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幸せはいつも、思い出には勝てない。

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“奥さんに花をプレゼントしたら、値段聞かれて正直に答えたらキレられた”

久々に会った友人がそんなことを言っていた。35年ローンを組んで一軒家を購入したらしいんだけど、家計がカッツカツでも大切な記念日とかに花をプレゼントしてくれる旦那って、すげえかっこいいと思う。そんなステキな旦那さんをがっかりさせちゃダメだよね。

こういうのって、オトコは一生引きずる。ホント、一生。オトコは女性にあげたプレゼントとか、あげた時の女性の反応とかよく覚えているもの。自分も昔、クマのぬいぐるみが欲しいっていってた彼女にテディベアをプレゼントしたことがある。確かクリスマスイブの前日だったかな。スマホとかない時代に、代官山をひたすら歩いてクマのぬいぐるみを売ってそうな店を探しまくった。そして店が閉まるギリギリの時間に「シュタイフ」っていう、なんでも鑑定団に出てきそうな耳にタグの付いたドイツ製のテディベアを買って帰った記憶がある。

人は過去へ物理的に戻ることはできない。けれども、記憶には時間という概念がない。だから、過去の記憶は一瞬で時空を飛び越えやってくる。しかもやっかいなことに、人の記憶はかなり曖昧で、曖昧なままやってきて“足かせ”になってしまうことがある。

嫌な過去の記憶と上手く付き合うコツ。
それは“いま”を意識して、“いま”の自分が過去に対してイニシアチブ(主導権)を握ることである。特に、思い出したくない記憶の断片は、体の“こわばり”として如実にかつ正直に出てしまう。その体の微細な変化を感じ取ることが鍵となる。

逆に、楽しかった記憶は体をゆるませる。たとえ、デフォルメされていたとしても、体の“ゆるみ”こそ真実である。そして、ゆるんでできた体の隙間。未来を歩むとき、そこに落ちてくるものすべてが、望んでいた真実となる。

生きているかぎり、誰にでも誕生日は“必ず”やってくる。大切な人のためにプレゼントを用意している者にとっても、その日は“必ず”やってくる。そう、時間は未来から過去に流れるているからである。

未来に投げ込んだカラーボールが青色ならば、未来はそのとおり青になる。赤いボールを投げ込めば、未来は赤になる。

結局、未来というキャンバスはフィクションである。だから、誰でも自由に未来を描いていいはずである。おもいっきり、カラフルに。おもいっきり、はみ出して。

収入とか安定とかさ、あとパートナーとか、現実的な未来の幸せにこだわる必要なんてまったくないとわたしは思ってる。そんながんじがらめの人生にこそ幸せは舞い降りない。幸せはフッと力を抜いた瞬間、姿を見せる。幸せは、隙間を好むのだ。

Live your life !

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