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煙と火種

ここ2日、自助会の主催者に思わぬ激昂で返されたことで
自分の何が原因だったか、相手の考えはどういうものだったか、
をこのノートで検証した。


検証し終わってもすっきりしなかった。

外の日が落ちてきて夕方、あ、、、、これは煙か、、と思った。


煙は、相手の立場に立ち、相手の背景を想像できなかった私はダメだ、
という価値観。

火種は、他人の背景に思慮が回らず、他人を怒らせる私は、存在してはいけない
という価値観。

私がそう思うようになったのは、私が小さい頃から、
父親の気に障ったら怒鳴られ叩かれたし、
母親も私を助けてくれなかったから(つまり父親に賛同したから)。

その価値観は100パーセント事実か?
人の気持ちを想像できない人間は存在してはいけないか?
世界中誰1人として、そんな人は存在してはいけないか?
率直に自分の聞きたいことを聞き、言いたいことを言う人間で
毎日笑って過ごしている人は1人もいないか?
うちの両親の価値観は正しかったか?まともだったか?

答えはNOだ。



以前、信頼するアドバイザーさんに言われたことがある。

・ゆりぽんさんが特性で人の気持ちに配慮できないと自己申告してるのは
他人に共有してもらうため。
だから、空気読めなかったことで悩まなくていい。
(当時、私が特性を自己申告しながら、他人の気持ちを汲み取れていなかったのではないかと悩んでいたから)
・マジョリティの社会では、発達障害の特性を理解されないことの方が多い。
・他人が発達障害の特性を理解できなくても、それは無知が原因であって自由意志ではない。
・ゆりぽんさんがマジョリティの知識やライフハックを得るのは、存在していい許可を得るためではなく、単に便利だから。
知ることで無用な不利益を被らないため。
・ゆりぽんさんは、最初から、ありのままで存在していい。



それらの言葉を思い出して、ホッとした。

今回、私が
火種を見つめていなかったから、
主催者との衝突を検証しても、
心の中で主催者に悪態をついても
心が晴れなかった。

「ふん、仕方ないじゃん!」と開き直りながら
強がっているのが自分でも分かり、
心の芯がスカスカした、心細い、頼りない気がしていた。


火種を見つめると、
「あ、なんだ、事実に基づいていない
火種か。
私はこのままで存在していい。」
と思い出せた。


私はこのままで存在していい→私がしたことは問題ないぜ!!正しいぜ!!落ち込む必要ないぜ!!と言うことではない。

落ち込むし、自分の落ち度は反省はする。
ただ、それと私の存在は関係ないという話。


今回の失敗や衝突、私はとっても落ち込んだ。
あの主催者の反応はショックだったし、傷ついた。
自分はまだまだ他人が自分の発言をどう感じるかを予測できなかったし、
無防備に無礼な発言を他人にしてしまうことにも
ショックを受けて落ち込んだ。(最近もう私は大丈夫と思っていたから)

自分の落ち込んだ、傷ついた、そこまで言われて嫌だった感情は
感じきったし、今後似たような失敗を油断して繰り返して
また思わぬ反撃に遭いたくはないから、
自分の落ち度や何が起こったのかは検証して反省した。


ただ、それらの失敗と
私の存在価値は関係ない。



煙と火種。


最近、私は自己受容感が少しずつ満たされていき、
他者ともそれなりにうまくいっていた。
そうやって、自分の毎日の生活の自由度が少しずつ上がってきていたから、
自分の煙と火種を振り返ることが4ヶ月くらいなかった。


もしかしたら、主催者の女性も、似た活動をしている女性も
私とのやりとりでその人たちの中に眠る火種を刺激されたのかもしれない。


私の質問が、主催者にとっては


「あなたは〇〇だから、あなたは存在してはいけない。」

と私に言われてる気がしたかもしれない。

そりゃ もし 主催者がこういう風に受け取ったのだとしたら、
全力で怒り狂って叫ばずにはいられないわ、と思った。


無意識の火種、恐ろしい。




今後もどんどん見つけて
どんどん火種を潰していこうと思う。





煙と火種の法則



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