(1)義務教育って意味あるのか 全国の親御さんたちの義務でお馴染み、義務教育。 全国の子どもたちの権利でお馴染み、義務教育。 子どもたちは言う。 「これ学んでも将来意味ないですよ」 この台詞に対し先生は、何かしら理由をつけて言い返す。 義務教育の全てには、意味があるのだろうか。 恐らく初めに思い浮かべるのは数学。 算数、数学が身につくことで買い物ができるようになる。お金の管理ができる。数学は偉大である。 次に理科。 力学を学ぶことで、飲食店ですごいバランスで食
本日の日記を書こう。 昼夜逆転酒飲み限界大学生である私は、単位も取りつくし、大学へは木曜日のみ赴いている。そのため「早寝早起き」とは無縁の生活を送っている。昼に起きLINE開けば、後輩から6時過ぎにおはようと言われていることに気付き驚愕する毎日である。 そんな私は昨夜、酔っぱらいながら「早寝早起きして勉強する!!」と決意した。酔っぱらっていたからという理由で実行しないとダサい程度の決意。泥酔中のちょっとした決意は、やるしかなくなるのである。 さて、本日。 7時半に起
最近、文化的な遊びにハマっている。 例えば、博物館に行って俵物の干し鮑、いりこ、鱶の鰭のレプリカを見たり、大学の工芸館でインカ帝国の布を見たり、下駄で散歩をしたついでに河原でギターを弾いたり。 派手な楽しいことはそりゃあ楽しい。 居酒屋で暴れ回って床をビショビショにしたり、カラオケで缶チューハイに穴をあけて横から飲んだり! でも最近はそういうドカンとした楽しさではなく、ただの日常の中に潜んでいる楽しみを見つけることが楽しくなってきた。 文化的な人間になるという理想への手段
(1)勉強しなきゃいけない、やらされてる感 世の中の子どもたちが勉強を嫌いな理由は1つ、やらされてる感があるからだと思う。 私は中、高と勉強があまり好きではなかった。確かに、数学の難しい応用問題が解けた時や、やってもいない理科の実験を丸暗記してテストでそれが出てきた時など、嬉しいと感じる瞬間はあった。 だが結局は親の「教育を受けさせる義務」によって私たちの「教育を受ける権利」は権利ではなく義務のようなものに成り果てる。「教育を受けさせる義務」により私たちは、学校に行かさ
こんばんは ピアノ習ってた人羨ましすぎる。 当方ドラマーなので、突き詰めると音楽理論は必要になってきますが(前ノリとか後ノリとかグルーヴ感とか)、ある程度まではなんの知識も要らないわけです。 オリジナルなんか作る時も、「Aメロは静かがち」「Bメロで変化加えるか」「サビは4ビート!」以上でドラム譜が完成してしまいます。 一方ピアノを習ってた人は如何でしょうか。まずコードの概念が身についているし、知っているコード進行に乗せて口ずさむだけで曲ができてしまいます。最強すぎる。
飲み会の次の日は、決まって文化的な行動をとるようにしている。 飲み会とは、酒を嗜み頭を使わず、友人と笑い合うことで時間を浪費する事柄である。そんな夜は実に楽しく、悩んでいたことや考えるべきことを綺麗さっぱり忘れてしまう。1、2年前はそれでよかった。 何故か今、私はそのような夜を受け入れられない精神状態にある。将来に向けて勉強を始めたからか、時間を浪費することに焦りを覚える。これは良いことであるが、同時に飲み会を心から楽しめなくなってしまっている要因の一つになっている。将来
NEXT SUNDAYにライブが迫った私は、以前のような怠惰な生活とはうってかわり、文化的な生活をしている。 私はある日、レコードバーにいた常連客に勇気をだして、 「オススメの曲を教えてください」 とAppleMusicの検索画面を差し出した。 常連客は30代の中肉中背の男性であった。 彼は、「どういう系統が良いですか?」と私に聞いた。 「70、80年代のシティポップから、メタ」まで言った瞬間、彼は 「私はシティポップのオタクです(大声)」 と言い放った。 ビクって
友達にレコードバーを紹介してもらった。 私はイケてる音楽が好きなので、高校時代からテクニカルな音のするバンドや、テクニカルなことをするドラマーのいるバンドを好んでいた。 高校ではまずクリープ、ゲスなどから始まり、SiM、coldrainなどを経て、ポストハードコアというジャンルに行き着いた。 ポストハードコアが何か分からない人も多いと思うので、1つ貼っておく。 こういう激しい音楽のジャンルは、あまりに多すぎて定義とかがよく分からない。そのため私が今思いついた好きな曲を幾つ
私は音楽が好きだ。 目の前の景色は、音楽によって簡単に物語になってしまう。反対に音楽で情景を思い浮かべ、自分の理想郷を描いたりする。 ごちゃごちゃな感情は、ごちゃごちゃな音楽がどこかへ連れて行ってくれる。 季節は、音楽によって色付く。 音楽は私を現実とは相反する世界へ誘う。 日本の音楽史について私は、無知同然の知識量である。 はっぴいえんどとか、荒井由実とか、山下達郎とか、松田聖子とか、竹内まりやとか、知ってはいるけど、よく分からない。でも知りたい。 先程、大滝詠一入門
誰しも人生のどこかしらに大きなイベントを抱えている。それは将来的に必要なものであったり、趣味の範疇のものであったりする。それらの大きなイベントに向けて人々は、準備をしたり、一所懸命になったりする。その大きなイベントがある一定の期間設けられていた場合は、準備した上で、その期間を懸命に過ごすだろう。 「人間は、何かに縋っていなくては生きられない。」 このような言葉は、よく耳にする。歴史的に見れば、卑弥呼であったり、将軍であったり、政府であったり、天皇であったり、あるいは宗教、
音楽に触れ、悦に浸って道を歩んでいる様は、客観的に見ると恥ずかしいが、間違いなく最高の時間である。先日友達が、「長い時間散歩をして、アルバムごと曲を聴いてる」と言っていたが、その良さがわかった。私は今日、教育実習先の中学校へのルートを確認したのである(心配性)。 1人で知らない道、あるいは幼少期に通った道を音楽と共に歩んでいると、様々な気づきがある。私は文化人類学ゼミに属しており、フィールドワーク(街を歩いて、歴史的建築物や文化を感じたりするやつ)を度々行っている。それ
初投稿です。 8月に新型コロナ感染症を経験してから、短期記憶力が著しく低下した気がする。 例えば、彼岸花畑で鮮やかな赤を見たとか、セッションしたときのなんとも言えない高揚感とか、薄暗いバーで感じたこととか、そういう感覚的な記憶はあるんだけど、名前とか、話の流れとかが覚えられない。 さっきまで読んでたヒロアカの、いっぱい増殖する敵が思い出せない。良い奴だったのは覚えてる。壊理ちゃんかわいい。 日常で体験した素敵なことは覚えておきたいから、noteに記したいと思った。