【書評】価値観を変えるような新しいテクノロジーは「ぬるっと」入ってくる

西田先生シリーズで、『ネット選挙解禁がもたらす日本社会の変容』(西田亮介・東洋経済新報社)も読みました。

ここでいうネット選挙とは、ネットを使用した選挙運動のこと。SNSやブログ、バナー広告が条件によって利用できるように公職選挙法が改正されたのです。しかしこれを、著者は「理念なき解禁」だと主張しています。

ネット選挙が、既存メディア、電話の利活用、戸別訪問など公職選挙法による、他のさまざまな規制との関係の中に位置するものであることを忘れてはならない。ネット選挙はあくまで各論であり、公職選挙法の全体像を見据えた総論も必要である(p.35)

十分な検討が加えられることなく、「日本の法体系全般と比較しても対照的で新しい考え方」である「ネットの設計思想」が公職選挙法に持ち込まれたことを指摘しています。ネットの設計思想とは、

創意工夫を持ち寄り、完成度が十分でなくともプロトタイプをまずは公開し、問題が生じる都度、試行錯誤を経て修正する「漸進的改良主義」というべき考え方(p.49)

これに対して、「日本の公職選挙法は金権政治を強く懸念してできた法律」であり

「時代状況が変わって新しい技術やメディア(文書図画)が登場しても、その利用を制限することによって影響を可能なかぎり遮断し、従来通りの『公平』概念の下で、候補者たちを競わせる」(p.47)
現状の公職選挙法にせよ、その他の法律全般にせよ、この設計思想のもとで作られているとはいえない。これは、機会の均等に支えられた「自由(free)」を重視する英米圏に対し、結果の均等と許認可を重視する日本の法制度の特徴(p.61)

ポスターの枚数や政見放送など「結果の平等」を強く意識してきた日本の法制度に、ネット的な考え方が入るとどうなるのか。

このあたりの問題を吟味せずにネット選挙を解禁したことから、「理念なき解禁」と主張しているのです。

なんとなくですが、選挙に限らず世の中の多くの場面で「十分吟味されないまま、ネットの設計思想が入ってきている」というような状況では、とも感じます。仕事とか、普段のちょっとした場面でも。

価値観が変わるようなテクノロジー、という意味では、テレビが入ってきたときはどうだったんだろう。おそらくぬるっと人々に入り込んで、よくわからないうちに「流行」とか「消費」に巻き込まれて、ある程度みんながその性質をわかってきた頃になって、「信頼できない」とか「マスゴミ」とか言われ始めたのでは、という気もする。

ぬるっと入り込むのは止められないとすれば、それに振り回されないように自分のリテラシーを高めるしかないんだろう、という結論になってしまいます。



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