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スクラップアンドビルドされる「小宇宙」-台湾の中国語俳句(倉本知明)

「倉本知明の台湾通信」第3回
小宇宙 現代俳句266首』 著:陳黎 2018年6月出版

翻訳と創作の関係性について考えるとき、僕の脳裏にはいつも陳黎(ちぇん・りー)さんの顔がよぎる。長らく台湾現代詩の第一線で戦ってきたこの偉大な詩人は、機関銃のような軽快な口調で言葉や世界に対する読者の認識を次々と打ち抜いてきたが、僕もまたそうした彼の言葉に感化された読者の一人だった。

その影響からか、台湾で生活するようになった僕は中国語で詩を書き、やがてそれらを台湾の雑誌で発表するようになった。それが目にとまったからかどうかは知らないが、数年前から台湾東部の花蓮で開催される太平洋国際ポエトリーフェスティバルにゲストの一人として呼ばれるようになった。フェスティバルの主催者でもあった陳黎さんとは、そこで初めて親しく口をきくようになったのだった。

「おい、倉本。俺の翻訳した俳句はどうだ?」

フェスティバル会場はかつて日本軍の指揮所として建設された建物で、その背後には空襲の目隠しに植えられた巨大な松の木が鎮座し、真っ青な空を掴むように四方に伸びた枝の隙間からは同じく紺碧に輝く太平洋が広がっていた。僕の答えを待つまでもなく、彼は満足げに自身が翻訳した俳句を朗誦しはじめた。

  艸艸艸艸艸艸艸艸艸
  兵兵兵兵乒乒乓乓:夢
  艸艸艸艸艸艸艸艸艸

ラテンアメリカ詩の翻訳を通じて俳句に接近した陳黎さんは、日本統治期に残された日本語の俳句・短歌の翻訳に加え、松尾芭蕉や小林一茶、与謝野晶子らの中国語翻訳を手がけてきた。また、翻訳だけに止まらず、これまでに「小宇宙」シリーズと呼ばれる中国語俳句集を四度にわたって出版、2018年中国で発売された『小宇宙 現代俳句266首』では、無季語・無定型の中国語俳句に色彩豊かなイラストを添えて発表するなど、中国語俳句の創作をそのライフワークとしてきた。

針の孔に糸を通すような慎重さで、口腔で爆ぜるその音を耳の奥へと滑り込ませた僕は、今度はそれをそのまま真っ白なページに艶かしく横たわる日本語の上に縫い合わせていった。

  夏草や兵どもが夢の跡

「陳黎さんらしいですね」僕は笑って答えた。還暦を超えたこの老詩人は、僕の答えに少年のように無邪気な笑みを浮かべた。いったい翻訳とは何なのだろうか。僕はこの偉大な詩人が日本語をほとんど話せないことを知っている。

異なる言語や文化との「対話」で生まれた俳句

現代台湾において、俳句や短歌の創作を行った詩人は少なくない。日本では一昔前に『台湾万葉集』や『台湾俳句歳時記』などが大きな話題になったが、台湾ではこうした日本語教育を受けて育った世代による日本語創作以外にも、中国語による俳句創作も数多く行われてきた。
中国語俳句のルーツとその形式は文化や国境を幾重にも跨ぎ、日本語による創作と同様に非常に多様性に富んでいるが、こうした中国語俳句に更なる彩りを加えたのが、ラテンアメリカのスペイン語俳句を中国語に翻訳し、それを自身の創作へと取り込んでいった陳黎(以下敬称略)だった。

例えば、『おくのほそ道』を自らスペイン語に翻訳するほど俳句に傾倒していたメキシコの詩人オクタビオ・パスが、「世界は/十七音節におさまり/あなたはこの小屋にいる」といったように、自らの俳句理解を基礎とした作品をシラブル(音節)を持った俳句式の作品として発表すれば、陳黎はそれを中国語に翻訳した上で次のようにリライトしている。

芭蕉には彼の俳句を書いてもらい、おくの細道へ
向かっていただく。僕の芭蕉(バナナ)は
君のおくの細道を書くことにした

パスが母音と子音の関係性や五・七・五の定型を、自らの「俳句」の中で正確に理解しようと努めているのに対して、陳黎は「芭蕉には彼の俳句を書いてもら」うと述べ、自らの創作があくまで異なる言語や文化との「対話」の結果、生まれたものであることを強調している。
日本語教育を受けた台湾詩人の多くが、意識的・無意識的に日本語俳句のルールを念頭に創作しようとしていたのに対し、陳黎はむしろ自身の俳句を他者と「対話」を試みるツールとして利用してきた。日本語世代の詩人たちが抱えたこうした「理解」への欲求は、萩原朔太郎がかつて俳句の外国語への翻訳を「先祖代々の伝統する文化に生活せねば」「絶望的に不可能」だと述べたことにも共通しているが、陳黎は「芭蕉には彼の俳句を書いてもら」うことで、自身の中国語俳句をそうした日本固有の「伝統」や「文化」といった枠組みから解放してしまったのだ。

だからこそ、読者は陳黎の作品に翻訳の正確さや緻密さを期待するよりも、むしろそこでどのような「対話」が行われたのかに興味を示してきた。前述した芭蕉の訳文についても、おそらく初見でその原文を言い当てることができる読者はほとんどいないだろう。しかし彼の創作を見てきた読者は、それが彼の代表作「戦争交響曲」をモチーフにしていることに気が付くはずだ。

翻訳とは創造的誤訳であるとはよく言ったもので、陳黎の創作は翻訳なくしては成立しないし、逆もまた然りである。彼は異なる複数の言語を通じて作り上げた「小宇宙」においていくつかの作品を並列させ、それらをランダムに組み合わせることによって、中国語俳句のスクラップアンドビルドを繰り返してきた。その意味で、陳黎の築き上げた「小宇宙」はさながらブラックホールのように、出自の異なる様々なテクストを吸収しながら生成を続けているのだ。

艸艸艸艸艸艸艸艸艸(なつくさや)

彼の「小宇宙」を再翻訳すれば、果たしてどんな日本語が生まれるのか。言葉をめぐる宇宙は、翻訳によって延々と拓かれていく。

執筆者プロフィール:倉本知明
1982年、香川県生まれ。立命館大学先端総合学術研究科卒、学術博士。文藻外語大学准教授。2010年から台湾・高雄在住。訳書に、伊格言『グラウンド・ゼロ――台湾第四原発事故』(白水社)、蘇偉貞『沈黙の島』(あるむ)がある。

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