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小説の滑稽さと切なさと


先日、Tomato_soup_Library さんが、芥川龍之介の小説「河童」が実にユーモラスであるという事を書いているのを見つけ↓

同感するところが多かったので、それならばとコメント欄で、ユーモラスな小説として井伏鱒二の「山椒魚」と太宰治の「貨幣」と夏目漱石の「吾輩は猫である」をお勧めしたのですが、さっそくその三作品について、感想を書いていらっしゃる。↓
行動的な方だと感心しました。
どうやら楽しんでもらえたようです。良かった。
こういった交流は楽しいですね。

Tomato_soup_Library さんも指摘している通り、これらの作品には滑稽こっけいさだけでなく、ほのかな悲しみや切なさもある。そこがまたいいのです。

滑稽な小説(「白毛」など)を得意とした井伏鱒二の作品の中にあって、「山椒魚」は取ろうと思えばいくらでも深刻な内容に受け取れるものですが、それが山椒魚(主人公)の姿を頭に浮かべながら読むとどうしても笑ってしまう。
井伏鱒二は、原爆をテーマとした「黒い雨」(井伏鱒二は広島出身)を除けば、どの作品にもほのかなおかしみがあります。

井伏の弟子であった太宰治の作品の多くも、僕にはユーモラスに見えます。
お札を主人公とした「貨幣」は、そのユーモアをよく表している作品だと思います。

小説と云うものは、本来、女子供の読むもので、いわゆる利口な大人が目の色を変えて読み、しかもその読後感を卓を叩いて論じ合うと云うような性質のものではないのであります。小説を読んで、襟を正しただの、頭を下げただのと云っている人は、それが冗談ならばまた面白い話柄でもありましょうが、事実そのような振舞いを致したならば、それは狂人の仕草と申さなければなりますまい。

「小説の面白さ」太宰治*

と太宰治は言っています。

これは太宰治らしい放言ではありますが、太宰が小説を娯楽ごらくだととらえていて、それを文学だの何だと難しくとらえる事を嫌っていたことがうかがえます。

人は深刻なだけでは生きられない。どんな悲惨な状況にあっても、ユーモラスな瞬間がある。悲惨な状況そのものがユーモラスに思えてしまうこともある。
そこにこそかえって悲しみや切なさが浮かび上がってくる。そんな作品が好きです。

貧しい労働者や農民の置かれた状況を描いたプロレタリア文学でも、黒島伝治の「豚群」などはとてもユーモラスです。短い作品なので内容には触れませんが、読んでいて終始笑みがれます。冷静なタッチがおかしさを増幅しています。

黒島伝治は他にシベリア出兵を描いた「渦巻ける烏の群」も書いています。これにもやはり独特のユーモアがあります。
兵士たちの生活が、実に楽しく描かれています。そしてそういった部分があるからからこそ、戦争の悲惨さもより浮き上がって来ます。

前にドストエフスキーの「罪と罰」について書いた時に触れましたが

カフカの小説も僕にはユーモラスなものに思えます。ここでは「」について書いたのですが、有名な「変身」についても同様です。

「変身」は「山椒魚」よりも更に深刻な内容とも受け取れますが、しかしのっけからの「主人公が目覚めたら虫になっている」という設定だけで、おかしみが生まれます。

多くの小説は様々な解釈が可能なので、いろいろなとらえ方があるとは思いますが、滑稽こっけいさに目が行くと楽しいし、しかもかえって描かれた悲惨さ、悲しみや切なさもみてくる、そんな風に思います。

*本論の引用には、一部今日から見れば不適切な表現がありますが、作品が書かれた時代背景を表しているもので、引用として不可欠な部分であると考え、そのままの表現で記載しました。どうぞご理解をお願い致します。

追伸: さっそく返信と記事を書いてくださいました。感謝です。


*引用文献

小説の面白さ」青空文庫

底本:「太宰治全集10」ちくま文庫、筑摩書房   1989(平成元)年6月27日第1刷発行底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集第十巻」筑摩書房   
1977(昭和52)年2月
25日初版第1刷発行初出:「個性 第一巻第三号」   1948(昭和23)年3月1日発行






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