「学校でうんちができますか?」からわかる高校生の現状
授業中に手を挙げて「先生、お腹が痛いのでトイレに行ってきます」と言う生徒がいたら、クラスメイトはどのような反応をするだろうか。
びっくりする?
笑いに変えて明るく茶化す?
それとも「うわあ」という表情で見る?
正解はそのどれでもない。
生徒にとって「学校でうんちをすることが恥ずかしい」という意識はないため、誰も何とも思わない素振りをするのだ。
だから手を挙げた生徒も堂々と席を立ってトイレへ行けるし、教室へ戻るまで長引いたとしても特に誰も反応しない。
なお、過敏性腸症候群(IBS)の生徒もたまにいるが、休み時間にずっとトイレへこもっていようと、授業中に何度も慌ててトイレへ駆け込もうと、やはり特に誰も反応しない。
男女問わず変わらない。
これは日常生活のひとこまである。
ほかの例も挙げてみよう。
たとえばすでに死語となりつつある“オタク”という存在。
男子生徒がアイドルやアニメ関連のグッズ、マニアックな電車のグッズ、それから女子生徒がボーイズラブのグッズなどを持っていたとしても、やはり特に誰も反応しない。
いわゆる“オタク”という存在が一線を引かれ、まわりからからかわれたり自ら息を潜めたりするような古臭い風潮はもう見られない。
“オタク”だろうがなんだろうが、それは数ある趣味嗜好のひとつとして、しっかりと確立されているのである。
たとえば性的指向や恋愛経験。
異性愛が一般的だという感覚はあるものの、同性愛でも両性愛でも無性愛でも別にいいんじゃないのという感覚もしっかりとある。
そのためクラスメイトが突然カミングアウトして異性の制服を着用してきたとしても、ああそうだったんだ、でもまあそんな感じはしたよね、と受け止める。
また、恋人と付き合ったことがあるか、恋人とどこまでの関係性を築いたか、などという恋愛経験についても、経験が豊富であるほど良い(かっこいい)という感覚はなんとなくあるものの、だからといって経験がないことを隠そうとする価値観はさほどない。
そのため授業で恋愛が題材になっている作品を扱うと「まだ付き合ったことがないからこういうの全然わかりません」「デートするとかめっちゃ憧れます」「自分にそんな日は来るのかな」など、明るくまっすぐに意見を述べる。
性的指向や恋愛経験はどんどんオープンになってきているのかもしれない。
ほかにも発達障害・精神疾患・家族構成・家庭環境など、ひと昔前なら隠したくなるような事柄だとしても、いまの彼らにとって、その意識は薄くなっている。
少なくともわたしの勤めてきた高校は、どこもこういった傾向が見られた。
これらはすべて個人主義の定着による個性の尊重が進んだ結果だといえるだろう。
先に結論を述べると、わたしはこの傾向をとても良いことだと思っている。
わたしが子どものころはまだ多数派の概念に縛られているような側面があり、多数派のレールへ乗るために自分自身を封じ込めるような価値観も少なからずあった。
だからこそ現代の子どもたちを見ていると、自由で、のびのびとしていて、羨ましくなる。
ただ、物事は常に両面性を持っているため、必ずしも良いことばかりだとは言い切れない。
問題点をひと言で表すならば他人に無関心で自己中心的ということになるだろう。
すぐに思い浮かぶのは、以前、年配の教員から聞いた以下の言葉だ。
「昔は生徒の違反行為(喫煙など)が発覚して注意すると、自分だけがやりましたと言って罪を被り、必死になって友だちをかばっていた。でもいまの生徒は注意すると、自分だけじゃなくてあいつもやりましたと言って平然と友だちを売る。指導はしやすくなったかもしれないけれど、なんだかさみしいな」
わたしはこの言葉が忘れられない。
たしかに、振り返るとわたしにも実感できるところがある。
たとえば、1年間関わってきたはずなのに最後まで名前を知らないクラスメイトがいたり、体育祭や文化祭などの情熱に欠けたり、仲間意識や団結力という発想を毛嫌いしたりするような生徒も少なくない。
「クラスメイト全員で卒業したいね」と語りかけても「え、そう?」という表情をされたり、クラスメイトが不登校や停学や退学になったとしても「自己責任で自業自得だからしかたない」「所詮他人だから関係ない」とあっさり割り切られたりする。
そんな姿を見ていると、わたしも年配の教員とおなじく「なんだかさみしいな」という感想が湧き上がる。
個人主義の定着や個性の尊重は、他人に無関心で、友情に熱くなく、時として冷たく、希薄で淡白な人付き合いを好む自己中心的な姿勢を生み出したのかもしれない。
それでもわたしは先述のとおり、この傾向の両面性を踏まえたうえで、やはりとても良いことだと思っている。
学校で堂々とうんちができる環境は居心地が良いに決まっているからだ。
とはいえ、個人主義の定着や個性の尊重という側面を伸ばしながらも、一方で他者に対する関心や想像力を育ませていくことが、わたしたちに求められている課題だといえるだろう。
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