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2018年6月の記事一覧
オチを求めるひとの、オチがない話
わたしはなにごとにもオチを求めるほうです。
「大阪人じゃないんだからオチがなくたっていいんだよ」と言ってくれるひともいますが、基本的にオチのないことはなるべく言いたくありませんし、よっぽど優しい気持ちのときじゃなければ聞きたくもないのです。
オチのないこと=結論がない、だけではありません。聞いている側にはどうしようもないこと(天気などの自然現象とか、話し手の体調とか、言う相手をまちがっていること
「不味い!」と言う勇気
予約するのに一年待ちという人気っぷり、かつ、お値段的にも高級なお寿司屋さんに運良く行けたとする。
そこで食べたものが今ひとつ美味しいと思えなかった場合、「今ひとつかな」「あの味好きじゃない」と言える勇気は、わたしにはたぶんない。
高いお金を払ったのに不味いだなんて思ったら損した気分になるというのもあるけれど、大勢の人が「美味」と言っているものに対して「不味っ!」と言える強さがないからだ。大勢の価値
「生活のたのしみ展」はこわくなかった
先だってこんなことをつぶやいたのだけど。
行ってきましたよ、最終日に。
人混みが苦手、買いたいものがない、文化祭的雰囲気になじめないから行くのがこわいと言いつつも、前回のnoteに「楽しめますよ」というコメントを頂戴したのと、気がすすまないけど気になるものには行ってみるのもアリだと思ったので。
雨のため規模を縮小して屋内での開催ということでしたが、結構な数のひとがいました。
限られた空間に出店
「生活のたのしみ展」がこわい
ネット上のどこを見ても「生活のたのしみ展」のオンパレード。
物欲がないから買いたいものも特にないし、人混みが苦手で混雑を想像しただけでうんざりするから、まだ行っていない。
なにより、あの明るい世界に行ってなじめる気も楽しめる気もしない。
文化祭のような一体感に、幼い頃から現在に至るまで今ひとつなじめない。
仕事は一生懸命やる。
なじめない感をごまかすために、必要以上に、建物のなかで歩数が1万数
思考停止と無知と想像力
5月でしたか、ある大学が学内の施設を改修する際に、その施設に設置されていた文化的な価値があるとされる作品を捨てちゃったなんてことがありました。
そのできごとの当事者に取材した記事を、先日どこかのニュースサイトで読みました。
取材した記者は「思考停止」という切り口で書きたかったのか、あるいは記者本人の考えの確証を得たかったのか、とにかく「思考停止」ということばを取材先から引き出して満足して終わった