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怒りの最終的な矛先は、99%自分である。

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怒りを正直にぶつけ、闘争心を持ち、社会的支援を多く受けている乳がん患者は、あまり自己主張しない人や周囲からの援助が少ない人に比べ、がんが拡大する率が低くなるということが、アメリカがん研究所によって明らかにされている。※

しかし、これは患者を取り巻く環境にもよる。感情も一種の生理現象のようなもので、吐き出すことに越したことはない。けれども、受け止めてくれる相手がいなければ、やがて怒りは威力を増して自分に帰ってくる。

そして、自分でも気付かぬうちに積もり積もった怒りは、やがてハッキリと自覚できるレベルで体から“不協和音”を発し始める。つまり、それが心身の不調というものである。

だからといって、感じた怒りを即座にぶちまければいいということでもない。大事なのは、怒りを分析すること、そして自分の中に溜め込んでいた怒りに気づき、それを解放してあげることである。

わたしは子どもの頃から集団に属することが大嫌いで、それを隠すためにあえて“いい人”を演じる傾向があった。けれども、その“役柄”に耐えきれず、あらゆる場面で大なり小なり爆発することもよくあった。

この傾向は成人してからも続き、いつしかいい人を演じる自分に対して、怒りを募らせていたことに気付いたのである。大人社会では、なかなか爆発することは許されない。“いい人”という役柄を背負っていたわたしのような人間なら、なおさら内に感情を溜め込んでしまうにちがいない。

人の体は本当に正直で、こころに溜め込んだ「NO」を見事に主張する。特に免疫系の症状として表れることが多いと言われるが、わたしの場合は腰痛であった。鬱や無気力、不安といったこころの症状も、体感を通じた体の主張と言える。

怒りには実体がない。だからこそ、第三者に入ってもらうことで怒りは可視化され、客観的に扱いやすくなる。

自分は大丈夫と思っている人ほど、結構危険である。なぜなら、自分に向かった自分自身の怒りには、きっかけがないかぎり気付けないからだ。

たとえば、職場や仕事、収入、人間関係に満足できていなければ、それはその環境に甘んじている自分に対しての怒りや不満ということも十分ありえる。(だいたい、そうなのだが)

要は、無意識のうちに溜まってしまった怒りと体の症状には密接な関係があるということを知っておくだけでも、最悪の事態を避けるための予防策になるということである。

※参考文献
『カラダが「ノー」と言うとき-抑圧された感情の代価』ガボール・マテ/日本教文社(2005年)

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