見出し画像

第二次世界大戦の原因をリアリズムで分析すると何が分かるのか?:Deadly Imbalances(1998)の紹介

今でも第二次世界大戦(1939~1945)の原因をめぐる政治学者の論争は果てしなく続いています。研究者の立場は多種多様であり、当時のドイツのアドルフ・ヒトラー総統の個人的属性を重視する論者もいれば、世界各国の勢力均衡の安定性を重視する論者もいます。

国際政治学の理論の一つであるリアリズムを使っている研究者は、政治指導者の個性や各国の政治システムの特性も考慮事項には入れますが、世界規模で見た勢力均衡の安定性の変化によって戦争の勃発を説明すべきであるという立場をとっています。オハイオ州立大学教授ランドル・シュウェラー(Randall L. Schweller)もこの立場に依拠している政治学者であり、彼の著作『致命的な不均衡(Deadly Imbalances)』(1998)では、第二次世界大戦の原因をリアリズムの理論で説明可能であることを論じています。

この記事では、リアリズムの中でもネオクラシカル・リアリズム(neoclassical realism)と呼ばれるシュウェラーの理論の内容を紹介し、それを使って第二次世界大戦の原因がどのように説明されているのかを紹介してみようと思います。

画像1

リアリズムの勢力均衡理論はいかに戦争を説明するか

国際政治学の分野でリアリズムの発展に貢献した政治学者ケネス・ウォルツは、かつて『国際政治の理論』(1979)の中で国際社会で大国の地位を占める国家、つまり「極」となる国家の数が「国際構造」の安定性を決めると論じたことがあります。

つまり、国際社会が多極構造に近づくほど、情勢は不安定になり、戦争が起こりやすくなるのです。反対に国際社会が二極構造に近づくほど情勢は安定に向かい、平和が保たれやすくなると考えられます。

シュウェラーもこの勢力均衡理論を受け入れているのですが、彼はウォルツの議論をさらに精緻な議論に置き換えることができると主張しました。例えば、ウォルツは国際構造を分類する基準として、極を形成する大国の数を測定していますが、大国の定義を定量的な基準で示してはいません。シュウェラーは戦争の相関関係プロジェクト(Correlates of War project)で提供されているデータを使えば、より客観的な国力比較が可能だと主張しました。

さらにシュウェラーは国家の能力だけでなく、意図の影響を取り入れた勢力均衡理論に発展させることも試みており、あらゆる国家を(1)無制限の修正主義国(unlimited-aims revisionists)、(2)限定的な修正主義国(limited-aims revisionists)、(3)現状に無関心な国(indifferent toward the status quo)、(4)現状維持国(ただし平和的・限定的挑戦を容認する国)、(5)厳格な現状維持国(いかなる変更も認めない国)の5種類に分類することを提案しています。ここでは、その国家が現状の国際秩序にどれほど不満を持っているかという基準で類型が構成されています。

これらの修正を重ねることで、勢力均衡理論の説明能力を一層強化できるというのがシュウェラーの主張でした。さらに注目すべきは、ウォルツの勢力均衡理論で二極構造と多極構造の中間にある三極構造に特有の不安定性が無視されているとシュウェラーが指摘したことです。

この点については少し専門的になってしまいますが、詳しく説明してみましょう。

もし世界征服を目論む修正主義国が世界に登場し、同国が1,000,000名の大兵力を持っていたとします。しかし、二極構造の世界であるならば、それと同程度の兵力を持つ国家が存在していることになります。というのも、シュウェラーの定義では、極となれる大国とは、世界最大の勢力を保有する国家に対して50%以上の勢力を持つ国家のことを言うためです。

もし両国の勢力比が1:1かそれに近い比であれば、どちらかが軍事行動を選択したとしても、たちまち攻撃は頓挫する公算が高いので、抑止しやすくなり、結果として勢力均衡は安定的だと判断できます。ちなみに、二極構造では侵略者と防衛者が入れ替わったとしても、結果が大きく変わることはありません。二極構造では戦争のリスクは小さく、平和が維持されやすい情勢だと評価できるのです。ここまではウォルツの勢力均衡理論とまったく同じ論理が展開されています。

ところが、シュウェラーの理論では、三極構造の世界を想定すると、勢力均衡が突如として不安定化してきます。A、B、Cという同程度の国力を持つ3カ国のうちAだけが修正主義国の立場を選択したと想定してみます。この場合、BとCが厳格な現状維持国の立場でAの武力攻撃を抑止するなら、ほとんどAに勝ち目はなく、戦争を思いとどまるでしょう

ところが、三極構造では、BとCのどちらかが現状に無関心な国になり、局外中立の道を選ぶと、AとBだけが対峙する状況になります。さらに、Cが限定的な修正主義国の立場をとってしまい、Aと手を結ぶ事態になれば、厳格な現状維持国のBに対して2倍の勢力で攻撃が可能になります。このような場合には抑止が困難なので、戦争のリスクが上昇します。したがって、三極構造の勢力均衡は不安定であると言えるのです。

このシュウェラーの分析で最も興味深いのは、三極構造であれば、わずか一カ国を味方につけるだけで、勢力均衡の安定性を大きく低下させることが可能な国際構造であることを指摘したことにあります。

ここは直観的に理解が難しいところだと思うので、別の国際構造のパターンで発生する勢力比を考えてみましょう。

例えば国力水準が等しいA、B、C、D、Eの5カ国で構成される五極構造の世界を想定してみます。もし現状維持国がDとEの2カ国だけで、残りの国々はすべて修正主義国であったとしても、修正主義国陣営の勢力は1+1+1/1+1=1.5、つまり1.5倍の優位を占めるにすぎません。

ちなみに、七極構造で4か国が修正主義の立場に回る場合だと1.33倍、九極構造で5カ国が現状打破に回る場合だと1.25倍、十一極構造で6カ国が現状打破に回る場合だと1.2倍の優位を占めることができる計算です。

いずれの国際構造においても修正主義国が多数を占める事態を想定していますが、勢力の優越を確保することがだんだん難しくなっていくことが分かると思います。

三極構造で勃発していた第二次世界大戦

シュウェラーは自らが展開した勢力均衡理論の分析を踏まえ、三極構造が第二次世界大戦の根本的な原因であった可能性が高いと主張しました。これがこの『致命的な不均衡』の軸となっている議論です。

当時、世界の列強として考えられる国としては米国、ソ連、ドイツ、イギリス、フランス、イタリア、日本などがありました。ところが、先ほど言及した戦争の相関関係データを使って物的国力の定量比較を行うと、第二次世界大戦で大国と呼べる国力を保持していたのは米国、ソ連、ドイツだけであり、それ以外のイギリス、フランス、イタリア、日本は、その半分以下の水準でしかなかったことが分かりました。シュウェラーはこれらの国を準大国と呼んで大国と区別しています。したがって、第二次世界大戦が勃発した当時の世界の国際構造は三極構造だったのです

シュウェラーの分析によると、アドルフ・ヒトラーが採用したドイツの戦略は三極構造の特性に上手く合致していました。ヒトラーの対外政策にどの程度の計画性があったのかについては研究者の間でも議論があるのですが、シュウェラーの見解によれば、遅くとも1928年以降にはドイツの対米戦は不可避だと想定していました。

さらに、将来の対米戦に備えるためには、前もってソ連を征服し、大西洋からウラル山脈までにわたるヨーロッパ大陸をドイツの支配下に置くことが戦略的に必要であるとヒトラーは考えていたこともシュウェラーは述べています。

例えば、ヒトラーは人的資源の大きさを国力の基本要素として重視していたのですが、「大陸を支配しない限り、世界政策を考えることは馬鹿げている。(中略)ドイツ帝国の人口は1億3000万であり、ウクライナの人口は9000万である。他の新しい欧州諸国を加えれば、米国の人口1億3000万に対して、われわれの人口は4億になるだろう」と述べており、ヒトラーの戦略ではドイツが人的国力で米国に対して圧倒的な数的優勢を確保することが必要だと考えていたと判断できます。

さらに三極構造における勢力均衡の不安定性を考慮すれば、1939年にドイツがソ連と独ソ不可侵条約を締結したにもかかわらず、1941年に独ソ戦を開始した理由も理解できます。先ほど述べた通り、三極構造は各国の能力のバランスだけでなく、各国の意図によって安定性が大きく変化する性質があります。

もし対米戦を始めたとしても、ソ連がドイツとの関係を見直す可能性がある限り、ドイツは決してソ連に対する警戒を緩めることができません。対米戦の推移を見て、ソ連は任意の時点で米国と手を結び、対独戦に参戦する恐れがあるからです。そうすると、ドイツは対米戦に勢力を集中できなくなってしまうでしょう。対米戦が不可避であることを前提にするのであれば(このヒトラーの情勢判断が正しかったかどうかに関しては議論の余地が大いにあるでしょう)、ドイツはその前にソ連を完全に無力化しておかなければなりませんでした。

ある意味においてヒトラーは将来的に予測される対米戦のリスクを重視したからこそ、対ソ戦を引き起こすことを選んだと考えることができます。もちろん、シュウェラーの『致命的な不均衡』はあくまでも理論を主体にしている研究であって、歴史の研究ではありません。しかし、定性的な方法で歴史上の出来事を追跡する場合に見落とされがちな国際構造の要因の影響が体系的に分析された意義は小さくないと思います。というのも、国際構造は対外政策を選択する前提知識となる将来予測を作成する際に、最も参照することが多い情報だからです

シュウェラーの定量的な国力比較の分析によって1939年の世界情勢の不安定性が勢力均衡理論の予測と整合的であるという指摘は、第二次世界大戦の原因を考える人々だけでなく、今後の世界情勢を考える上でも興味深いのではないかと思います。

まとめ

シュウェラーの分析はヒトラーの戦略に一定の政治的合理性があったことを示唆しています。少なくとも、1939年に独ソ不可侵条約を締結して、東欧の安全を確保し、米国が中立を保っている間にイギリス、フランスを叩いたこと、また1941年に独ソ戦を開始したことは三極構造の戦略として理解することが可能です。

1941年12月に日本が対英米開戦した出来事をヒトラーが歓迎したことも、対ソ戦を終わらせるまで、対米戦を先送りにできることを期待していたからでした。

結局、1941年12月からドイツ軍はソ連軍の反攻を受け、モスクワの攻略奪取を断念せざるを得なくなっただけでなく、東部戦線の各地で作戦部隊を後退させることを強いられました。これによってヒトラーの戦略は多くの面で頓挫することになります。

したがって、当時のドイツの戦略が国際構造の特性と適合していたとしても、戦略を実行に移す作戦のレベルで問題があったことが第二次世界大戦の推移に重大な影響を及ぼしていた可能性があるでしょうが、この可能性に関しては別の記事で取り上げたいと思います。

関連記事


調査研究をサポートして頂ける場合は、ご希望の研究領域をご指定ください。その分野の図書費として使わせて頂きます。