ミチオカク

内向きの時代だからこそ、スケールの大きな未来を語る(斉藤隆央)

翻訳者自らが語る! おすすめ翻訳書の魅力 第8回
"The Future of Humanity" by Michio Kaku  2018年2月出版
人類、宇宙に住む』 著:ミチオ・カク  訳: 斉藤 隆央
NHK出版、2019年4月25日発売

突然だが、かつて私は天文少年だった。
小学生のころ、バイキング探査機が火星に着陸し、10代の多感な時期に、ボイジャー1号と2号が木星、土星、天王星、海王星とその衛星たちを次々と訪問した。今調べたら、パイオニア10号と11号がひと足早く木星と土星に接近していて、それも小学校時代だった。新聞の1面にでかでかと載ったSF映画のようなカラー写真を、胸を高鳴らせながら食い入るように見つめていたのを思い出す。

「NASAは隠しているが、火星が実はある程度人も住めそうな大気をもつ星で、地球環境の悪化にともない米ソが共同で移住計画を進行中だ」といった話が、オカルト界隈で盛り上がったのもこのころだ。これの元ネタは英国のテレビ局が制作した『第三の選択』というフェイク番組なのだが、陰謀論者には「フェイクと言わざるをえない圧力がかかった」などと理由づけがされたらしい。そのなかでは、核爆弾で極冠の氷を解かしてテラフォーミング(地球化)するという、荒唐無稽にも思えるプランも語られていた。ところがなんと、それから40年経った今、現実的な火星移住計画の手段のひとつとして検討されているそうだ。

ひと昔前には夢物語だったようなことが、今では現実になっている。宇宙開発競争もそうだ。宇宙へロケットを飛ばすには巨額の費用がかかり、これまで国家レベルの組織でなければ不可能なことだった。ところがいまや、イーロン・マスクやジェフ・ベゾスなどの大富豪が営む民間企業がロケットを飛ばし、国際宇宙ステーションに荷物まで運ぶ時代だ。つい先日には、日本でも堀江貴文氏が創業したインターステラテクノロジズ社が、民間単独で高度100キロメートルの宇宙空間への到達に成功した。

そんな宇宙時代の胎動に、フューチャリストのミチオ・カク博士が目をつけないわけがなく、今回の本で選んだテーマは「宇宙への人類の進出」だ。私がカクさんの本を訳すのもこれで5冊目になるが、彼は一貫して「未来」を語ってきた。『パラレルワールド』では宇宙の未来、『サイエンス・インポッシブル』と『2100年の科学ライフ』では科学技術の未来、『フューチャー・オブ・マインド』では「心」の未来が描かれ、今回は人類の未来である。

未来の鍵を握るのは私たち自身

彼の語る未来は、いつだってかなり楽観的だ。「火星に人類が住むなんてまだずっと先だろう」「ましてや遠くの恒星系に移住するなんて絵空事で、だいいちそれまで人類が生きているかもわからない」ーーそんな現実主義的な批判などどこ吹く風で、彼はひたすら科学者としての知識を総動員して未来の技術を考察し、人類が銀河規模の文明を築き、やがて宇宙の終わりが来るときには別の宇宙へ脱出する方途まで探る。

今の世の中、なにかと近視眼的で、スケールの大きな話をしても冷ややかな目で見られることが多い。インターネットで世界はつながっているのに、人々の心はむしろ内向きになり、SNSでは偏狭な見方で他人を叩く声も散見され、先進諸国でも排外的思想が台頭し、日本もいまやその例外とは言えない。そして非科学的なフェイクがあふれ、拡散される時代となっている。

だがそんな時代だからこそ、カクさんの楽観的な未来像は、忘れられていた「夢」や「希望」を私たちに取り戻させてくれる。カクさんも、人類が抱えている問題や、未来が必ずしも明るくないことはわかっている。それでも科学と人類への信頼を手放さない彼は、未来の鍵を握るのは私たち自身であり、だからこそみんなで民主的な議論をする必要があり、そうした議論が健全にできるようにするために、教育が果たす役割は大きいと考えているのだ。物理学者であるカクさんがこうして一般向けに何冊もエンタメ性の高い本を書き、メディアにも頻繁に顔を出して啓蒙活動を熱心にしている理由は、そこにあるのではないかと私は思っている。

と、ここまで書いて、肝心の新刊書の具体的な内容についてはあまり踏み込んでいないことに気づいた。でもまあ、これまでの彼の本を読んできた方々には、カク先生が今度は宇宙時代の幕開けとこれからの人類文明について書いたと言えば、期待に目を輝かせて読んでくださるはずだ。それに、読んだときのわくわく感を味わっていただくには、ネタバレになるのも良くない。

そこで、初めて彼の本を読む方に向けて少しだけ情報を追加しておこう。ミチオ・カク博士は、素粒子物理学の分野で超ひも理論を構成する「ひもの場の理論」というものを創始した学者のひとりなのだが、本国アメリカではメディアでよく目にする科学のエンターテイナーとしてのほうがおそらく有名だろう。大のSFファンでもあるので、彼の本では随所にその知識が顔を出し、難しい科学の話もSFのたとえですんなり理解できる。科学はちょっと……という方でもぐいぐい引き込まれる文体も彼の魅力なので(翻訳でもそうでありますように!)、怖がらずにぜひ手にとっていただきたい。

執筆者プロフィール:斉藤隆央 Takao Saito
翻訳家。東京大学工学部工業化学科卒業。化学メーカー勤務後、翻訳業に専念。訳書に『時空のさざなみ』(化学同人)、『生命、エネルギー、進化』(みすず書房)、『タングステンおじさん』(早川書房)、『フューチャー・オブ・マインド』(NHK出版)などがある。

※同著を倉田幸信さんが取り上げた記事はこちら!


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