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ノートの勧め(その4)——未来について。
今回は、「備忘録」(メモ)としてのノートではないというところに焦点を当ててみましょう。
「備忘録としてのノート」の典型的な例は、学校の先生のする、いわゆる板書を書き写すためのノートでしょう。早い話が、試験対策の一つですね。端的に言って、「創造的なノート」の対極にあるものです。
ここで勧めているノートは記憶を補佐するためのものではありません。むしろ、何かを探すための補助手段と言うべきものでしょう
ノートの勧め(その3)——余白について。
結局、ここで言う「ノート」とは余白のことか、と思ったりもします。
もちろん、人によってノートをつける目的は様々です。取材ノートとか、料理ノートとか。でも、この場合のノートはメモと置き換えてもいい。
前回の投稿には「創造的なノート」というサブタイトルをつけました。メモというのは備忘録の一種、ヴァレリーがつけていたような「ノート」は、おそらく自分自身と対話するためのもので、彼はそのときの言語を「
ノートの勧め(その2)——創造的なノート
「ノートの勧め」の続きです。
軽い感じで書きはじめたのですが、ポール・ヴァレリーだのパスカル・キニャールだのの話をしだすと、にわかに文章が堅苦しくなってしまう。
そもそも、ポール・ヴァレリーって誰? と思う人もいるかもしれない。
娘には「夏目漱石みたいな人だよ」と超アバウトに説明したら、「あ、そうなんだ」という答え。
共通項は「国民作家」くらいしかないので、いかにもアバウト過ぎますが、く
ノートの勧め——その1
前回は、目下取り組んでいるフランスの若手作家の『7』というタイトルの作品について触れました。一九八一年四月の生まれだから(ウィキペディア情報)、今年で四十三になる計算です。
この歳になって、自分の娘たちとほぼ同世代の作家の翻訳をすることになるとは思ってもみませんでした。この若さのエネルギーたるや、凄まじいものがあります。この年代の自分を振り返ってみても、怖いもの知らずというか、何もかも怖いから
『失われた時を求めて』の翻訳
さて前回、プルーストについて、もう少し俯瞰的にみることにしようと「予告」したのはいいけれど、そもそも物事を俯瞰的にみるというのはそう簡単なことではありません。気が重い。
というわけで、気張らずに、肩の力を抜いて書いていくことにします。
まず第一に「必読書」なんてものはないほうがいい。楽しいはずの読書が苦役になってしまうから。「勉強」もそう。勉めて強ばるだなんて、よく見ると恐ろしい字だ。
で
「全翻訳リスト」について
数日前、このページを編集してくれている娘(次女)が「全翻訳リスト」なるものを作り、ここにアプしてくれました。けっこう手間と時間がかかったにちがいなく、自分の仕事の合間を縫っての作業はけっこうストレスだったと思います。近くに住んでいれば、缶ビールの差し入れなどするところですが……。
このリストのデータは、じつは「新十勝日誌」(ブログ)の固定ページに載っています。ただし、刊行年の古い順に並べてある
『言語の七番目の機能』訳者あとがき
これはけっして、柳の下の三匹目のドジョウではありません。
ついにローラン・ビネの第四作目『パースペクティヴ』(仮題。Perspective(s) ; Editions Grasset & Fasquelle, 2023. 東京創元社より来年刊行の予定)の翻訳に取りかかったからです。フランスの版元の触れ込みでは、ルネサンス期のフィレンツェを舞台に展開される「書簡体歴史ミステリー」とのこと。もちろ
『HHhH——プラハ、1942年』(文庫版)の訳者あとがき
前回、『四つの小さなパン切れ』という十年前に出した本の訳者あとがきをここに再録したら、思いがけない反応があったので(現時点で❤️マーク14)、柳の下のどじょうではありませんが、すでに内容の一部を紹介した『HHhH』のあとがきも再録してみようという気になりました。これもまたいわゆる「ナチスもの」であり、戦争の「狂気」と真正面から取り組んでいる作品なので。
今回の投稿は、作者ローラン・ビネとの交友
『四つの小さなパン切れ』(訳者あとがき)
また以前出した翻訳書の紹介です。
時期は二〇一三年ですから、『オーケストラの絵本』の一年前ということになります。
こちらは何度も重版がかかったというものではありません。初版を出した年、すぐに重版がかかり、お、どこまで伸びるだろうと期待させましたが、一回きりの増し刷りで止まってしまいました。
なぜ、『オーケストラの絵本』のような庶民的な本の次に、ちょっと地味目な本を紹介するかといえば、今まさ