見出し画像

『マンモスを再生せよ ハーバード大学遺伝子研究チームの挑戦』

担当編集者が語る!注目翻訳書 第11回
マンモスを再生せよ ハーバード大学遺伝子研究チームの挑戦
著:ベン・メズリック 解説:相澤康則 訳:上野元美
文藝春秋 2018年7月出版

「とてもおもしろいですよ。少々ぞっとしながら読みました」
企画検討のためリーディングをお願いしていた翻訳者の上野さんから、そんなメールが届いたのは昨年秋のこと。「ぞっとする面白さ」という表現に良い引っ掛かりを覚えつつ、本の内容がまとめられたレジュメに目を通す。一読。うん、これは面白い――。

どの企画の版権を買うべきか。翻訳編集者にとって、これほど頭を悩まされる問題はない。だが、買うべき本には必ず、それが「検討中」の山の中からふいに飛び出て、光を放ち始める瞬間がある。後々、その光が自分の勘違いだった、ということもあるから難しいのだが、ともかくも、最終的に買った本も買わなかった本も、はたまたオークションに負けて買えなかった本も、不思議とそれが「光を放った瞬間」のことだけは忘れないものである。そして本書『マンモスを再生せよ ハーバード大学遺伝子研究チームの挑戦』は、まさに冒頭のメールを受け取った瞬間に、光り始めたのだ。

『ソーシャル・ネットワーク』原作者が描く「マンモス復興計画」

ジョージ・チャーチという男。ハーバード大学で遺伝学を研究している教授が、本書の主人公だ。チャールズ・ダーウィンを彷彿とさせる白い顎鬚が特徴的な人物だが、どの写真を見てもその眼光は鋭く、彼だけに見えている世界にピントを合わせているようにも感じられる。ぜひ、「George Church」で画像検索していただきたい。「すごく頭が良さそうだけど、なんかヤバそうな教授」の姿が出てくるはずだ。

チャーチ教授は、ヒトゲノム計画の発案や「次世代シーケンサー」の開発などを通じて、遺伝子革命を牽引し続けてきた天才である。毎年、ノーベル賞候補としても必ず名前が挙げられる。そんな彼の研究室には、世界中から引き寄せられるように若き頭脳たちが集まっている。中でも選りすぐりのエースたちが取り組んでいるのが、「マンモス復興計画」だ。

本書はそのプロジェクトの全貌を、まるで小説を読むかのように追体験できるノンフィクションだ。計画の立ち上げ、メンバー集め、サンプル採取、資金調達、DNA分析……。そのすべての過程が面白い。本書の著者、ベン・メズリックが原作の大ヒット映画『ソーシャルネットワーク』の登場人物たちのように、チャーチ研究室の若者たちもまた、高速キャッチボールのような会話の末に、次々と研究の壁を突破していく。その常人離れした頭の回転の速さには、驚きを通り越して高揚感すら覚えてしまう。

また、彼らがマンモスを復活させようとしている理由も、非常にわかりやすく説明されている。このプロジェクトは、「マンモスが蘇ったら面白いよね」という漠然とした思いつきから始まっているわけではない。ざっくり言うと、「地球のさらなる温暖化を防ぐには、この方法しかない」という明確な根拠を持ってスタートしているのだ。ぱっと見ではあまりピンと来ないこの動機も、本書を読んでいただければ、思わず誰かに語りたくなること間違いなしだ。

ゲノム編集で生み出される「ニュー・マンモス」

とは言うものの、本当にマンモスを復活させることなど可能なのか? 本書で最も重要なのは、その点である。そこで鍵を握るのが、チャーチ教授が切り開いてきた「合成生物学」という研究分野だ。チャーチ教授も携わり、2003年に完了したヒトゲノム計画は、ヒトゲノムの全塩基配列を解析するというプロジェクトだった。これは、いわばDNAを「読み取る」研究であり、その結果として、遺伝子検査をはじめとする医学等の発展がもたらされた。

だが、科学の世界は既に、その次のステージに突入している。いまの生物学は、DNAを「読み取る」のではなく、「書き込む」時代になっているのだ。それが合成生物学という研究分野であり、その中心に立ち続けているのがチャーチ教授である。合成生物学は、人間の手によって新たな生命体を創り出すことを一つの目的としている。生物の根幹をなすDNAも、つまるところは物質である。そして科学技術の進歩によって、ついにはその「物質」までも、人間による微妙な操作や作成が可能になった。本書は「マンモス復興計画」を通して、現在進行形で起きつつある、この合成生物学という名の大変革を描いているのだ。

チャーチ教授らは、マンモスのクローン、すなわちコピーを生み出そうとしているのではない。彼らはマンモスのゲノムから「マンモス遺伝子」を読み取り、それをアジアゾウ(遺伝的にマンモスと最も近い)のゲノムに書き込むことで、「ゾウをマンモスにする」という計画を立てている。それが成功したときに生まれてくるのは、かつて存在したマンモスとも、現存するアジアゾウとも違う、「ニュー・マンモス」とも言うべき全く新たな生命体だ。

SFめいた話に思えるかもしれない。だが、合成生物学を駆使して作られた人工生命体は、既にこの世に誕生している。本書にも書かれている通り、チャーチ教授もゲノムを合成し、自然界には存在しない大腸菌を実験室で作り出している。そして、こうした「生物工学」における遺伝子の設計は、すべてがコンピュータ上で行われる。まるで機械や建築物を組み立てるようにして、新たな生物が作り出される時代がもう始まっているのだ。

生物学の世界はフィクションを凌駕しつつある

合成生物学は、私たちをどんな未来へと導くのか。そしてなにより、私たちは合成生物学によって世界をどう変えていきたいのか。本書は何度もこの問いを突きつけてくる。合成生物学が医療やバイオテクノロジーの世界にもたらす可能性は測り知れない。だが同時に、「人はどこまで生命を操作してよいのか」という倫理的な問題とも、私たちは向きあっていかなければならない。

本書の解説は、東京工業大学生命理工学院の相澤康則准教授に依頼した。ゲノム科学を専門とし、チャーチ教授もリーダーの一人として名を連ねるGP-write(ゲノム合成計画)では、日本人から唯一、パイロット・プロジェクトに研究計画が採用されている気鋭の研究者だ。相澤氏は解説の中で、このように書いている。

本書には、いくつものどきっとさせられる言葉が出てくる。そして過激な言葉を浴びるほど、感情は思考を凌駕してしまう。しかし、その言葉の過激さに圧倒されることなく、またそれをハーバードの精鋭だけに任せ、他人事として傍観するのではなく、自分事として思考し、本書を読み進めていくと、この現代生物学の光と闇とを一種のバーチャル・リアリティとして体験できるはずである。

まずは巻末に収録されている、この相澤氏の解説から読んでいただくのもオススメだ。日本人研究者から見たチャーチ教授と合成生物学のインパクトが、整理された情報としてすっと頭に入ってくる。いま、生物学の世界で起きている大変革を知ることから、すべては始まる。

最後になるが、本書は既に20世紀フォックスでの映画化が決定している。かつて、スティーヴン・スピルバーグが製作した『ジュラシック・パーク』は、世界中の子供たちや科学者の想像力を刺激し、「映画の世界を現実にしよう」という意志を多くの人々に植え付けた。その第一作の公開から25年経った今、生物学の世界は凄まじいスピードでフィクションの想像力を追い抜き、遂には「現実の世界を映画にしよう」という人々を生み出した。本書を映画化しようと決めた彼らにとっても、この作品が「初めて光を放った瞬間」があったはずだ。公開はまだ数年先になるだろうが、その輝きがどんな映画に結実するのか、期待して待ちたい。

執筆者:坪井真ノ介(文藝春秋 翻訳出版部)


この記事が参加している募集

推薦図書

よろしければサポートをお願いいたします!世界の良書をひきつづき、みなさまにご紹介できるよう、執筆や編集、権利料などに大切に使わせていただきます。