トウコ

40代後半。うつ病→気分循環症との診断あり。目標は症状をコントロールできるようになるこ…

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40代後半。うつ病→気分循環症との診断あり。目標は症状をコントロールできるようになること。そして私ならではの人生を生きること。日々の思いをこちらへと残していく。

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幸せは私が決めていく

⁽⁠⁽⁠ଘ⁠(⁠ ⁠ˊ⁠ᵕ⁠ˋ⁠ ⁠)⁠ଓ⁠⁾⁠⁾🌈 改めまして 少し長めの自己紹介を。 そして今の気持ちを素直に添えて。 ・ 私は大学生で一人暮らしをしているころに 人生で初めてのうつ状態を経験した。 それまで順調だった大学生活も ままならない日が多くなっていった。 そのころ精神科のクリニックに少し通ったこともあった。 でもその当時は一種類の薬の処方があるだけで 病名は告げられなかった。 私も元気になれるのなら病名はどうでもよかったので 聞くこともなかった。 確か半

    • 傷ついた心へ贈る言葉

      ⁽⁠⁽⁠ଘ⁠(⁠ ⁠ˊ⁠ᵕ⁠ˋ⁠ ⁠)⁠ଓ⁠⁾⁠⁾🌈 私の昔話をひとつ。 私は中学校入学前の春休みに親の転勤を理由に引っ越しをした。 小学六年生のころまで仲の良かった人たちとは違う中学校で新しい生活を送ることになった。 卒業と同時に離れた友だちたち。 「手紙書くね!」 そう言ってくれた人が何人かいた。 すごく嬉しかった。 その反面 その言葉限りになってしまった人も中にはいた。 こちらから出した手紙の返事はその人からは来なかった。 悲しかった。 そんなとき 私は海援隊の

      • 靴下を洗う

        ⁽⁠⁽⁠ଘ⁠(⁠ ⁠ˊ⁠ᵕ⁠ˋ⁠ ⁠)⁠ଓ⁠⁾⁠⁾🌈 洗濯機を回す前に 娘の白い靴下を予洗いしている。 私服ばかりを着ていたころは 靴下の色もよりどりみどり。 あまり予洗いしなくても平気だった。 制服を着るようになって 靴下も色は白と指定された。 洗濯機だけでは汚れが充分に落としきれなくなった。 桶に水を張り 固形石鹸を靴下につけ 両手を使って汚れを落とす。 どんどん桶の水が濁るのを見ていると 娘は学校ではどんな風に振る舞っているのかなとか どんな思いで学校に通って

        • 双極症の自分を受け入れる

          ⁽⁠⁽⁠ଘ⁠(⁠ ⁠ˊ⁠ᵕ⁠ˋ⁠ ⁠)⁠ଓ⁠⁾⁠⁾🌈 先週 通院した際 処方薬が増えた。 ここ4〜5年だと思うが 躁状態とも混合状態とも無縁だった。 うつ状態だけを気にして過ごせていたから 自分が双極症だということをつい忘れていた。 「双極症である自分を受け入れる」こと。 対人関係・社会リズム療法についての本を読みながら まずは そのことをクリアできたらなぁと思う。 少し時間がかかりそうだけど ゆっくり休みも取りながら 自分のペースですすめていきたい。 ⁽⁠⁽⁠ଘ

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        幸せは私が決めていく

          季節外れのさつまいも

          ⁽⁠⁽⁠ଘ⁠(⁠ ⁠ˊ⁠ᵕ⁠ˋ⁠ ⁠)⁠ଓ⁠⁾⁠⁾🌈 このところずっと 頭の中がボワッとする。 発熱のときとも違ううつの感覚。 このところずっとしんどいのに うまく休めない日が続いた。 あれもしなきゃこれもしなきゃと ゆっくりできていなかった。 新学期だから仕方がない。 今日は泥のように眠ることができた。 トイレに一度起きたけど あとは昨夜から今日の午後3時くらいまで突っ伏して寝た。 やっと脳を休ませられた気がした。 家の中は思うように片付いていないけれど 入院で

          季節外れのさつまいも

          自分で自分を誤魔化さない

          親戚にお世話になったご高齢の方がいる。 少し遠い関係性だが沢山のご恩をいただいた。 その方が今年に入って骨折のため入院され まだ退院してから日が浅い。 何かお力になれたらと思い 訪ねていった。 私の微力でしかない精一杯のご恩返しのつもり。 私にできることは特に何もない。 少しの差し入れを持っていき 少しの話し相手になる程度。 あちらも私を頼りにはしていない様子。 そう 私は頼りなく思われていて 言葉はわるいけど 何かにつけ貶されてきた。 それでも もしかしたら何か

          自分で自分を誤魔化さない

          半分なりにできること

          今日は朝から部屋の片付けをしていた。 いつか片付けようと そのあたりに置きっぱなしにしていたものが 多いこと多いこと。 その一つひとつを片付けていたら 私の心まですっきりと整えられたようだ。 数年前に娘が私に 「ママはエネルギーが半分しか貯まらないね」 と言った。 すぐ疲れて すぐ休む。 そんな私を生まれてからずっと間近で見てきた娘の 真っすぐで素直な思いだと思った。 そして すごく的を得ている。 子どもは鋭い。 この感性に私は何度も救われてきた。 今日だって 半分なり

          半分なりにできること

          春の雨音はやさしい

          自分らしくないときが続くと 自分を自分じゃないように思えて来て 自分を信頼できなくなる。 自分を信頼できないと 周りの人まで信頼できなくなっていく。 些細な疑念の心から 信頼していた人が離れてしまうと 絶望に苛まれる。 だけどそれは 私が私を信頼してないから 起こってしまったこと。 原因は私だった。 躁状態とうつ状態が混ざり合った 混合状態になると 私は大切な人との人間関係を失ってしまう。 こんなこと もういやだ。 自分を信頼できる私らしさって? 私らしく過ごせて

          春の雨音はやさしい

          満足と幸せつくってみた

          心の真ん中にポッカリと穴が空いて そこを冷たい風が通り過ぎる。 そんな感覚を味わうとき なんともいえない侘しい気持ちになる。 自分に余裕がなくて 目の前の人へ思いやりを持って接することができなかったとき 私はよくそんな感覚に陥る。 今夜も そんな気持ちを引きずって眠れない。 夜眠れないと翌朝起きられなくなることを想像してしまい 余計に焦る。 布団から出て ホットミルクをレンチンしてつくり 脳が休まるという音楽を流す。 そうこうしているうちに ゆっくりじわじわと 気持ちが

          満足と幸せつくってみた

          思い切り泣いたあと

          今日は家族揃って 一泊予定のお出かけをするはずだった。 楽しみにしていたこんな日の朝 私は体調を崩した。 私なりに体調を整えていたつもりだったけど 気分も落ちて身体も重かった。 考えた挙げ句 私は一人家に残った。 家で一人 自分の不甲斐なさに 自分の情けなさに 誰にも構わずわんわん泣いた。 家で一人 自分の観たい映画をテレビで観て そのストーリーに自分を重ねて なりふり構わずわんわん泣いた。 いつもよく泣いている方だと自分で思っていたけれど こんなにすっきりした大泣き

          思い切り泣いたあと

          みずみずしく自由なるもの

          この上の画像↑は 娘が3歳のときに描いた お花の絵の一部。 丸いところは 葉っぱを表現している。 親バカを承知しているけれど。 子どもの絵は とてもみずみずしく とても自由で 心洗われる。 このみずみずしい感性と どこまでも自由な表現力を これからも 夫や周りの人たちとともに 守っていきたい。 そのためにも 私も そういう心を大事に 日々を重ねていきたい。 ときには そんな余裕さえ 忘れてしまいそうになることもあるけれど 帰るところは いつも同じ。 遠回りしても

          みずみずしく自由なるもの

          落ちていくとき

          娘は春休み。 今日の天気は曇り。 娘に留守番をお願いして買い物に出た。 私の心もどんよりしてくる。 特に理由はない。 昨日も買い物に出たはいいけれど 気分が晴れず 夕食のメニューを考えるのもしんどくて 結局はレトルトカレーを温めて 炊きたてご飯にかけて食した。 今日こそ食材を数日分買いたかったけれど 店を覗いても心も頭も思うように動いてはくれず 何も買えないまま疲れて果ててしまった。 今コーヒーを飲めるパン屋で休憩している。 同じフロアにはお喋りに花を咲かせるマダムたち。

          落ちていくとき

          春の昼の心地よさ

          日の光が明るくて あたたかそうだけど 風はまだ少し冷たい昼下がり。 ちょっとおっくうになりながらも なんとか洗濯ものを干し終える。 室内干しだけど 窓から 鳥たちの春らしい声が聞こえてくる。 眠たくなりつつ なんとなく 俳句の歳時記とコーヒーを淹れたお気に入りのマグカップをテーブルに ぼーっとしてみる。 「のどか」 漢字では「長閑」。 その季語のページに まだ小学生だったころの娘が折り紙でつくってくれた栞をはさんでみる。 気だるい空気だけど すごく平和な心持ち。

          春の昼の心地よさ

          特別な春

          天然石のブレスレットを大切にしている。 専門の人にオリジナルで作ってもらったもの お店からそのまま購入したもの そして自分で作ってみたもの この3つは私の宝もの。 昨年の終わりから 自分で作ってみたブレスレットを再び作り直していた。 何度も何度も試行錯誤した末に やっと昨日 自分でも惚れ惚れするほど納得のいくブレスレットに仕上がった。 天然石の種類や大きさを選び 配置を考え 糸を通し 実際手首に着けてみるまで その作業の一つひとつが私を整えてくれた。 自分らしさを私に取

          特別な春

          転勤族の家に生まれて

          親が転勤の多い仕事をしていたため 私は引っ越しを多く経験してきた。 改めて数えてみると これまでの引っ越し回数 12回。 高校生の頃までは 引っ越しは我が家の当たり前だった。 親に付いて行くのは当たり前。 大学生になって その当たり前が思うように周りにも自分自身にも通用しなくなって 心のバランスを失った。 平たく言えば そういうことなんだと思う。 うつ状態で苦しい中 ろくに就活もせずに なんとか大学を卒業して 親とともにまた新しい土地へとお引越し。 気持ちも一新

          転勤族の家に生まれて

          娘の私はカサンドラ?

          先週 なんとなく本屋をふらふらと歩きながら 目についた本のページをめくってみた。 これまで気にとめたことのない類の本。 “アスペルガー症候群の夫との生きづらさを抱えたカサンドラ症候群の妻のための本”。 何気なく読んでみた。 もしかしたら… 私の父はアスペルガー症候群かも… そんな考えが頭をよぎった。 父は社会的には地位も経済力もある。 真面目で正義感もある。 外での父は 特に問題はない。 でも 家の中では違う。 私と父は 心の通う会話があまりできない。 会話のキャッ

          娘の私はカサンドラ?