたなら
僕はどうなるのだろうか・・・と想像してみる。

きっと面白みのない人間になってしまうかもしれない。
でもそれでもいいから幸せになりたい。

自分を好きになれるように、他者から傷つけられないように。


31歳になってから
人生が少しだけ上向きになりつつあった人生はもとに戻り始めた。

また地獄の日々が始まろうとしているのだろうか。

31年間という日々で、ようやく最終を迎えられるということなのだろうか。
それはそれでいいかもしれない。

もう悩みたくないし、苦しみたくない。
助けてもらえない日々も、自分だけで戦う日々も
もう二度と嫌だから。

どうして自分だけ幸せになれないのだろう。
どうして愛されないのだろうかね。



夢はルポライターなどです。(/・ω・)/「声なき声を」届けることや草の根活動を頑張っている人や世に出せるように、そのために使えたらなと思います。