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【突破する図解】解釈を図にする図解をつくり続けてきた意味

「図解」って、どんなイメージを持っていますか?、テーマを分かりやすく理解させてくれるモノ?、伝えたい情報を端的に表現するモノ?

そう、「図解」って99%コミュニケーションのためだとイメージされていますよね。でも、この記事ではコミュニケーションのための図解については取り上げません。

マトリクスとかベン図とか、フツーに「図解」で検索したら出てくるテーマについては一切触れません。もし、そういったテーマに興味があるなら「図解」と検索すればいくらでも情報が出てきますので、その中から自分にフィットしそうな情報を探してください。

いまから書き連ねるのは「図で解説」するわけではなく「解釈を図にする」ことを、ひたすら続けてきた一人の人間の物語です。

いや、物語とか表現したら大袈裟かもしれませんが、それでも解釈を続けてきたことで得たチカラがあることは確信しています。「図で解説」する一般的な図解から得られるチカラとは全く異質なモノ。「解釈」×「図」の組み合わせをひたすら継続し続けるから見えるようになった世界がある。

そんな僕の感覚を、ただただ語る投稿です。この後もしばらく暑苦しい感じで進めますが、お読みいただける方はどうぞ薄着でご覧ください。笑



01.普段から図解を続けています


いま、Twitterで毎朝図解をツイートしています。こんな感じで。


「図解」と言うには、ちょっと疑問符がつきそうなモノも図解としてツイートしています。

しかしコレも、僕の中では立派に図解です。

Twitterで毎朝図解ツイートを始めたのが今年の6月でした。実はそれまでに、これまでの累計で大体1,500枚ぐらいの図を作ってきています。しかも直接的な仕事には関係ないモノとして1,500枚です。仕事で作った分を合わせたら何枚ぐらいになるんだろう?、ちょっと自分でも分かりません。

図解を始めたのが2018年の夏頃。なので、だいたい1日に1枚ぐらいのペースですね。1,500枚という数字が多いのか少ないのかはよく分かりません。その辺の評価はこの記事をご覧いただいている皆さんにお任せします。しかし、自分では自慢できる数字だと思っています。そして、この数字はこの先も積み上がっていきます。

なお、図解のまとめはこのnoteのマガジンに掲載しています。

(注)よく図解に登場するキャラクターも描いているんですか?と聞かれますが、これは僕の作品ではなくイラストレーターさんが素材サイトに提供されているフリー素材です。こういった素材を組み合わせて表現することが多いです。



02.図解を始めたきっかけ


図解を始めたキッカケは、とあるテーマブログの運営を始めたからでした。

しかし、ブログを始めようと思った当時の自分には全く文章力がなく、「こりゃまず伝わらないなぁ」という課題感から、仕方なく補足として図をつくるようになったのです。(今も文章力ないじゃないかー!ってツッコミは禁止ですよ。泣いちゃうので。)

だから最初のころは一般論的な図解、つまりは「図で解説」しているつもりだったんです。しかし、よくよく考えたら自分の図はほとんどが「解釈を図にしたモノ」だったんですよね。

図は、自分の中にある「こうあるべき」「こう考えた方がグッド」「こうすれば面白い」を可視化していったものです。だから、どうあっても「解釈」が下敷きになっています。ブログを書いているときには常に自分の解釈が存在した前提での図を作り続けていたと、あとになって振り返って気づきました。

ブログを書き始めた最初の頃は文章を作ってから図を作っていたのですが、途中からは図が最初に出来上がり、その図に肉付けする文章を作っていくなどプロセスが逆転したりもしました。いつしか図解は日常的な行為になっていったのです。

しばらくそんな具合でブログを舞台に図解を続けていたのですが、あるときにブログのテーマを離れて、もっと広い意味で自分の関わる世界を図にし始めます。

「あれ?、いま自分に浮かんだ思考って図にできるんじゃない?」って思ったのが転換点だったかもしれません。どんどんテーマブログを離れて図解を始めるようになります。

すると、SNSやリアルな関わりのある人たちから「図解が面白い」「解釈が新鮮」といった反応がポコポコと湧き出てくるような状況が起こり始めます。

「構図にするチカラがすごいねぇ」とか言われても、当時の自分にとっては「えっ!?、そんなチカラ僕にあるの?」と言う感覚でした。だって、人生の中でほとんど意識したことのない方向性のスキルでしたからね。そんな声をもらうこと自体が自分にとっても新鮮でした。

しかも話はそれだけで終わらずに、具体的に「壁打ち・コーチング的なお仕事」や「事業開発的なお仕事」を依頼いただいたりするようにもなったのです。今でこそ、自分のホームページでメニューとして提供していますが、当時はそんな仕事をしますなんて一言も口にしていません。「こんな感じなコトをお願いしたいんだけど、できる?」といった感じでお話しいただく感じからお仕事に繋がっていく感じでした。

あぁ、もしかしたら自分が意識していなかったチカラが培われているかもしれない。この段階に至って、ようやく実感するようになってきたのです。図解し続けた枚数だと1,000枚ぐらいになったタイミングだったかな?、ブログとは異なるテーマの図解表現を始めてから大きくは時間が経っていなかったと思います。



03.解釈を図にするとはどんな行為?


さてさて、先ほどから何度か「解釈を図にする」と表現していますね。
コレは一体何を指しているのか。

単純な「解釈」というワードは皆さんイメージができると思います。自分の意見と言ってもいいかもしれません。「事実と解釈を分けろ」とはビジネスマンなら一度は言われていますよね。

一般的な「図解」の意味する「図で解説する」行為はテーマそのものを表現したモノです。そこに自分の解釈は載らないことがほとんどであり、事実と解釈の「事実」にあたる要素を調理したモノと捉えることができます。いわば、事実を相手とのコミュニケーションのために調理したモノと言えますよね。

一方で、僕が使う「解釈」と言う言葉は、他者とのコミュニケーションを目的にしたものではありません。むしろ「自分とのコミュニケーション」と表現した方が、しっくりきます。

「自分とのコミュニケーション」ときましたよ。
さてこれはいかに。

解釈をするためには、テーマの構造が分かっているだけでは足りないのです。そもそも自分の意見がなければ解釈できないのです。テーマをどう捉えるか、ここに「自分の向き合い方」が現れます。

例えば・・・何でもいいです、パッとニュースサイトでも見てみてください。トップに表示されているニュースをそのまま読んでみましょう。

さて、あなたはそのニュースに賛成ですか?、反対ですか?、共感を覚えますか?、それとも反感を覚えますか?、いまあなたが抱いた感情や思考はどんなモノですか?、何も思わなかったとしてらなぜ何も思わないのですか?、あなたにそう思わせる背景はどんなものによってですか?、あなたがそう考えるに至ったのはあなたがこれまでの人生で何を感じてきたからですか?

そう、解釈をしようと思うならば自分自身の価値観と向き合わざるを得なくなるのです。

僕がここで使う「解釈」とは「自分の軸」からテーマを捉えたモノです。解釈の軸は他人や社会ではありません。

もちろん一般的な解釈という言葉は、その軸を他人にすることができます。ですが、「解釈を図にする図解」は「自分の軸」とつながっているからこそ意味が生まれます。解釈とは自分自身とテーマをつなぐ橋のような存在でもあるのです。

テーマに対して好感を抱くのか、反感を抱くのか、不足感を抱くのか、発展可能性を抱くのか、何も感じないならなぜ何も感じないのか、これらは自分の価値観を自分で理解しているからこそ説明と表現ができることです。

だから「解釈する」を突き詰めていくと「なぜその解釈をするのか」「なぜ良いと感じる、悪いと感じるのか」「そもそも自分はどんな価値観をもっているか」「なんのために自分は生きるのか」といった、人生の命題そのものにまで潜り込むことになります。

究極的には「解釈」と「価値観」は接続したモノ。
これが僕の表現する「解釈を図にする図解」です。



04.解釈を図にする行為を継続した先に何がある?


「解釈を図にするチカラ」は一朝一夕に身に付くモノではありません。しかし、「解釈を図にする行為」を日々の習慣として継続的に行うことには、とてつもなく大きな意味があります。最近になって積み重ねの意味を言語化できるようになりました。

解釈を図にしようとすると、自分と徹底的に向き合うことが必要になります。そして、自分と徹底的に向き合ったうえでテーマやその先の社会との接点を見出していきます。

これを繰り返す、とにかく繰り返す、あらゆるテーマと自分との関係性に向き合いつづける。「テーマを俯瞰する」→「自分と向き合う」→「なぜそう思うのかを表現する」→「ひたすら繰り返す」というプロセスですね。

解釈を図として表現するためには、自分のスタンスを決める必要があります。いまこの瞬間の自分はテーマをどう捉えるのか、テーマと自分との関係性をどんなものと位置付けるのか、これは自己決定的な行為です。それを毎日のように繰り返すわけです。

そんな行為を毎日繰り返すと何が起こるか。

「以前の解釈」と「今日の解釈」が矛盾したりするんです。まったく同じテーマについて考えていたわけではなくとも、共通する土台を前提にしているテーマはたくさんあります。

その中で自分の解釈に「おかしいぞ」「なぜ自分はこう捉えているんだ」「なんで前と解釈が変わっているんだ」と感じるような状況が生まれるのです。

矛盾感を抱いたとしても「解釈を決める」ことは毎日のように繰り返します。

その過程で、自分の思考にもう一度深くダイブしていったり、テーマそのものをもっと俯瞰して見つめてみたり、深海と天空の両方を行ったり来たりしながら思考を深めていくような作業を繰り返していくわけです。

深海は「自分の生きる意味」にまで頻繁にたどり着きます。一度考えるだけでなく何度も何度も何度も考え、その度にアウトプットを繰り返します。矛盾に気づき、矛盾に気づくからこそさらに深掘りし、深掘りしたうえで日々の中で自己決定を行為として実践していく。すると、どんどん自分自身の軸すら整っていきます。

そんな毎日を繰り返したからこそ「解釈を図にするチカラ」が身についたんだと思います。

「解説」が目的なら、テーマを俯瞰して間違えないように表現すればいい。
「解釈」は自分の奥の奥と向き合い続け、社会との接点を毎回見出す行程。
この違いが、「解釈を図にする」の意味を支えている要素です。



05.具体的にどんなチカラを得てきたのか


さて、ではもっと具体的に解釈を図にする行為によって得た行為について掘り下げていきましょう。

「図で解説する図解」とは異なるチカラが身に付くとご理解いただいたと思います。では、アウトプットと言う意味では共通する「文章」とはどう違うのか。文章も解釈を書き連ねていけば似たようなチカラが手に入るのか。これもまた「解釈を図にする」ことで得られるチカラとは異なっていると感じています。

そんな「解釈を図にする図解」だからこそ身につくチカラは大きく分けて4つあると実感しています。


▶︎①テーマの全体像を捉えるチカラ

とか言いながら最初はコレです。このチカラは「図で解説する」の一般的な図解でも身に付きます。全体像そのものは下敷きであるため、ここは解説も解釈も共通のモノであると捉えています。

テーマそのものがどんな構造をしているか、どこにどんなプレイヤーや要素が存在してどう関係し合っているか、瞬間で切り取ったときにどんな見え方をするか、時間軸を長く取ったときにどんな見え方をするか、寄った視点・離れた視点、それぞれどう見えるか。この辺りを整理していくプロセスです。

ロジカルシンキングではMECEといった語られ方をしますが、感性的に見るならば敢えての重なりや抜けモレにも意味があったりします。ロジカルとエモーショナルの双方からテーマの全体像を捉えにかかります。

そして、テーマの全体像を捉えた先の関わり方に「解説」と「解釈」の違いが現れてもくるのです。


▶︎②スタンスを決めるチカラ

テーマの全体像を捉えたとしても、そのままでは何の意味もなしていません。たとえばあなたはお腹が空いているとして、目の前に「じゃがいも・にんじん・玉ねぎ」が「ある」だけの状態がこの現状です。その先に「料理」をしなければ、あなたのお腹は満たせません。

しかし、ここで大切な問いかけがあります。あなたは「何を食べたい」のでしょうか。この食材を使うならばカレー・シチュー・肉じゃがなどが考えられますね。強烈なスパイスをたっぷり使ってヒリヒリするようなカレーが食べたい?、それとも胃に優しく落ち着いたシチューが食べたい?

そう、この問いかけに応えるためには自分の「食べたい」が分かっている必要があるのです。自分の意志が自分で分かっていないと「決める」ことはできません。

テーマに対してどんなスタンスでいるか。それは食材に対して自分の食べたいメニューを見出すことと言えるかもしれません。


▶︎③介入方法を見出すチカラ

単純に「解釈」という言葉だけを取り上げるのであれば、一つのテーマを色んな軸や角度から解釈することができてしまいます。それこそ他人軸であれば、ある立場の人・別の立場の人など様々に思考を展開させることも可能です。

しかし、「解釈を図にする図解」は自分軸からの解釈です。だからあくまで「テーマ」と「自分」をどう繋いでいくのか、その介入方法を見出していきます。

ポイントはテーマと自分をつないだときに、どんな「意味」を見出せるか。

これが片方だけの意味になっていると考えても仕方ありません。両者にとって「意味」を見出すことができるかを探っていくのです。哲学の弁証法が似たような思考アプローチだと思います。

と、そんな思考をしていると、どんどんテーマと自分の境界線が曖昧になっていきます。自分のことを思考しているのかテーマのことを思考しているのか分からなくなることが多いです。僕はこの状態を理想に近い状態と位置付けています。

テーマの全体像に向き合っている最中には、どちらかと言えばロジカルシンキング的な思考を取るシーンが多いので、テーマ自体を「分割する」思考になりがちです。しかし、この段に至ってくると分割ではなく融合的な思考になってきます。あえて解像度を粗くして抽象度を高めていくようなアプローチを実践していきます。

テーマと自分が一体になっていくような感覚になっていくと、自分の感情面からテーマの中に入ることができるようになります。よくある表現を使うなら「当事者意識」を持ったり「自分事」になっていると言えるでしょう。自分が拡張していく感覚は、この介入方法を見出している段階でよく起こります。

さらに、自分の介入スタンスが見出せれば、価値観や背景の異なる他人による介入方法も見出せるのです。自分をアンカーにして基準をつくり、他人と自分の違いを相対的に見比べることで他人の介入アプローチを見出していく方法ですね。

価値観に沿った介入方法とは、ある意味で究極的に自分事です。内発性を重視するようなアート思考もこの文脈と近いでしょう。だからこそ「解釈」にエネルギーが生まれるのです。


▶︎④一枚のイメージに表現するチカラ

全体像を捉え、スタンスを決め、介入方法を見出した。しかしこれはまだアウトプットにまで至っていません。ここから一枚の図にしていくプロセスになります。

で、ここは明確な方法論があるプロセスではありません。

「解釈を図にする図解」は自分の価値観とつながっているモノです。と言うことは、1枚のイメージに落とし込んだときに自分の「理性」と「感性」の両方が納得しているモノでなければ「解釈を図にする」までは至っていないのです。

しかし、「理性」と「感性」が納得するためのアウトプット方法は人によって異なります。同じような表現であっても心の底から腹落ちする人と、何かが歯に挟まったような感覚を抱く人がいるのも自然ですよね。

図で解説する方の図解の一般論として「伝わりやすい構図」や「表現のセオリー」があることはあります。しかしそのセオリーが自分自身の腹に響いてくるかと言えば、話は別です。

ベン図やマトリクスやフロー図は「分かりやすい」と言われていますが、自分自身が理性と感性の両方で納得できているかと言えば、全然別の話だったりするのです。

繰り返しになりますが「解釈を図にする図解」は他人とのコミュニケーションを目的としていません。ただひたすら「自分とのコミュニケーション」を行うモノです。

論理的には自分でも筋が通っていると思うのに、なぜか腹に落ちてこない図になっているとするならば、きっと自分の感性が納得していないのでしょう。

この感覚は、最初のうちはよく分かりません。
理性と感性の両方と言われたところで「何のこっちゃ」となるのが普通です。

ですが、先に挙げたような自分の価値観の最深部まで潜り、テーマへの介入方法を探しまくるようなアプローチを毎日繰り返していると自分自身に対するセンサーの感度も高まっていきます。

すると、ある時期から「頭では納得できるけど腹では納得いかない」といった状態にも気づくようになっていきます。そして、アウトプットを繰り返していくと、そのブレーキがどの辺りで生じているのかもアタリをつけることができるようになっていきます。

一枚の図は、自分の論理と感性が納得しているかどうかを如実に突きつけてきます。

制約のある画面上の中で、いかに自分とテーマの接点を本質突いた表現にできるかどうか、これは自分自身との勝負であり自分自身と対峙する繰り返しでもあります。

「解釈を図にする図解」だからこそ必要なプロセスであり、得られる経験でもあります。同じ解釈をアウトプットする方法論であったとしても「文章」では論理と感性の両面へのアプローチは難しくなります。1枚のイメージであるからこそ、起こることです。

そして、自分に対する納得を突き詰めれば、結果的に「他人にも伝わる」モノになっています。

自分と他人は別の人間であるとはいえ、自分と他人には必ず接点があります。深く自分に突き刺さっているアウトプットは、必ずどこかの誰かにも深く突き刺さるはずです。



06.解釈を図にするチカラを得た結果、何が起こったか


整理しましょう。
解釈を図にし続けることで得られるチカラは以下の4つです。

  • テーマの全体像を捉えるチカラ

  • スタンスを決めるチカラ

  • 介入方法を見出すチカラ

  • 1枚のイメージに表現するチカラ


そして、このチカラの背景には自己理解・内省といった要素が多分に含まれます。これが、改めて自分の辿った1,500枚を振り返って整理できたこと。

さて、ならばそのチカラは今の自分にどんな活き方をしているのか。断っておきますが、直接的に「図解する」といった仕事をしているわけではありません。「図解」そのものから収益を得たことはありません。

しかし、このプロセスで得たチカラによって、やったことのない仕事をいただく機会を得たり、これまで思いつきもしなかった事業のアプローチを見出したりと、仕事面への影響は非常に大きいです。

例えば英会話講師の方と新たに作った多くの人が気づいていない英語の特性を利用したワークショップの開発や、とある上場企業の取り組む新規事業開発チームへの外部ブレーンとしての参画など、「解釈を図にする」を始める前には想像もしていなかった機会を得ています。

それ以上に、僕自身がどう生きていくのかを常に内省する機会になっています。

いつだってこの日常の行為から自分の生きる意味へ深く潜り込んでいきます。ときに以前考えていたことと思考が変化していたりするのですが、そんな変化を敏感に掴み取ることができているという意味でが非常に大きな意味を持っています。



07.「解釈を図にする図解」のこれから


さて、今年2022年の6月時点で仕事関係なく作った図が1,500枚ほどになっていました。大体この辺りの時期でここまで書き連ねてきたようなことが体系化できていたような状況でした。そこからTwitterで毎日の図解ツイートを始めるに至ったのです。

なぜTwitterで毎日の図解をはじめたか。これは解釈を図にし続けることで得てきたチカラをもっともっともーーーーっと研ぎ澄ませていきたいと思ったからです。

突然ですが僕の誕生日は11月です。この記事を書いている10月現在で38歳、もうすぐ39歳ですね。40歳が徐々に見えてくる、人生の折り返し地点が近づいてくるなかで、自分が培ってきたチカラをもっともっと研ぎ澄ませていきたいと感じたのです。

2022年の6月から40歳の誕生日を迎える2023年の11月までは日数にすると500日ちょっと、毎日図解をツイートすれば累計枚数が500枚増えるわけです。

つまり。2022年6月までに積み上げた1,500枚と2023年11月までに積み上げる500枚を足すと、僕は「解釈を図にする図解」を2,000枚も積み重ねる計算になります。

これだけ積み重ねれば、いまの自分からさらに違った視点やチカラを得ることができていることは間違いないと、半ば確信めいた期待感を持って始めたのがこの企画です。

40歳って節目だと思うのです。

そのときに、どんな自分でありたいかを突き詰めて考えたときに、いま持っているチカラをさらに研ぎ澄ませていこうと考えたのです。40歳に至るまでに残った時間と、日々の行為を「バックキャスト」と「フォアキャスト」の概念を組み合わせて考えた結果、500枚の図解をさらに積み重ねようと決めました。

しかも、Twitterへの投稿をスタートする時点で「解釈を図にする図解」の全体像が体系化できていました。その意味をふまえながら図解することになるので、これから先の500枚はこれまでの1,500枚よりも1枚1枚の「解釈によって生じる意味」がまったく変わってくるのです。現にいま、リアルタイムでその効果を実感しています。

これまでもそれなりのペースで自分に落とし込みながら図解を続けてきましたが、6月以降はさらにこの行為にブーストがかかっている状態になっています。1枚の図解をめぐって自分の中に起こる思考の変遷が、とてもダイナミックで面白いモノになっている感覚があるのです。

もちろん、日々の中で「満足できる図」になることは、ほとんどありません。

大体「もっと納得できる表現にしたい」とか「まだロジックが通っていない」とか「本質に行きついてない」みたいに悶々とすることばかりです。「身についたチカラ」とは表現していますが、あくまでも「自分の中に起こっている変化」ですからね。もっともっと出来ている方は世の中にたくさんいるし、僕自身もっともっとと思っています。

ですが、その繰り返しのプロセスの中でも「今の自分はコレでいく」と自己決定した上でのアウトプットを重ねています。そして、振り返ったときに思考がどんどんアップデートされていく様子も、自分自身の図解を通して感じ取っているのです。

自分自身でもワクワクしつつ、苦しさと楽しさと探究心の中で思いっきり揺らぎながら、この行為にどっぷり身を置いています。2,000枚の図解に至ったとき、どんな自分になっているか、自分自身が楽しみにしつつも皆さんにもウォッチいただけると嬉しいのです。



08.「解釈を図にする図解」のチカラを鍛える方法論


さてさて、ここから先はちょっと蛇足的なオマケです。

解釈を図にする行為を続けてきて、その意味を体系化したような投稿となったわけですが、実はもっと具体的に「解釈を図にするツボ」や「解釈を図にするチカラを磨くためのポイント」なども一緒に体系化してきています。こっちは、あと少しでまとめ終わるぐらいです。

自分がこれまでの4年ほど図解をやり続けて気づいたことではあるのですが、たぶんポイントを押さえれば、「僕がかけた半分の時間」で同じような認識に至れるんじゃないのかなとは感じています。過去の僕に、いまの僕が体系化したTipsを伝えれば、きっと半分の時間で「解釈を図にするチカラ」を得ることができているはず。

ただ、その方法論って「本気でやってみたい」と思う人でなければお伝えしてもピンとこないと思うんですよね。だからこの方法論はどこかに公開する予定は今のところ無くて、自分のまとめ資料として持っているような状態になるかもしれません。

ただもし万が一、普段の僕の図解ツイートを見たり、ここまでの解釈を図にする図解の世界観に触れてもらったうえで、本気でこのチカラを得てみたいと思う方がいるならば、それをお伝えしていったり学んだりするような機会は作っていきたいと思っています。

自分を整えながら、外の世界との交点を作り上げていく。理性と感性が交わる世界をデザインしていく。そんな効果が解釈を図にする図解にあると感じています。

それがコミュニティ的な場のあり方になるのか、書籍的なアプローチになるのか、セミナー的な場になるのかは分かりません。ライトにやってしまうならnoteの有料記事にできなくもないんですが、「継続的な関わり」を作っていく必要があるとも思っているので難しいところです。

とは言え、そもそも「本気でやってみたい」と思う人がいなければ、特に僕としても何かのアクションをするつもりはありません。自分でまとめただけで十二分に自分にとっての意味があるものにはなったので、まぁそれでもいいかなとは思っています。

それでも、もしこの図解の面白き世界を旅してみたい方がいれば、ぜひご一緒したいと思ってもいます。一人で突き詰めるのもイイんですが、誰かと一緒に歩むのもまた多くの気づきがあるんですよね。

自分の内に深く、浅く、広く、狭く、入り込んでいく。理性と感性の交点を探す。テーマと社会の交差点を生み出していく。その先には「とらえるチカラ(自分と外の世界)」と「つなぐチカラ(この両方をつなぐ)」を得ているはず。

自分のことも、社会のことも、その接点や関わり合いを、どうデザインしていくか。これらを自分で決めることができるようになっているはずです。

もし興味がある方は、TwitterのDMでも何でもいいのでコンタクトいただければと思います。


いただいたサポートは探究したいテーマの書籍代等として使わせていただきます☺️