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#24 相手理解の先に、自分を表現する練習

言葉が出てこないこと、がある。
質問をもらっているのに
答えのようなものはあるのに
反応することを辞めている状態。

いわゆる、フリーズ。

特にこの1年くらい、
たくさん指摘してもらってきた。

昨日もセッションの途中で、
「そこで意見を引っ込めるから
話し合いにならない」、と。

起きていることの構図は、こんな感じ。

①相手の想い・意見を聴く。

②私は、すこし違和感を感じる。

③私は、相手の想い・意見を理解できていない、と認識する。

④質問する(何度かやりとりする)。

⑤相手の想い・意見が理解できる。

私は、ここで終えてしまうのだ。
コミュニケーションは、

⑥当初感じていた違和感について伝える。

⑦私の想い・意見を伝える。

⑧二人(又は、そこにいる人たち)でどうするか話し合う。

というプロセスだろう。

頭では分かっていても、
私は、⑤で終わらせてしまう理由。

それは、相手と自分の想い・意見が
異なるかもしれないと感じたとき
(すこし違和感を感じたとき)に、
相手を正しいとしてしまうからだと思う。

そのほうが、楽なのだ。

その場で自分を主張しなければ、
責任が発生しないから。
自分を主語にして喋ることは、
責任が伴うから。

相手から否定される怖さ、
自分の想い・意見への自信のなさ。
そこから逃げるために、
自分を「いてもいなくても同じ」
「どうでもいい」と扱っている。

書いていて、胸が痛い。

そりゃ話してくれている相手は
憤るなあと思う。
暖簾に腕押し状態、
それなら一人で考えた方が
時間が短縮できて良い、となる。

そこにいる限り、
自分の想い・意見を言わなければ
二人(又は、そこにいる人たち)での
より良い回答には行き着かない。

理由は理解できても、
実際にできるようにするには
どうしたら良いのだろう。

今朝読んだ #おとなの小論文教室。 に
そのヒントがあった。

「関係把握力」。

人が、ものを書くとき、じつは、無意識に、かなり高度な、関係づけをやってのけています。──おとなの小論文教室。 山田ズーニー

主語は誰なのか。
誰に向けて、何を伝えたいのか。
それを明確にするには、
関係把握にすぐれていることが
必要だと書かれていた。

そして、関係把握力は
練習することができる
と。

「読む→考える→書く」これを第三者から見て批評してもらって、また、「読む→考える→書く」

私の場合は、
読む=理解する、までで
考えることを辞めてしまっている。

理解した相手の意見に対して、自分の違和感、反発、連想したことなどを洗い出すことからはじまって、徐々に、自分に問いかけ、相手とは、違う、自分の考えを引き出していきます。これも、単純な思いつきレベルから、しだいに、深い、複雑なことも、考えられるようになります。

まずは、この練習を
コツコツと続けていきたい。


photo by 写ルンです│
鳩が飛び立つ瞬間のバサバサという音が、とても大きく響いていた。チームが、個の集合体の何倍ものパワーを発揮するかのように。


サポートいただき、ありがとうございます! 有料noteを読んで、学びにして、また書きたいと思っています。