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【逆説論理学】「論理」の限界

オススメ度(最大☆5つ)
☆☆☆☆☆

〜「詭弁論理学」の姉妹編〜

以前読んで非常に面白かった「詭弁論理学」の姉妹編である本書。
「詭弁論理学」と同じく非常に面白くためになった一冊であった。

本書は自然世界、数学、言語など様々な世界での逆説(パラドックス)を紹介して、それらについてキチンと考察するものである。
例えば、有名な「アキレスと亀」。
一定の距離離れた亀をアキレスが追いかける場面で、亀とアキレスは同じ方向に進み続ける。アキレスの方が進むスピードは早いのだが、アキレスが亀のいた位置に着く頃には、亀はいくらか進んでその先の位置にいる。その先の位置にアキレスがつく頃には、亀もさらに進んでおり、さらにその先の位置にいる。また亀がいた位置にアキレスが着く頃には…と繰り返していくと、アキレスは永遠に亀に追いつけない、というやつである。

当然、実際に亀とハンデ付きで勝負してみれば亀を追い抜かすことは可能であることは誰もがわかるのだが、この理論のどこに矛盾があるのかを正確に指摘出来る人は多くはないだろう。
そんな、世の中の逆説について「実際は違うだろ」と簡単に片付けるのではなく、論理的に考え抜いてみる、というのが本書の主題だ。

いわば「なんでも諦めずに最後まで考え抜いてみよう」というのが本書のテーマだと言える。


〜議論必勝法:問いを繰り返して「自己言及」に追い詰める〜

さて、本書では逆説から「論理的に考えること」について考察することとなる。
僕の嫌いな「論破」というものも、いわば論理的思考を用いた技であるが、これは本当に世間がもてはやすほど万能な考え方なのか?(「論より詭弁」では、「なんでも論理的に考えて楽しいかい?」という問いを投げかけられたが、それでも「論理」を悪用する人間を説得するには弱かった)

本書においては数学的に「論理的に考える」ということの限界を示してくれている。

「論理的に」というのは決して万能ではない。数学の世界でいう「公理」とは証明を必要としない仮定であるが、言いかえれば「そう決めておかないと、他の定理を説明できなくなる」仮定なのである。「直線は、本当に直線なのか?」を問い始めると、他の幾何学的な命題はすべて無駄になってしまう。一般的に通じる道理として「直線はどこまでもまっすぐ伸びる線だ」としておかなければ、少なくとも数学の世界は、何も証明できなくなる。
「直線は直線なのか?」という問いを、本書の中では「自己言及」と表しているが、問いを深くしていくと結局は「自己言及」に陥ってしまう。
レトリックと詭弁」では、「議論においては、問いを設定した方が有利」と書かれていたが、その原因はここにあり、問いを繰り返していけば最終的に相手を「自己言及」の状態に追い詰めることが出来る。
議論においては、相手が自分の問いに答えられなくなれば勝ち(のように見える)、と考えられているが、現実として「自己言及」となる問いは「論理的に無意味な問い」なのである。

問いを繰り返して深くしていけば、「自己言及」に陥り論理的には無意味になる。これが、論理の脆さであり、弱点といえる。論理とは、結局のところ人間の頭の中で考えたもので、決して矛盾のないものではないのだ。


〜ライトに「考えること」を楽しむ〜

さて、かなり熱く書いてしまったのだが、本書は決してそんな熱量の本ではない。

どちらかというとライトな一冊であり、「考えて理解できる喜びを味わおう」とか「多様な考え方に触れていただこう」とか、そんな願いのこもった一冊である。別に「論理学を深く学ぼう」とか「議論に強くなりたい」とか、そんな人をターゲットにしている本ではない。

「考えること」を人の営みとして、ライトに楽しむ。「考えること」の面白さを感じていただく一冊である。

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