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クラゲ時代

思考の癖は、子供の頃からの積み重ねである。私の子供時代は、誰かにとっては「まあまあふつう」で、誰かにとっては「なんてひどい」日常だ。

誰にも気付かれない。助けを求めるほどでもなく、他人が気付いたとしても助けるほどでもない。わかりにくい不幸、不快で苦痛の日常が普通だと思い込んでいる人が社会にどれほど潜んでいるのだろう。

四年生の私

二段ベッドのハシゴを使わずに上り下りする訓練をしていたのは、小学四年生くらいの時だったと思う。訓練はだれかに命令されたわけではない。喧嘩のときに逃げ込んだり、だれかにハシゴを奪われても、自力で降りるために必要な能力だと思い込んでいたからだ。当時、二段ベッドの上段は、唯一自分だけの居場所だった。

ベッドの柵に絡まっている姿を誰かに見られたときの言い訳はこうだ。
「あのね、泥棒がきてハシゴを奪われたときのために、いま訓練しているところなの。危なくないようにこんなふうに、ここからこうやって、ここに足が届くから、こう、ほら、ね!!」そんなふうにいえば、一大事に備える健気な四年生のことを誰もが称えるだろう。

泥棒の家族にはきっと小さな子供がいて、その子供は二段ベッドのハシゴがないと悲しんでいるかもしれないのだ。だから数ある家具家財のなかから二段ベッドのハシゴを選んで奪っていく可能性がないとはいえない。そうなったら、私はハシゴくらいあげてもいい。そのためにもやっぱり毎日の訓練は必要だ。

言い訳に隅々までストーリーを付け加えた。みるみる空想は膨らみ、いつのまにか「この訓練は泥棒の子供のためになる」と思い込むようになった。世のため人のため、と考えるとさらに熱が入り、ハシゴを使わずに降りる方法をたくさん編み出した。

兄の攻撃

目的を見失って数日後に、2歳年上の兄に追いかけられた。いつも捕まったらすぐに腕をひねられて「ごめんなさいは?」と謝罪を強要されるのだ。悪くないのに謝るのはどうしても嫌だった。兄の嫌な目つきを敏感に察知した私は、一目散にベッドの上段へ逃げた。だけど安心する間もなく、兄は堂々と陣地に乗り込んできた。私は予想とまったく違う展開にあわあわしながら、薄いタオルケットに潜ることしかできなかった。タオルケットはすぐに奪われて、私の腕はあっという間にひねられた。訓練は全く無駄になってしまった。

新たなトレーニング開始

痛い目にあった翌日から、今度はハシゴを上のベッドに回収するという技を練習した。前回の失敗は、訓練の目的を見失ったことが原因だと考えた私は、兄対策に勤しんだ。今回は両親への言い訳を考えている場合ではなかった。ハシゴは重たいので、柵に引っ掛けて力点と作用点のバランスを身につけた。

だけど実戦では、兄はハシゴに体重をかけて押さえた。ハシゴの重さと兄の重さで、ハシゴを回収することはできなかった。しかもハシゴの取り合いによるガチャガチャした音が母の耳に届いてしまって、「ベッドはオモチャじゃありません!」と叱られてしまった。

腕をひねられないように逃げたのに叱られてしまった。最悪な気分だった。それから二段ベッドの上に逃げる事は辞めた。どうせ追い詰められてしまうのなら、堂々受け入れて、内容は考えずにさっさと「ごめんなさい」と言えばいいのだ。

攻撃される理由

兄は学校で暴力的なイジメにあっていた。そのうえ自宅では父母によく叱られ、ビンタやゲンコツを喰らっていた。私は兄が泣いていたり怒られているのを見るのが嫌で、嘘の言い訳に話を合わせたり、庇ったりしていた。それでも叱られてしまい、兄の鬱憤の矛先は私に向いた。兄は学校でされたことと同じことを私にするのだ。羽交い絞めとか首絞めとか四時固めとか、そういうプロレス技を笑いながら、ときに力加減を全開にして試された。理由なく始めるのではなく、普段の他愛のない会話の中から、きっかけをいつも探しているようだった。きっかけを見つけると水を得た魚のように「今のは聞き捨てならないな」と言い、私に技をかけながら「ごめんなさいは?」と力を強めるのだった。

奴隷化への道のり

私が逃げることをやめて、抵抗せず謝るようになると、兄は「もっと心を込めて謝れ!」と言うようになった。きっと兄も学校で同じことをされているのだろう。でも腕をひねられた状態で心を込めるってどうやるんだろう。悪くないのに心なんか込められるわけがない。半泣きの声を出したら、それっぽくなった。

心を込めて謝ることが上達すると「○○すると誓うか」「○○しないと誓うか」と誓わされることが増えた。誓わないと兄の力が強くなる。前腕を雑巾絞りにされてしまうから、私は「誓います誓います」と答えた。誓いのせいで、いじめっ子と遊ぶときのエアガンの的にされたり、乾いた溝に捨てられたエロ本の回収をさせられた。兄はいじめっ子の子分となり、私は兄の奴隷のように扱われた。エアガンは痛かった。

当時の私にはそれが現実で、当たり前で、普通だった。たとえ他の優しい家族関係を知ったとしても「うちはうち、よそはよそ」と考えるべきなのだ。神様にわがままを言うようなことはしてはいけない。もっと大変な思いをして生きている人は沢山いるはずだ。母はよく「恵まれない国の子どもたち」の話をして、私たちがどれだけ恵まれているかという話をした。私はその子供達に計り知れない罪悪感を持っていた。だから弱音も文句も言わないようにしていた。

夢見る少女からのめざめ

一人の時間、私はまた二段ベッドのハシゴで遊ぶようになった。私は五年生になっていた。その時なぜか、ハシゴを階段のようにつかって、下を見下ろしながら降りてみたくなったのだ。

はじめは靴下を履いていて滑ったりしていたが、裸足で練習したらすぐにできるようになった。

エレガントにハシゴを階段のように降りる姿はプリンセスさながらである。マリー・アントワネットも舞踏会に誘いたくなるに違いない。 最高の気分になって、心の中で高らかに笑っているとき、チラッと自分の学習机が目に入った。

学習机の上も下も椅子までも、素敵なプリンセスのものとは思えないひどい状態だった。

描きかけのらくがき帳、芯の折れた色鉛筆、計算ドリル、黒い消しカス、黒い穴だらけの消しゴム、折れてしまった折り紙。

目をそらして、再びプリンセス気分に戻ろうとしたけど、もうダメだった。あっという間に現実は広がった。

「わたし、まちがってた。きっとわたしはドレスを着ない。この家には王子様も泥棒もこない。私は歌えないし踊れないしチビだもん。そうだ、これが本当の世界だ。みえちゃった。」

静かにハシゴから降りた。どこを見るでもない。そして心の底から浮き上がった気持ちは「ばかみたい。もう、やめよう」だった。
夢中になって訓練をしていた自分が、知らない人のように思えた。

夢は弾けてクラゲになった

小学六年生になり、私は掴みどころのない怪しい小学生になっていた。子供らしさも愛嬌もない。教室の中をクラゲのように漂う私を、同級生は宇宙人のようだと例えた。教室の中ですら人気者にも学級委員にもなれない私が、プリンセスを夢見ていたことを思い出すたびに顔から火が出る思いだった。

楽しくない毎日は、中学受験の勉強に充てて時間をつぶした。父の転勤が決まったから受かったとしても行かない、ただの力試し受験だった。「どうでもいいことばかりだなあ、意味あるのかなぁ、ないよなぁ、まあいっか」と呟きながら過ごしていた。

家でも学校でも、当たり障りのない言動に気をつけて、もし周りが刺々しい雰囲気になったときには、誰よりも早く笑ってごまかす癖がついていた。

学校ではクラゲ宇宙人、家では兄の奴隷、将来の夢はない、趣味はおりがみ。

この子供がこの先どんな人生を歩むか、あなたは想像できるだろうか。

《つづく》

次回は「私のその後」「兄のその後」「スパイになれ」です。

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