死を想い、今日という日の花を摘む │ Les Archives du Cœur
Oct.2022
ボルタンスキーに はじめて出会ったのは、2019年。
国立新美術館で 開催された、展覧会でのことだった。
響き渡る咳の苦しそうな声、遺骨入れを思わせるブリキ缶、ホロコーストを彷彿とさせる、積み上げられた衣類の山… その会場には、" 死の気配 " が充満していた。
人間の不在。かつては " そこにいた " という 気配。
そんな 異様な雰囲気でありながらも、ひとつひとつのそれらの集積には、不思議と息苦しさはなかった。
消えゆく星々のような その欠片たちは、
" 生の煌めき " を、確かに感じさせたのだ。
そうした要素が、まるで 厳かな祝祭のように思えて、「こんな風に、生命というものを 表現するアーティストがいるのか」と、驚いたのを覚えている。
印象に残っていたのは、時間が1秒ずつ刻まれていくカウンターだった。何の時間かと思えば、それはボルタンスキーが生まれてから、たった今までの時間。彼の心臓が止まったときに、その数字も止まるのだという。
その彼の作品を前にしたとき、" 自分の死さえも、作品(アート)とすることを厭わない " という『アーティスト』という存在を、少し(というよりかなり) 恐ろしいもののように感じてしまったことも、覚えている。
けれど、芸術家やアーティストであるかどうかに関わらず、" 人間は いつか必ず 死ぬときが来る " という当たり前の事実を、これまで自分自身が、いかに考えて生きていなかったかということにも気づかされたのである。
そうして 直島 へ移住して、豊島 に はじめて 訪れた
とき、ボルタンスキーは 亡くなっていたのだった。
お読みいただき、ありがとうございました。 あなたにとっても、 素敵な日々になりますように。