学校

私が勢いで全寮制の先生になった結果(採用編)②

自宅警備員の有力な候補生だった私の元に舞い込んだ『全寮制高校の教諭を募集します』のメール。阿呆で向こう見ずな私は、破格な好条件と可愛い女子生徒にまんまと釣られ、全寮制高校の教員への道を着実に歩んでいくのであった。

これは、落ちこぼれ大学生の私が経験した少し変わった教員生活記録である。

③あっさり終わった筆記試験

学校説明を聴き終え、いよいよ採用試験が始まった。

採用試験は、希望教科の筆記試験と作文、学校長との面接という至ってシンプルな内容だ。作文に関しては事前に準備したものを面接時に提出するという内容であった為、当日は筆記試験と面接のみである。

試験会場は、日のよく当たる小さな部屋だ。一般的な学校用の机と不似合いなグレーの事務用椅子が数脚あるだけのがらんとした小部屋に通され、そこで筆記試験が始まった。

これは余談だが、その部屋は日当たりが良い割りにやけに涼しく、9月初旬だったというのに空調もついていなかった。教員として勤めていた時も何度か利用したが、やはり常に涼しく、置いてある道具たちのちぐはぐさも相まって少し気味の悪い部屋であった。

本筋に戻そう。私も一応は教員を志した身ということもあり、筆記試験については難なく解答できていたように思う。如何せん肝心の筆記試験の内容については驚くほど記憶がないのだ。何か引っかかりがあれば記憶していると思うが、何時間記憶を辿ってもやはり筆記試験に関しては何も思い出すことはない。

印象に残っているものといえば、前述の異様な小部屋の趣きと、学科の筆記試験のみで一般教養や教職教養の試験が何もなく不思議に思ったこと程度である。

教職を志した方であれば、これがいかに不思議な事かお分かりいただけると思う。教職教養の試験は、教育者として知っておくべき法令や文科省作成の指導要綱、教育に関係する心理学用語などについて問われるものであり、教員の基礎知識を学んでいるかが図られる。
そのような性質故に、私立の学校であっても教職教養の試験は大抵あると、私は教職課程の教授からも指導を受けていたのだ。
この時点で、いかにこの学校が怪しいかという点はご理解いただけたであろう。

この時、試験を辞退すれば良かったのではないかと思う方もおられると思うが、私は阿呆で尚且つ緊張していた。加えて、学校説明による信頼感もあった。つまり先方を疑うという発想すらなかったのだ。『阿呆は緊張すると碌な選択をしない』、私の身をもって証明した人生の教訓である。

④採用前提の面接試験

筆記試験を終え、シャーペンや消しゴムなどをカバンに収めていると、聞き覚えのない太い男性の声で呼び出された。

「面接を行います。荷物をもってこちらへどうぞ。」

その声の主は、長身でやけに眼光の鋭い中年の男で、聞けばその人こそ学校長本人であった。

私は、突然の学校長登場に驚きながらも言われるがままに面接会場へ入っていった。

学校長は威圧感のある見た目であったものの、以外にも優しい口調と心地の良い相槌で相手の気分を良くさせる手段を熟知している人物であった。そのおかげもあり、面接に関しては緊張せずに臨むことができていた。

面接の内容は、一般的な志望動機や大学での研究内容についてなどを数点聞かれた後、大半の時間を希望勤務形態や部活動に費やされた。

学校長は、試験結果や事前に提出した作文さえもほとんど読まない状況で、指導する部活と宿直付きの寮監をするか否かをこの場で決めるよう私に伝えた。その時の言葉は今も記憶に残っている。

「試験なんて見なくても、君は採用だ。ここで寮監をすると言ってくれれば、僕が保証するよ。」

初めて少しだけ違和感を覚えた。仮にも教員を採用する試験において学力を注視されないなど本来あり得ないことだ。しかし、この時の私はその違和感すらも、自分の聞き間違いか受け取り違いだろうと思い込み発言を飲み込んでしまったのである。

この学校長の発言を思い出したのは、数年後セラピストによるカウンセリングを受けた時であった。

(採用編③に続く)

あとがき

書けば書くほど、自分の阿呆加減で床をのたうち回りたくなりますね。

採用試験の時、多分もう少し疑いの目を持っていれば気が付けたことが沢山あったんです。しかし、私は学校案内の女子生徒を思い出し「あんなにいい子を育んだ学校なんだから、大丈夫。」と自分に言い聞かせていたんです。採用後、その生徒がリストカットしている場面に遭遇するまで「この学校のお陰で不登校だった私も元気に学校生活を送れるようになりました。」という女子生徒の言葉を信じ切っていました。まさか、学校から支給された台本を覚えただけの芝居だと思ってもみなかったのです。

正直に打ち明けると、この学校がダメだったら卒業論文に時間を割けなくなってしまうからどうにか内定を取りたいと必死になっていたんです。人生と向き合わなければならない時期に、先ではなく目の前だけをどうにかしようとした愚かさが私の目を曇らせていました。

この学校でかけがえないものにも出会いましたが、同時に多くのものを失いました。自分がその場で楽を選択した結果です。

全てを後悔している訳ではありませんが、やはり深く考える事、自分と向き合うことから逃げてしまえば必ずどこかで自分に返ってくるのだと今は思います。

さて、ここまでで採用試験のお話は終わりですが、ここから本採用まででも違和感を覚えたことがあったので、次回ご紹介いたします!


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