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発達障害と言う診断名「豊かな人生を求めて生きたい」

乳幼児の親子ふれあい遊び教室を
地域でしていた時
1歳前後の息子に対して 
「この子は発達障害よ 普通と違う」と
私に同意を求めるように やたらと言うママがいた。
子にすれば
「僕は発達障害なんだ 普通と違うのだ」と
よくない人間のように
ママから毎日 念仏のように刷り込まれて
コンプレックスを植え付けられているわけだから
障害を持っていなくても この親の言葉が
お子さんの
心の障害をつくりだすのではと心が痛んだ。
そのママは
あらゆる病院に子供を連れてゆき
診断してもらっていた
いくつかの病院を渡り歩いて
やっと自分の求めていた診断名を得たようで
ある日 私のところに来て
「青龍先生 病院で診てもらったら
やはり 発達障害でした」と
私の直感は当たっていたと言うふうに
誇らし気に報告してくれた。


障害と言う名の診断名
病気と言う診断名は
その子の個性として受け入れて
その子が その個性を抱えて豊かに
人生を過ごせるように
導く事が親のお役目
私達子育て支援者のお役目だと思っている

普通であれば
親が先に死ぬのである

私(親)が 今死んでも その子のなりに人生を前向きに
生きていけるように
自分の身の回りの事が自分で できる子にする事
それが子にできないのであれば 自分以外の
子供を助けてくれる施設や支援を探す事
経済的な支援を受けられる道筋を整えてあげる事は
自分が生きている間に すべきことだと思う

診断名がついたら
そこはゴールではなくスタートなのです。

障害の度合いが大きければ大きいほど
国の支援は受けやすいけど
境界線のハンディは
自分で乗り越えて行くしかない
本人が家族が  あらゆる知恵を絞って
支えて行くしかない

「発達障害です」そう医者が言い渡し 
言い渡された親は 子供の多動を静止するために
子を薬漬けにし 子は一日中薬の副作用で
走り回る事を奪われ
ぼんやり長い年月を過ごした
親の事例を聞いた事がある。
まるで薬漬けの廃人状態だ。
その事例は 私にとって
豊かな人生とは何なのか?生きるとは何のか?
自問自答させてもらった事例だ。

障害と言う診断名が
ついたからといって
境界線 グレーゾーンのハンディをもった者は
世の厳しさや優しさを味わいつつ
自分で杖を持ち
自分で踏ん張って 前向きに生きて行くしかない
それを苦痛に思って生きるのか
豊かな人生に変えて行くのかは
その人次第なのだが

一番そばにいる親が
障害と言う個性を 否定して
コンプレックスを植え付け
最悪 生きて行く気力すら奪う
毒舌だけは 避けていただきたい

どの人も
個性を持って生きている
親である自分自身も個性を持って生きている
全ての人が 個性を受け入れて
助けあって生きることができれば

豊かな人生
豊かな世界へと
変わって行くのに

今 クラス30人対して
2名から3名が発達障害だと言われいる時代
お子さんにとって
自分にとって
豊かな人生とは何なのか 考えてみてください

私は発達障害を抱えて生きてますが
いろいろ人生ありましたが
障害も素敵な個性だと受け入れて
62歳の今 両親はすでに他界してますが
豊かに生きてます。



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