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心の基礎 下地を整える事~再度作り直す感覚~



日々の生活の中で、不定期に、気持ちがモヤモヤする時がやって来ます。
そのモヤモヤを感じたら、無視をせずに、また特別に直ぐに触れて何だろうと急いで見る事もしませんでした。
何かが心に引っかかっていて、それに気づく時が来たのかもしれないと、焦らずに受け止めて、感じながらそのまま胸に抱えて時を過ごしました。
心が自浄作用をしていて、心が治ろうとしていて、私がそれに応えている、そういうような感覚でした。
そのうちに自然と、モヤモヤの原因だろうと思える幼少期の記憶が思い出されて、自分なりに消化出来たので、書き留めておこうと思います。
(考えても私なりの答えにまだ辿り着いていない事、自分なりの答えがまだわからない事も、書き留めておこうと思います。)



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両親との再会が叶った後、10月半ば頃。
言葉に出来ない思いがありました。
ずっと「平等」って何だろう?と考えていました。
特に私は私が経験した幼少期の体験と、私の高校卒業後の進路選択について、本当の意味での平等とは、何だろう...、何だったんだろう...、と考えていました。
幼少期、私は、
「どうしてうちだけ...まわりの友達宅と違うの?」と。
「どうして私だけ...まわりの友達と同じように出来ないの?」と、思っていました。
高校卒業後の進路を選択する時には、もうそんなふうには思ってなく、自分が親から離れて自立して生きていく為には唯一この進路しかないと思い、考えて就職を決めました。
自分で決めましたが、その決定には、父親の信仰の影響で進学は推奨されず、進学資金等は用意していないと父親から先に言われていた事も影響していました。当時の私には、早い段階で高校卒業後に進学するという選択肢は無かった。(note記事 私の過去⑥~両親との衝突~)
その事を思うと、親の信仰の影響によって私は自由で平等な進路選択の機会を奪われたと、選択肢を狭められたと、そう思っていました。長い間そう思っていました。実際に本当にそうだった、という思いもあります。
ただ、今回の向き合いをしていくうちに、少し違った角度の視点からも見て考えるようになりました。「本当にそうだったのだろうか...」と。
「私がもしも、高校卒業後、大学や専門学校等へ進学をしていたら、それは当時、平等な進路選択をした、という事だったのだろうか?」
「まわりの友達と同じように、同じタイミングで、実際に行く場所は異なっても、もしも私も進学を選んでいたら、それは私も平等な進路選択をした、という事だったのだろうか?」
「まわりの友達と同じように、という事が、平等という事なのかどうか?」
「本当の意味での平等とは何だったのだろう」
「本当の意味での平等な進路選択の機会とは...?」
そんなふうに考えていました。
ぐるぐると、ずっとその事を考えている時期がありました。色々な事を考えました。
答えは、出ませんでした。そして、まだ、わかりません。
私と似ている体験をした方々も、そうではない方々も、1人1人体験も感情もそれぞれ違う、本当に千差万別で。その1つ1つ全部、全てに、大切な千差万別の答え、大切な気持ちがあるように思いました。
自分の中で、私は私なりの何か答えに気づくまで、この疑問は持っていようと思って、心の中に置いています。

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10月後半頃。10/30投稿のつぶやき。
『行動を妨げる根深い物
私の場合は
自信と自己肯定感のなさ

その根本の記憶に触れて
向き合い気づき感じきる

小六の時の骨折
練習不足で臨んだ音楽祭
結果を出せなかった
怪我と父親からの制限を理由に諦めて
行えた努力をしなかった私
辛くて心に抑え込んだ感情を
今感じて全受容する』

以前記事に書いたように、自信はだんだん身に着いて行くもの、と思っていますし(note記事 人に頼るという事①~自信は少しずつ身についていく~)、
自己肯定感も、心をニュートラルにして、どんなに弱く恥ずかしいと思ってしまう自分自身も、自分で全肯定全受容していく事で徐々に強く育って行くと、そう思っています。
ただ、そう思ってはいるものの、何かをしようとする時に、私の自信のなさと、自己肯定感のなさは、真っ先に登場して、行動を止めようとしてきました。
その根本の記憶を感じました。
幼少期の未完了の感情でした。


小学校高学年の時。音楽祭は、地域の各小中学校が参加していました。ケガの影響で、練習時間が足りなかった私は、まともな演奏は出来ませんでした。
1度間違えるとどんどん間違えて、焦り、落ち着きを失って更に弾けなくなりました。
全体の足を引っ張り、全体に迷惑をかけました。
同級生の男子から、「○○さん(私)も、○○学校の人みたいに弾かんと~。」と、とても軽い気持ちで言ったのだと思います。ただ、この時の私にはその言葉がとても大きく響きました。
他校の人と比べられた事。本当に言われた事はその通りで、自分は演奏出来なくて、みんなに迷惑をかけた事。自分はダメだった。なんで出来なかった?もっと練習すれば良かったのに...。
私の頭の中はもうずっと、悔しさと悲しさと恥ずかしさと後悔でいっぱいになり、その後の他校の演奏は全く耳に入りませんでした。

結果を出せなかった事も残念でしたが、それよりも、私の中に影を落としたのは、行えた努力をしなかった事でした。
音楽の先生から特別に放課後練習を声掛けしてもらったのに、私は躊躇いました。
父親はそんな特別に時間を作ってまで練習しなくてもいいと止めました。それよりも早く帰宅して宗教の勉強をしたらいいと言いました。
骨折した所がまだ痛い事も本当でした。
私は自分に都合良く、その時だけ父親の言う事を利用して、練習しない理由にして、心は葛藤していたのに無理やり自分を納得させました。
でも本心は違っていました。
本当はあの時、出来る事なら練習したかった。みんなに追いつけるように頑張りたかった。父親にも自分の気持ちを伝えて、それを認めてもらい、応援してもらい、心おきなく納得いくまで練習したかった。
それなのに私はそうせずに、そうしようと努力せずに逃げた...。
痛いから出来ない、みんなより遅れてる、追いつくのは大変だ、出来ないよ...きっと出来ない、父親は許してくれない、どうせ出来ない、私は出来ない...、そういう気持ちに負けました。


たくさん練習したら追いつけたかもしれないのに、行えた努力をしなかった。練習せずに家に帰って、皆との差は縮められずに残りの練習では追いつけずに、結果は出なかった。
友達から言われた言葉は、自分が招いた結果で、自分でよくよくわかっていた事でした。
私もあんなふうに弾けたら良かったのに...。
もっと納得いくまで練習したら良かった...。
逃げないでやれるだけの事をしたら良かった...。

当時の感情を思い出し、辛さも思い出し、味わいました。残さず感じきりました。これは私の心の奥底にあった、私にとって大事な辛い記憶だったと思いました。

もう1つ、同じく小学校高学年の時の断片的な記憶。
前後の様子は曖昧でしたが、教室で同級生と話していた時(私の認識では楽しく話していました) 、当時の担任の先生が授業の為に教室に入って来た時、突然、「○○さん(私)、またそんな事を話さな~い! 」と。
友達と楽しく話していただけなのに、なぜか先生に止められて、...え?...私は今、何かいけない事を話していたの?と思いました。
その時の詳細は思い出せず、どういう経緯だったのかはもう定かではないですが、その時、
先生はなぜ私が話す事を止めたんだろう?
私は私の思う事を言ってはいけないの?...と。
私は、話しをしたらダメなの?...ダメなんだ。
私は自由に表現したら何かいけないんだ...、そんなふうに思い込みをしました。
たぶん、以前に思い出した同級生とのいざこざもこの頃同じような時期に起こった事だったのかもしれません。(note記事 自分の気持ちを声に出して話す事①~話せないのは自己不在の無自覚と恐れや不安から~)



あぁ...私、当時、先生からのこの言葉の影響もあって、自分の気持ちを自由に話す事、表現する事をやめたんだ...と思い出しました。
先生には全くそんなつもりはなかったのだろうと思います。
でも、その時の私は先生のひと言を重く受け止めてしまい、否定されたと受け取ってしまい、自己肯定感は脆く崩れて、自由に話す事をやめたんだとわかりました。すっかり忘れていた事でした。そうだったんだと、思い出して、泣きました。
この頃を境に、私は静かな子になっていった。
この事もしっかり思い出して、当時の自分の気持ちの葛藤や、本来の自分を抑えて心を偏らせ、変化してしまった自分を感じて泣きました。
当時の私の言葉の受け取り方には、既に生育環境から作られた癖があったと思います。
残念だったと、あの時、あの頃の体験を、先生の言葉を、私は私の受け取り方で解釈し、思い込んだ事、本当に残念だったと、自分に寄り添って言葉を掛けました。
あの頃は私...わからなかったね...、自分でそう受け止めて、思い込んで、自分を抑えてしまったね...、話す事をやめてしまったね...、悲しかったね...、辛かったね...。自分自身にそう伝えて、心深くからしっかり感じきったら、その後気持ちがすっと軽く、楽になりました。


(思い出したくないという)抵抗感を無理はなく可能な限り弛めて、丁寧に自分の気持ちを思い出して、感じきり泣いて涙と共に流すという一連の事が、私にとっては大切で、建物に例えるなら、上に建った物を一旦取り除き、基礎に手を加えて壊して、そして、その基礎部分をもう1度偏りなくまっすぐに作り直す作業で、それは心の下地をまっすぐ偏りのない状態に戻す事、作り直す感覚、そんなふうに思いました。
下地をまっすぐにして作り直したそういう心の上になら、それまでよりも傾かない自分を創っていける、そんな気がしています。
(思い出す事に抵抗感や辛い気持ちが強い時は、無理をしない時、まだ向き合うタイミングではないという事。まずは自分に無条件に優しくする時、何よりも自分を大切にする時という事だと思います。)(参考・note記事 2023.3月 見返りを求めない愛、以降の記事)


音楽祭からの体験、担任の先生の言葉からの体験、この2つを思い出せて、自分でしっかり感じきった事で、私の心の奥に、根深くあったもの、感じていたモヤモヤ感がなくなりました。
これは思春期の多感な頃の些細な出来事かもしれません。私の持って生まれた気質故に敏感に感じとってしまった事かもしれません。
出来事の受け取り方や、受け取る強度は個人差がある事だと思いますが、そういう出来事があって、そこで気持ちを素直に外へ表現出来ずに、自分の中に抑圧した事が、知らず知らず、その後の人生に長く大きく影響を与えて行くんだと改めて思いました。
これからしたいと思った事は、納得いくように自分の思うように取り組んだらいいよね、そう自分自身に言い聞かせました。
あの時、先生は私を否定した訳ではない。私が自由に話す事を否定した訳ではない。そう自分の記憶をきちんと書き換えて、心の奥底の基礎をまっすぐに、偏りなく整え直した感覚がしました。


背伸びせず、肩肘張らずに、私は私そのままを自由に表現したらいいと思えました。
思えた事で、自信が急に身に着くとか、自己肯定感が急に育つとか、そういう訳ではないですが、これからそうなっていく事に繋がっていくのではないかなと思いました。
私は私でいいんだ、と、今迄に何回も気づいてきた事、ありのままのどんな私でもいいと。
否定せず、弱い自分も、恥ずかしいと思う自分も、こんな自分嫌だと思うような自分も、どんな自分も、それでいいと。そのままを受け入れて、そのままを認める事。
無条件に自分を愛して、全肯定して全受容して過ごしていく事が、改めて大切なんだと、腑に落ちてそう思った今回でした。



気持ちの整理が出来た数日後、退勤後に携帯を見ると、義母が入院して今から緊急手術をするという連絡が入っていました。



お読み頂き、ありがとうございました。





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