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食べ過ぎる幸せ(エッセイ)

今夜のごはんは食べすぎた。そんなふうに思う日が多い。

食べてる最中に、あと一品食べちゃったらきっと胃もたれしちゃうだろうから、ここまでにしておこう。と一歩踏みとどまることができない。


ごはんをひとくち食べる。幸せを感じる。もうひとくち食べる。幸せが止められなくなる。ごはんを食べ始めた瞬間、もっとも原始的な幸せの状態を、どこまでも維持しようとからだが抵抗して、理性が機能しなくなる。

なんていうのは歯止めがかけられなくて食べすぎてしまう言い訳だけれど、本当にからだが勝手に動いてるみたいに食べるのをやめられなくなるのだ。


こうして胃袋の容量をこえたごはんを食べてしまうと、困ることがある。


まず、夜「眠ろう」と決心するタイミングが遅くなること。

寝る直前に食事をすることで、睡眠中なのに内臓が活発にうごいてしまって睡眠の質が下がり、消化不良をおこしたり胃腸にダメージを与えたりすることも多いらしい。

同じように、夜ごはんで胃袋にたくさん食べ物を送りこむと、布団に入るタイムリミットまでに消化しきってもらうことは難しくなってくる。仕事を押し付けられて残業をさせられているみたいなものだ。

睡眠の質とからだのことを考えると、食べすぎた後はそんなに早く布団に入ることはできないし、そんなことを気にしていると結局、睡眠時間も短めになってしまう。早く寝られなくて、長く眠れない。


次に、太ること。食べすぎると、太ってしまう。

(摂取カロリー)>(消費カロリー)

というシンプルな計算式で、食べれば食べるほど太れる。しかしながら、食べれば食べるほど今が幸せになるんだから仕方ない。食べたい。食べていたい。


こんな状態になっているのはなんでかというと、「美味しい!」「食べてる状態が幸せすぎる!」という脳内物質がとまらなくなっているかららしい。この脳がバグっている状態は、多分腹八分目で食事を終わらせることで、どんどん改善されていくはず。

今までだいたい数ヶ月くらいのスパンで、「胃袋がどこまで膨張しても平気な無双モード」と「腹八分目でおさえておいて、健康と美味しいを両立できる時期」を行き来してきた。

後者には、自分を管理できている感覚が生まれて、より日常生活で自信を持って生きられるという利点があるかもしれない。

今夜のごはん、食べすぎてしまった。苦しい。そんなふうに思わなくていい自己規律の感覚。


かといって、今夜のごはんは食べすぎた。という日が多い生活が不幸かと言ったらそうではないと思う。

その時々の自分のからだとこころに必要な「食べ方」を選ぶ必要がある。

「朝三暮四」とか「損して得取れ」と言うように、食べすぎないことで後から苦しむのを未然に防ぐのも一興。対して、今のために今を生きる「Living For Today」の精神で、お腹いっぱい食べる幸せを享受するのもまた一興。


さらに新しい視点を加えてみるとするならば、「食べ過ぎは幸せに生きるチャンス」と考えてみると良いかもしれない。

・・・今日は、食べすぎてしまった。苦しくなるまで食べるのは、なんて幸せなんだ。明日は、腹八分目までにおさえておこう。
・・・今日も、食べすぎてしまった。お腹いっぱい食べて、幸せだ。明日こそ腹八分目まででおさえるぞ!
・・・今日は、腹八分目までで我慢することができた!自分をコントロールできる感覚はなんて幸せなんだろう。できるだけ我慢し続けられるようにしよう!
・・・よし、1週間我慢し続けられて、少し痩せた気がするぞ。
でも久しぶりに食べすぎてしまった。特別美味しいごはんだったなあ。

そんな「刹那」と「規律」の狭間を生きることで、片方から片方に移る余白があって、飽きない幸せを得られる。健康を意識するかたわら、お腹いっぱい食べる幸せも、あってもいい。


・・・なんていう言い訳を今思いつきました。(腹いっぱい食べたいだけ)


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