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2018年6月の記事一覧

近所のおばちゃんだったらよかったのに

近所のおばちゃんだったらよかったのに

昔いた職場で、ちょっと扱いにくいおばちゃんがいた。
彼女は地方の事業所にいたのだけど、同じ事業部だったので、後輩が彼女と一緒に遠隔で一緒に仕事をしていた。

彼女たちは時々間違いを起こしてはクライアントから文句を言われるのだけど、そのおばちゃんは全部ひとのせいにして責任のがれするのが常だった。

こういうひとと組むときは、うまくいくようなやりかたを考えればいいんだけど、後輩もそこまで余裕と能力のあ

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この世はグレーなの〜『万引き家族』を観たあとで〜

この世はグレーなの〜『万引き家族』を観たあとで〜

わたしは万引きをしたことがない。
万引きはしてはいけないことだという倫理観を強くもっていたわけでもなくて、単に怖かったから。
見つかったときのことを考えたら、怖くてできなかった。
だから万引きをするという発想は育たなかった。

家族がほしい。家族をつくる。家族はたいせつに。家族と一緒。
ニセモノでも? ロクデナシでも?
へたな家族なら、いないほうがいい。

自分のことも含めて守るべきものがなければ

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オチを求めるひとの、オチがない話

オチを求めるひとの、オチがない話

わたしはなにごとにもオチを求めるほうです。
「大阪人じゃないんだからオチがなくたっていいんだよ」と言ってくれるひともいますが、基本的にオチのないことはなるべく言いたくありませんし、よっぽど優しい気持ちのときじゃなければ聞きたくもないのです。

オチのないこと=結論がない、だけではありません。聞いている側にはどうしようもないこと(天気などの自然現象とか、話し手の体調とか、言う相手をまちがっていること

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「不味い!」と言う勇気

「不味い!」と言う勇気

予約するのに一年待ちという人気っぷり、かつ、お値段的にも高級なお寿司屋さんに運良く行けたとする。
そこで食べたものが今ひとつ美味しいと思えなかった場合、「今ひとつかな」「あの味好きじゃない」と言える勇気は、わたしにはたぶんない。
高いお金を払ったのに不味いだなんて思ったら損した気分になるというのもあるけれど、大勢の人が「美味」と言っているものに対して「不味っ!」と言える強さがないからだ。大勢の価値

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「生活のたのしみ展」はこわくなかった

「生活のたのしみ展」はこわくなかった

先だってこんなことをつぶやいたのだけど。

行ってきましたよ、最終日に。
人混みが苦手、買いたいものがない、文化祭的雰囲気になじめないから行くのがこわいと言いつつも、前回のnoteに「楽しめますよ」というコメントを頂戴したのと、気がすすまないけど気になるものには行ってみるのもアリだと思ったので。
雨のため規模を縮小して屋内での開催ということでしたが、結構な数のひとがいました。

限られた空間に出店

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「生活のたのしみ展」がこわい

ネット上のどこを見ても「生活のたのしみ展」のオンパレード。

物欲がないから買いたいものも特にないし、人混みが苦手で混雑を想像しただけでうんざりするから、まだ行っていない。

なにより、あの明るい世界に行ってなじめる気も楽しめる気もしない。
文化祭のような一体感に、幼い頃から現在に至るまで今ひとつなじめない。
仕事は一生懸命やる。
なじめない感をごまかすために、必要以上に、建物のなかで歩数が1万数

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感情を取りに行く

感情を取りに行く

最近、吉本ばなな先生をよくお見かけするようになった。ネット上でだけど。
noteを始めたらばなな先生もnoteで書いていることを知って、購読させてもらっているし、アメブロも始められて、わたしゃうれしい。

ばなな先生の『キッチン』が出たのは、わたしが高校生の頃だったと思う。それ以来、新刊が出れば必ず読んでいた。
けれど、社会人になってからは、ああいったやさしい世界にいられなくなって、ばなな作品から

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思考停止と無知と想像力

5月でしたか、ある大学が学内の施設を改修する際に、その施設に設置されていた文化的な価値があるとされる作品を捨てちゃったなんてことがありました。
そのできごとの当事者に取材した記事を、先日どこかのニュースサイトで読みました。

取材した記者は「思考停止」という切り口で書きたかったのか、あるいは記者本人の考えの確証を得たかったのか、とにかく「思考停止」ということばを取材先から引き出して満足して終わった

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