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【連載】「届けるつもりのない、あなたへの投壜通信」#1 ~あなたの苦しみとは何か~

自分の中の校閲者こうえつしゃ

 下記の「あなたの苦しみとは何か」と題する初稿を書き上げた時、あと、二、三度読み直して、誤字脱字などがないかを確認すれば、そのまま投稿できるだろうと思っていました。
 ――一日開け、小雪が舞う春分の日に、頭の中でその初稿を読み直していた時、ふと、どこからともなく、『あなたはどうも、書き急いではいないですか』という声が聞こえてきました。その声の主は、もちろん「あなた」であるはずはなく、僕の中にいる文章の校閲者(#0に倣えば、自分の中の他者)でした。校閲者は、まるで生成AIのように、僕に対してこうささやきました。

 ――「あなた」の時間は、限られているのでしょうか。それとも、限りなく残されているのでしょうか。

 どうやら校閲者は、この#1の冒頭を、そのように書き出すべきだとすすめているようです(ちなみに、この「あなた」は、僕のことではなく、僕が「あなた」と呼ぶ「あなた」のことです)。僕は校閲者の提案も一理あるなと思い、その一文に接続する形で、20日と21日のドジャース対パドレス戦を観ながら、以下のように綴ってみました。

 どちらにしても、僕は決して急ぐことは出来ない。タイムパフォーマンスを重視し、物事を短絡させて、倍速視聴のように文章の速度を速めることは、高度経済成長下で、バブルを頂点とする「良い時代」と呼ばれるものをきずいていきながら、その裏で、何か大切なものを見失っていったことと、等しい事態を招きかねないのだから。
 僕は「あなた」の、一挙手一投足を見逃してはならない。そのために僕は、蝸牛かたつむりとならなければならない。この世界の速度に合わせるのではなく、自分のリズムで、なおかつ、「あなた」の一回一回の呼吸に合わせて、歩まなければならない。それがこれから、投壜通信を綴っていくにあたって自らに課すべき、一つの制約=誓約なのではないか。
 焦らない。慌てない。足元を、ゆっくりと撫でるように、立ち止まり、立ち止まり、のらり、くらり、と、歩く。――そうすべきではないか。

 こうして書いてみると、校閲者の提案を、全く無視することはできなくなりました。
 文章はある程度、読んで書くという経験を積み、慣れてしまえば、恐ろしいことに、自動筆記のようにいくらでも書けてしまうものです。「しゃべるように書く」という文章指南がありますが、まさに、しゃべるように書けてしまいます(このnoteに毎分毎秒投稿されている文章が、何よりもそのことを証立てています)。

 だからこそ僕は、まるで、言葉を覚えたての子どものように、いちいち、つまずくべきなのでしょう。この言葉には、どんな意味があるのだろう。どんな時に使われるのだろう。この言葉とあの言葉を繋げてみた時、どんな効果が生まれるのだろう。字面だけでは無機質な言葉に、人はどんな色を見て、どんな香りを嗅ぎ、どんな手触りを感じるのだろう。そのようにして、自分が書いた文章を、目を皿のようにして検める。デカルトに倣う必要はないと思いますが、世間の道理をとことん疑い、自分の実感にもっとも近いものを、言葉と文章の基準とする。文学のように、あまりレトリックを使いすぎるのもよくはないと思いますが(自らの文章に酔い、同時に文章を酔わせることにもなりかねないので)、その時、自分が信じられる言葉を選び、出来る限り、適切な表現で綴っていく。それがとても大切な気がします。

 前書きが長くなりました。ですが、校閲者が言うのは、こういうことなのでしょう。僕もイントロがなく、いきなり歌詞が始まる曲も好きですが(YOASOBIの『アイドル』など)、やはり、イントロあってこその時代の人間なので、まあ、良しとしましょう。

 ――では、本題に入ります。

あなたの苦しみとは何か

 僕は『ベッドシェア』という短編で、自分の中に「ままならなさ」を抱えた人たちを、語り手の「わたし」を含め、かなり抽象的な形で描きました。この場で、暫定的ざんていてきに、「ままならなさ」を定義するとすれば、「自分ではどうすることも出来ないこと」となるでしょうか。

 『ベッドシェア』を書いていた時、正直、「あなた」のことを思い浮かべていたわけではありませんが、今考えてみれば、「あなた」もまた、「ままならなさ」を抱えている一人でした。

 これから、折に触れて述べていくように、自分ではどうすることも出来ないにも関わらず、「あなた」は、自らが抱える「ままならなさ」を、自らの責任と、必要以上に感じている節があります。因果という概念を使えば、「あなた」に原因があるのだから、その結果を「あなた」が被るのは、自然。どうやら「あなた」は、強くそう思っているようです。
 ですが、僕が知る限り、「あなた」が、後天的な「ままならなさ」を抱えることになった発端=原因は、「あなた」が偶然出会わざるを得なかった、他者にあったはずです。

 ――以下の記述は、憶測が混じることをお許しください。

 たまたま同じ地域で、同じ年に生まれ、同じ学校に通い、同じクラスとなった他者。はっきり言ってこの中には、「あなた」が自らの意思で選び取れるもの、コントロール出来るものは何一つありません。当然ですが、それは他者も同じです。
 黒板に向かい、理路整然と机が並べられた、書き割りのような小さな箱の中に、三十人近くも異なる出自、見た目、性格、思考、価値観を持った未熟な人間同士が集まれば、何も起こらないはずはありません。意気投合し、仲良くなる者もいれば、適度な距離を保ち、何となくの付き合いを続ける者、全くそりが合わず、敵対し、口も利かない相手も出てくるでしょう。
 
 僕は「あなた」と、悪い意味で特別な因果関係にあった他者(たち)の間に、何があったのかを知りません。他者から、何をされたのかは聞いたことがあったと思いますが、他者が「あなた」に、どのような動機、要因、必然または偶然性をもって、「虐め」と呼ばれる非人道的なことをしたのか分かりません。だから僕には、「あなた」が、第一に苦しんだであろうこの時期について、何も語る言葉を持ちません。

 他者から、散々苦しめられたであろう「あなた」は、まるで、そういうことをされたのは自分が悪いからだと思い込み(憶測)、自分を責めるようになりました(半分事実)。自責の念はやがて、自らに向かう刃となり、今度は「あなた」が、「あなた」自身を苦しめるようになります。
 
 ――すでにそこに、「あなた」を苦しめたであろう、「他者」はいないにも関わらず。

 ある「症状」の発症に伴い、ここから「あなた」の長い長い、それこそ途方もない、自分の中の他者との闘争が始まりました(もう一つ、世間という壁も立ちはだかりますが、それは今後、触れる予定です)。自分を絶えず否定する「自分=他者」。自分のことながら、自分ではどうすることも出来ない「自分=他者」。僕は「あなた」の苦しみの根源は、「あなた」の中の「他者」との関係にあると思っています。

 それが、本当の意味での他者、「あなた」とは別の生き物としての「他者」であれば、最悪、関係を絶つことができます。ですが、「あなた」の中の「他者」と、縁を切ることは出来ません。そうすることは、場合によっては、「あなた」自身にとっても、僕を含めた周りにとっても、最悪の事態を招きかねません。そう言う意味で、「あなた」は生きている限り、「あなた」の中の「他者」から逃れることはできない運命にあります。

 このように書いていくと、まるで「あなた」の中の苦しみを心から理解し、寄り添えたかのような気持ちになってしまいますが、そんなことは全くありません。僕は、今現在に至るまで、「あなた」が抱える苦しみを、一ミリたりとも理解できたとは思っていません。そもそも、「あなた」にとって「他者」である僕には、「あなた」の苦しみを理解することなど出来ないと思っています。出来ることはあくまでも、想像し、共感し、「あなた」が抱える苦しみに近い苦しみを模造し、我が事として感じ、「あなた」のために何ができるのかを考えることだけです。

 僕から見れば、優しい心根を持つ「あなた」なら、こうも言うでしょう。自分の苦しみで、「あなた=僕」のことを苦しめるようなことはしたくない。――もし僕が「あなた」の立場なら、同じことを言うと思います。いくら自分が苦しいからと言って、その苦しみが原因で、家族や友人、親しい人まで苦しめたくはない。ここにもまた、「あなた」が独りで苦しみを抱えてしまう原因があるように思います。
 
 まるで、出口のないトンネル。ウロボロスのように、頭と尾、入り口と出口が繋ぎ合わされているような円環トンネルの中で、「あなた」は逃れようのない苦しみと闘っている。僕には、そのように思えます。

 ――「あなたの苦しみとは何か」。

 その問いに答えられるだけの力量は、僕にはありません。僕にできるのは、「あなた」のために考えることだけです。考えて、こうして言葉に綴ることだけです。――それがきっと、「あなた」のためになるであろうことを、ひたすらに願って。

                               つづく

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