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向こう側へ 船を出す

今日、明日、あさって、
その先、その先のまた先……。

どこまでが、 私たちの「リアル」?
どこからが、 私たちの「リアルの向こう側」?

「未来」へは、
どすれば行けるのだろう?




いい加減な毎日よりも、
ひとつ、ひとつ、丁寧な毎日は良い。

そうだけど、
まあ、そうなんだけれど……、


気がつくと、
感じ過ぎたり、
こだわり過ぎたり、

日々の中で、迷走したり、
森の中で、瞑想したり、
家の中で、メソメソしちゃったり、

未来への、想像力を、
目の前への、感情力が押しやる。

足元の陸地は広がるけれど、
未来に漕ぎ出してる感じがしないのは、
なぜだろう?


「目の前のリアル」は膨張してゆき、
「向こう側の未来」は縮小してゆく、


月日が経てば、
自動的に未来がやってくるわけじゃない。

「目の前のリアル」を積み重ねた先にあるのは、
「間延びした目の前のリアル」
行ってみたかった未来とは違う。



足元を見つめて、
「自分らしく」生きてるつもりが、

もしかしたら、
「動物らしく」生きてしまっている、
 のかも知れない。

動物は好き。
でも、「膨張しすぎるリアル」に、
埋没するのは何か違う気がする。


ムーミンパパが、
ある日、家出をしたようなものか……。



未来は、目の前のリアルの向こう側にあるけれど、
それは、ひと続きの陸地ではない、

そこには、

波打ち際があって、
潮の満ち引きのように変化する。



未来に、船を出すには、
日常のリアルが膨張しすぎないように、
イマジネーションの紐で、くくっておくといい。


すると、
日常のリアルに追いやられていた、
未来の波が寄せてくる。

「ピクッ」と直観が動いたら、
「サクッ」と船を出す。



あとは、
潮の流れを読みながら船を漕ぎ続ける。
ここは「超リアルに」漕ぎ続ける。


すると、
潮は然るべき場所まで船を連れいく。


そうしてたどり着く場所は、
昔の「間延びしたリアル」とは次元が違う場所。
ここは未来だったと、感じれる場所。


ちなみに、
膨張しすぎた目の前のリアルには、
多くの「感情」が潜んでいる。

感情をより分けて、手放すと,
膨張は収まる。

やることが減るので、
丁寧自体の良さを、
放棄しなくてもいい。



また、
丁寧を無視して、
船にも乗らず、
無邪気に未来に泳ぎ出しても、
溺れて岸に突き返される。


今と未来の間には、

波打ち際があって、
潮が満ち引きしている。


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