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因果応報について考えるよりも自分自身に集中することが結果的に相手の因果応報に繋がるという話

175回目のNoteです。

今回は因果応報について考えるよりも
自分自身に集中することが
結果的に相手の因果応報に繋がると言う話
をしていきます。

まず結論からお伝えすると
「因果応報は"あります"」

ただし、ここからがポイントで
「相手の事をすっかり忘れ、
自分自身の人生に集中している時」
に「"因果応報"」らしき物は起こるかなとは
あくまで体感ですがそう思います。

まぁ、「因果応報があるよ」という前提で
話を進めていくのですが
その中で皆様はこう疑問を持たれるでしょう。

「じゃあ、なんで心優しい人や
他人に対して与える人ばかり損したり
早死にしたりするの?不平等でしょ」

と。
確かにこのシステムについては賛否両論
あるのですが結論からお伝えすると
そもそも、何故人間は人間として生まれて
来ているのでしょうか。
それは「自分自身の人生を」
「より豊かに」そして「経験を積む」為に
生まれてきているのです。

そしてこれは本当に不平等と言うより
上のシステム的にも理不尽だと思うのですが
 心の優しい人、他人に対して与える人は
物事の決定権の基準が
「常に他人目線」
になってしまっているからです。

そうです、最初に述べたように
「自分自身の人生を
   自身の主導権を握って生きる」
の部分がすっぽりと抜け落ちてしまっているのです。

 この世の中は
どのような形であれ
「自分らしくありのままで」
生きれた人が優遇される世の中になっています。
のであまりにも自己犠牲が強い人は
言い方が悪いですが
「人生を放棄している死んだ状態」
と言っても過言では無いと言う話です。

私自身も過去に
他人に対して好意でした事が
全て悪意で返された経験が何度もあります。
その度に
「人生は優しい人ばかりが損して理不尽だ」
と何度も何度も苦汁を噛んできました。

 違うのです。
「もっとわがままに生きていいんです。」
優しいは神視点から見れば
「全くメリット」ではないんです。

むしろ、

「なんでお前はお前自身の人生を生きないんだ
せっかく時間を与えてやってるのに
そんな他人に対して割く時間があるなら
もっと自分の為になる事をしろ」

大半が怒っている場合が多いです。

私自身、割と与える方ではありますが
必ず「与える以上の見込みがある」と
確信した上で与えてます。
つまり、
「与えてもある程度の余裕がある状態」
という話です。

そうです、
優しすぎる人との違いが分かりますでしょうか。
優しすぎる人は常に
「自分自身の身を粉にしながら
必死こいて与えて」いるんです。
これでは倒れてしまいますし
豊かになれない。
本末転倒ですよね。

「優しい人ばかり損してる」のではなく
とてもシンプルでシビアな話なのですが
「他人に対して時間を割きすぎる」
から「損をしてしまう」のです。

中々残酷ですよね。
ですが、この「優しさ」を上手い具合に利用すると割と「ビジネス」には繋がるかな
と言った形です。

例として挙げると
「カウンセラー」もしかしたら
「配信者で他人の悩みを解決する人」
になるかもしれません。

ですが彼らはボランティアではなく
「人の悩みを聞く、解決、する事によって」
「給料が発生する」
のである意味
「仕事(ビジネス)」な訳です。

 いくら仕事でも
優しすぎる人は
「ボランティアをしていませんか。」
と自分自身に問いてみて下さい。

 「自分自身の本来道」
を進み始めた瞬間
ビックリするくらい良い事が起こり始めます。

 それは「本来のあなたが受け取るべき報酬」
なのです。

まとめますと
 世の中は
「優しさが正義」ではなく、
どのような形であれ
「自分らしく生きれた、生きている人」
が優遇される世の中
だと言う話です。
そして、優しさはメリットではなく
上視点から見てみると
寧ろ他人に対して時間を割いて
デメリットである
という事です。

今回のNoteはここまでです。

「私、俺、優しすぎて損してるな」
と言う方の参考になると幸いです。


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