あんたがたどこさ考 ②

その2 芸術か猥褻か?
Vatican's “fig leaf campaign”。日本語に訳せばバチカンの「無花果の葉運動」となる。
ご存じない向きに大雑把に説明すれば、これは嘗てヨーロッパを席巻した大規模かつ長期に亘る「芸術検閲行為」の事である。
詰まり、16世紀、Vaticanに端を発したこの「芸術検閲行為」は瞬く間にヨーロッパ中を席巻した。裸体をモチーフとした作品は、例えば絵画であれば木の葉や腰布を描き足され、また像であれば作り物の木の葉でその股間を隠された。

有名な、ミケランジェロのダビデ像とて例外ではなく、しかもこの「無花果の葉運動」の嵐が過ぎ去ってもその葉は取り去られることなく、結果、19世紀になっても依然としてその股間は隠され続けた。かの一物が拝めるようになったのは割と最近の事なのだ。

もうお分かりだろうが、それらの木の葉こそ「Fig leaf――無花果の葉」なのである。では何故「無花果の葉」なのか。
それは旧約聖書のアダムとイブの逸話に拠ったから、詰まり、ヘビに唆され知恵の実を食べたアダムとイブには羞恥心が芽生え、自らの裸体であることを恥じ、手近にあった木の葉で股間を隠した。その時彼らが用いたのが「無花果の葉」だったからだ、と言うのである。
猥褻物の隠蔽には「無花果の葉」が相応しい、そう言う事なのだ。

その所為で、英語で「fig leaf」には熟語として「恥ずかしいことや嫌なことを、無害なもので隠す」という意味がある。臭いものに蓋、といったところか。

さて、「あんたがたどこさ」は何処さ? と、諸君は頭を傾げて今これを読んでいるのではなかろうかと思う。
熊本や川越を通り越して唐突に “Vatican” である、そう思うのも無理のない話である。
しかし、何も無意味な話をただ博識打って衒らかしているのではない。
思い出して欲しい。「あんたがたどこさ」の歌詞の最後の一行を。
あの手毬唄はこう結んでいる。

「それを木の葉でちょいと隠(かぶ)せ」

長いので今回はここまで。
核心に迫る次回を乞うご期待。

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