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『「助けて」と言える国へ~人と社会をつなぐ』読書感想文

私の住む地域でも小雪がちらつく寒さの年末となった。数年に1度というほどの寒さのなか、職も住むところも失って行き場を無くした人のために各地でコロナ相談会や炊き出し等が行われている。行政機関が軒並み閉庁している年末年始を支えるのは、各地域の支援団体。「1人の命も取り残さない」とするその取り組みがどれほどの政治家の耳に届いているのだろうか。

2020年クラウドファンディングとしては異例の1億円の目標を達成した’NPO法人ほうぼく’を理事長として率いるのが、奥田知志牧師。茂木健一郎さんが司会をつとめたNHK「プロフェッショナル~仕事の流儀」にホームレス支援をテーマに奥田牧師が出演されたところから(2009.3放送)、この本が生まれ、クラウドファンディングの応援に繋がるご関係のよう。

今日は、その1億円を用いての支援の進捗状況がメールで届いた。全国10地域で126室の支援付住居が確保され、既に52室に入居があるとのこと。仕事をすることで条件的に貸与されている社宅のような住まいは、解雇・派遣切りにより突然住むことができなくなる。年末にはコロナの影響で解雇・派遣切りにあった人が8万人を越えるとの予想(時事通信)。「# 家から支えよう」のハッシュタグの意味の重さをこの冬の夜に改めて思い知るのだった。

さて、この本のなかで奥田牧師は「絆」について繰り返し言及されている。

「絆」という言葉には「傷(きず)」が含まれています。
「助けられた人が助ける人になれる」「助けられつつ助けている」
 (東日本大震災時の)絆ブームは、どうも一方的だったように思える。 

(40、218頁より抜粋)

東日本大震災は良くも悪くもこの社会の転換期であったはず。それがどちらへむかったかが、いま試されているように思う。

こちらはNHKの公式Twitterアカウントで今日紹介されている記事。感染者への差別、偏見そして誹謗中傷をなくそうという内容だ。地域と家庭、職場や学校を表した「シトラスリボン」をつけて苦しむ人を支えようという意思表示になるのだそう。リボンやバッチを用いての啓蒙活動、教育現場の取り組みでいくら差別解消を目指しても、差別ありきのマイナスからの出発というところが残念ながらこの国の現状なのだと思った。

単純に比べることはできないかもしれないが、アメリカCNNではリモートで患者や遺族とスタジオのキャスターが対話の時をもち、互いを思いやり、励ましながら、一緒に涙を流す場面を幾度となく見た。CNN年末特番では今年のヒーローとして医療従事者が大きく取り上げられた。少なくともそこに顔の見える「絆」を感じた。

失業も、被災も、感染も自分が望んでそうなったわけではない。痛んだ者が差別や中傷を受けるのであれば、痛みっぱなしになってしまう。痛んだ者に「自己責任」をつきつけて、社会の隅っこに追い込んではいないだろうか。「自己責任」を問うことによって、相手の痛みを分かち合うことを拒絶するような「空気」があるような気がする。関係性を結ぶことがそこで遮断される。他者の傷を引き受けようという気概が社会に望めないのであれば「絆」や「エール」と言った美辞麗句がテレビから聞こえてきても、絵空事に思えてしまう。それどころか、昨今著名人が感染すれば謝罪するという行為がテンプレート化されてしまい、痛んだ者が’悪い’という「自己責任」の構図を変に強化しているようにさえ思う。

自分が痛んでいることが知られたらどうなるか、その冷たい「空気」を感じながら「助けて」が言えるだろうか。手を伸ばしたら、その手を払いのけられてしまうかもしれない又は気づいてさえもらえないかもしれない不安に襲われて孤立を余儀なくされてはいないだろうか。「助けて」が受け入れられないまま、自殺者の増加というかたちで今の社会に数字としてあらわれているとしたら由々しき事態だと思う。SNS上にある無数の「死にたい」は行き場を失った「助けて」だと自分の経験から、そう思っている。

いつ終わるともしれないコロナ禍にあって、「絆」を引き受けようと名乗りをあげるのが一部の支援団体だけではいずれ限界をきたしてしまう。コロナ禍は容赦なく全世界、全国民を当事者にした。「自助・共助」が破たんしてから「公助」が印籠のようにうやうやしく御上からくだし与えられるようなことでは、持続可能な社会など到底望めない。社会を変えるのは私たち1人1人の意識。個々人は皆「1人では生きていけない人間」。人に優しい生き方が政治や制度を変え、自分も生きやすくなる。そんな好循環に転じることを切に願います。


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