いい香りのする骨になりたい

南の魔女が死んだ。

と言うのは、パロディだが、

彼女のことを「魔女」なんて言ったら、絶対にバチが当たる。

彼女は、関わった人々、みんなの太陽のような存在だった。

〝頭がいい人は、聞き上手〟

と言うことをいつもわたしに実感させるように、

彼女は頭が良かった。

しかし、その滲み出る優しさや温もり、人格の素晴らしさは計算ではなかった。

わたしの中で彼女の存在は、人生の道標だったのだ。

共に同じ家で17年もの時を過ごした。

しかしながら、わたしも大人になる成長の過程で、

自分が「家族依存症」だと言うことに気づいた。

そこからキリよく、就職と言う理由で一緒に住んでいた家を出た。

実家を出ることがナンセンスとされている街で生きてきたわたしは、

周りに、地元以外の習慣や人を知りたかったから。

と説明したが、(あながちそれも間違いではないのだが)

本当の理由は、

もし彼女が死んでしまった時、

わたしも後追いをする覚悟がすでに芽生えていたからだ。

残された人々のことをなりふり構わず、

わたしは彼女と一緒に

死後の世界へと旅立つ覚悟があった。

でも、もう一人の自分がそれに制御をかけた為、上京することを選んだ。

しかしながら実際は、今、iPadの前でキーボードを打っているように

わたしは生きている。

一緒に旅立つということをしない選択をした。

理由はこじつけのようにたくさんあるが、

彼女はわたしに、「家と家族を頼むね」と言ったのだ。

わたしに向けて、そう言ったのだ。

彼女が入院していた頃、(この情勢が憎いが)

面会者も2人までと決められていた。

上京していた家から地元に帰ってきたのにも関わらず、

わたしは彼女に一度も、たった一度も会えなかった。

そうして、彼女は天国へと旅立った。

骨になり、灰になった。煙になった。

何度も上京したことを後悔した。後悔し尽くした。

わたしが家を出なかったら、生前、もっと彼女にしてあげることが

できたのかもしれない、と。

もしかしたら、運命は変わっていたのかもしれない、と。

しかし、それも、結局は〝かもしれない〟のだ。

たらればの話をするとキリがないし、

この情勢を憎んだって、わたしには何の解決にもならない。

死んでしまったら、二度と戻らないのだ。


彼女の葬儀で、わたしはあまり泣かなかった。

泣くことを我慢していた。

それ以上に悲しんでいる彼女の子供や友人たちを見て、

なぜかあたたかく、そして誇らしい気持ちになった。

彼女は人を自然に愛すことができるように、

その人格に触れた人たちが、またそれを彼女に返すように。

彼女は黙って、綺麗な顔をして目を閉じていた。


わたしは嗅覚が人より優れている。と思う。

人間だと認識ができないほど、肉体も全て焼かれた、骨になったものを見た時、

確かに、人間は目の前の骨を、その人だと認識する。

わたしはその骨の香りを嗅ぐ。

周りから見ると、頭がおかしくなった変質者だが、

わたしは、香りで彼女を覚えていたかったのだ。

彼女はいつもいい香りがした。

わたしの憧れの女性像だった。

いつもわたしの成長を、そばで見守ってくれた。

親近者にも、

〝変な人〟や〝常識が乏しい〟と言われて育ってきたわたしを、

一切否定せず、それがわたしだと、何度も言ってくれた。

それだけで十分だった。

それだけで十分だったのに、

世界は、失くしては惜しい人を失くしてしまった。


わたしが上京して良かったと思う点は多々あるが、

その中でも、現在、良かったと思う点を挙げるなら、

彼女が死んだことをまだ受け入れなくて済むところ、だ。

離れて過ごした一年半、

人間は環境の変化に対応しやすい。

一緒に暮らしていない期間の方が短いのに、

わたしは彼女が旅行や入院をしていて、

まだ世界のどこかにいるのではないかと感じている。

ただ、わたしも現実を見ていないわけではない。

これも、悲しさと対面できるほど、強い心を持っていないからだと思う。

思い出は鮮明な内に思い出した方がいい。

とは思っていても、わたしはその思い出を振り返ることができない。

慣れを待っているわけではない、

ただ、心の糸を切らさないように保護しているのである。

だから、泣かないし、ひどく心を落としている段階でもない。

もう少し、周りの人たちの心が落ち着いた時、

わたしは彼女を見ながら、とめどない涙を流すことだろう。


わたしの愛してやまなかった、

愛してやまない彼女は、

とてもあたたかく、太陽の香りがした。

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