見出し画像

[未亡人の十年]_005 「で、即死だったの?」友人たちの反応に驚いた話。

ごきげんよう、ある未亡人です。

シリーズ[未亡人の十年]を投稿します。

あいだにspecial編が入りましたので、
今回が第5話になります。

すこし話をすすめます。

それでは、はじめさせていただきます。


ここまでのあらすじ

<<ここまでのあらすじ>>
ある日、突然、
夫が逝去したというメールがホームページ宛てに届いた。

亡くなったのは昨日だという。

仕事場で徹夜の原稿書きをつづけていたわたしは、
驚きすぎてアタマがフリーズ。

事情がまったくわからない。

どうやら愛人が最初に夫の死に気づいたようである。

妻であるわたしに死の連絡が来なかった理由はこのせいなのだろうか。

戸惑ううちに、義妹と連絡がつき、夫の遺体が行政解剖されることを知る。

報せが来なかったことで、わたしは皆から一日遅れをとっている。
さらに、訃報のショックで、気持ちが麻痺し、まるで追いつかない。

義妹から「来なくていい」と拒絶されるも、
必死に頼み込んで、遺体に会えることになった。

約束の場所は葬儀場だった。


「愛が完結した」


義妹との電話を終えた時点で、約束まで2時間ほどの時間が生まれた。

夫は自宅で突然死し、これから行政解剖される。
とりあえず、そこまで、わかった。
愛人問題はいま、考えないことにしよう。

必死に整理しながらも、ふたたびアタマがぼんやりしてきた。

義妹との電話から数分経っただけのような気もするが、いまどこに自分がいるのかさえわからなくなる。

身体はいつもの仕事場にいて、机に向かっているのに、
気の置きどころがうしなわれ、意識がふわふわしはじめる。

不思議な時間だった。
現実感のない、永遠のなかに放り込まれたようだった。

「添い遂げた」

唐突に、そんな言葉が浮かんできた。

ひとりの夫に添い遂げた。
愛が完結した。
円環が閉じた。


勝手に言葉が浮かび、その言葉のせいで涙が出てくる。

わたしたちは結婚指輪を持っていない。
持っていないが、円環というイメージがアタマに浮かんだのだった。

「円は精神化するとらせんになる」
夫はボルヘスのこの言葉が好きだった。

わたしたちの閉じた円環は、これかららせんになるのだろうか。

動揺のせいか、ふだんの自分が使わないフレーズが次々にアタマに浮かんでくる。

亡くなったことを告げられてから、まだ30分も経っていない。

「とりあえず、葬儀所の場所を調べなくては」
そうおもった。

義家族との待ち合わせ場所は、隣県の葬儀所だった。
隣県ではあるのだが、ホームページを検索すると、自宅からは電車で30分ほどの近さだった。

自分の夫の葬儀場をPCで検索している状況がなんともシュールで、なさけなくて、またぶわぶわっと涙が出てくる。

もう一度書く。

このとき、
夫が亡くなったことを告げられてから、まだ30分も経っていないのである。

しばらく嗚咽にまかせて泣きに泣いた。

葬儀所は義両親の家の近くである。
自分たちが歩いて行けるから選んだのだそうだ。

それはともかく。
夫から生前、葬儀を行わないように頼まれていたことを思い出した。
それは、ご両親も知っていたはずだ。

なぜ葬儀をおこなうことになったのか。
おそるべきその理由はこのあと明らかになる。


彼女はきいた。
「で、即死だったの?」


気持ちをととのえなおし、
まずは抱えている仕事の関係者に電話を入れ、夫の死を告げた。
長くは話さず、とりいそぎ要件のみで電話を切った。

そのうちのひとりは家まで来てくれることになった。

その頃のわたしは顔出しの仕事を受けていた。
すでに取材済みの媒体もあった。
私物紹介の美容インタビューは精神的にきつかったので、掲載も含めて調整してもらうことにした。

刊行を控えている書籍にかんしては、すでに何日かにわたって書店さんでポップとサイン本の作成をおこなう日程が組まれていた。

葬儀から一週間後だった。
これははずせないし、はずしたくなかった。
予定をいただけるだけでも、ありがたかった。

一週間後の自分がいったいどんな状態になっているのか、まったく予想ができなかったが、そのまま日程通りにしていただくことでお願いした。

わたしはそれから、親しい友人たちに電話を入れた。

まず、A子が電話に出てくれた。
彼女は大学時代からの友人である。
膠原病という難病を抱えており、たいてい在宅していた。

わたしは彼女がもっている常識的なバランスを得難いものだと信頼していた。
さらに、テレビ制作会社社長を務める旦那様の関係で、葬儀経験も豊富である。

電話を入れると、すぐに彼女は出た。
夫が亡くなったことを告げると、それほど驚かれなかった。

彼女自身が死を覚悟している日々を送っているからだろうか。
そのときは、うすい反応であることが有り難かった。

「で、即死だったの?」
彼女はズバリたずねてきた。

驚いて、こたえられなかった。

「苦しんで亡くなったのかな」
さらに彼女はたずねてきた。

「・・・まだわからない。これから解剖するみたいだし。でも、なんでそんなこときくの?」
わたしは言った。軽く傷ついてもいた。

「うん。たぶんね、これからたくさん聞かれるだろうなとおもって」
彼女の声は落ち着いていた。
「だってね、亡くなったときにあなたがその場に居なかったことで、おそらくご両親や関係者は、この先あなたのことを一生責めつづけるだろうとおもう。その根拠になることが、即死か、そうでないかだと思うから」

一生責めつづける。
その言葉が胸にこたえた。

夫の生涯がきのう閉じたばかりなのに、
わたしは一生責めつづけられるのだと、たったいま宣告を受けた。
親友から。

A子はそれから次々と実務的なことを申し出てくれた。

まず、喪服を手配してくれた。
旦那さんの会社で撮影しているサスペンスドラマがあり、葬式のシーンがあるので、たくさん喪服を集めたところだという。

そこから選んでうちまで持ってきてくれることになった。ありがたい。

さらに、遺族にとって葬儀は長丁場だから脱ぎ履きがしやすい平たい靴を履くといいとか、髪はまとめたほうがいいんじゃないかとか、ジェルネイルは不謹慎だとおもわれやすいから取っておいたほうがいいだろうとか、ストッキングのデニール数にいたるまでじつにテキパキと指示してくれた。

さらに、すぐ近くにあるカフェには、友人たちが駆けつけてくれていた。

そして、驚いたことに、死因にこだわったのはA子だけではなかった。

皆が心配してくれたのは、
わたしたち夫婦が別居婚スタイルをとっていたことだった。

わたしは、夫が亡くなったことに衝撃を受けており、自分が周りからどう思われるかなんて、そこまで考えがいたっていなかった。

編集者のひとりは、このあと葬儀場まで付き添うと言ってくれた。
そのために、子どもをシッターさんに預けてきたという。

「だって、ご両親があなたを責めるかも知れないでしょ。
夫婦の間のことなんて誰にもわからないのに。
ちゃんと言い返してやるから大丈夫だよ。
私が見てきたふたりの絆のことを説明する。

そのために付き添うんだからね!」

ありがたかった。
でも、お礼の気持ちが言葉に出てこなかった。
いまおもえば、そのカフェに居るとき、ずっと泣いていた。

わたしは、ひとに「助けて」と言うのが苦手だ。
それでも、助けてくれる友がいたのだ。

この記事が参加している募集

#スキしてみて

523,364件

いただきましたサポートはグリーフケアの学びと研究に充当したく存じます。