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悪意に満ちた世界を正面突破するファンタジーラブストーリー、映画『町田くんの世界』

久しぶりの投稿です。しばらく更新をお休みしていて、そろそろ何かかきたいなと思っていた矢先に鑑賞したのが映画『町田くんの世界』。私が大好きな映画『舟を編む』の石井裕也監督がメガホンを取ったということで期待を膨らませて劇場に足を運びました。すると、思いもよらない衝撃のラストを迎えた本作。これはnoteに書くしかないと想い、言葉を綴っている次第です。

『町田くんの世界』とは?

オリジナルは安藤ゆきの少女マンガ。

主人公の町田くんは黒髮メガネという容姿の男子高校生。とりわけ勉強が得意なわけでもなく、スポーツに非凡な才を持つわけでもない。ただひとつ、彼が主人公たる所以がある。

それは、町田くんは「人が大好きだ」ということ。どれくらい人が好きかと言うと、困っている人がいたら放っておけない、人の望みは叶えてあげたい、友人のことを「僕の大切な人だ」と歯の浮くようなセリフを恥ずかしげもなく言えるほどだ。

そんなファンタジーのように素直で実直な男に、老若男女問わず彼を好きにならずにはいられなかった。同級生の女子高生・猪原さんも彼を好きになり、恋に落ちたうちのひとり。猪原さんの恋心に触れていくうちに、町田くんは「人が好き」であることと「猪原さんが好き」であることに違いがあることを知り、猪原さんへの恋心が芽生えていることに気づきはじめるのだ。

どこまでも善人な町田くんが稀有な存在であることを象徴するように、池松壮亮演じる週刊誌記者の次の語り口が劇中で何度も流れる。

「この世界は悪意に満ちている」

世界は人々による蹴落としあい、陥れあいだ。

だからこそ「人が好きだ」「すべての人を家族だと思って大切にする」と言う能天気野郎・町田くんが見えている景色は、私が見えているこの世界とは違うのかもしれないという想いを馳せてしまう。

この映画は、純朴な町田くんの恋物語であるが、町田くんという底抜けなお人好しが魅せる生き方の提案なのかもしれない。

原作比較で浮き彫りとなる石井監督の映画表現への挑戦

※これから衝撃的なラストについての話となるので、ネタバレが含まれます。あらかじめご了承ください。

衝撃のラストとは、簡単に言うと「猪原さんへの恋心に気づいた町田くんが、風船で空を飛び、猪原さんに会いにいく」のだ。

わけがわからないかもしれない。私はわけがわからなかった。わからなさ過ぎて、笑いが止まらず、帰宅中も「あのシーンは何だったのか?」とずっと考えていた。

そしてまず行動したのが、原作を読むこと。原作を読んで驚いたのが、映画が原作のストーリーとはだいぶ異なる路線を走っていたこと。町田くんというキャラクターは変わらないのだが、サブキャラたちの配置や物語の展開などはオリジナルの要素が映画には散りばめられているのだ。そしてやはり「風船で空を飛ぶ」描写は原作にはなかった。

そうなると、いきなり風船で空を飛ぶというファンタジー描写をぶち込んだ監督の脳内が気になるところだ。

そこで、映画.comに掲載されている石井裕也監督のインタビューを読むことにした。

なるほど、してやられた。私は、まんまと挑発されたわけだ。劇場公開作でこれほどのチャレンジをできる監督は日本ではとても少ないのではないだろうか。

町田くんという存在がまるでファンタジーであるように、人が恋に落ちるということもまたファンタジーなのだ。石井監督の言葉に、そう 思わずにはいられなかった。

人を信じること、人を好きになること、人を愛すること。

綺麗事100%の本作は、まぶしくて、うらやましくて、あたたかい。「そんな奴いねーよ」と切り捨てるのではなく、町田くんのように生きることに想いをめぐらせたら、この悪意に満ちた世界の景色は少し変わるかもしれない。

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