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突然あらわれた弟と姉の物語。映画『シスター 夏のわかれ道』


中国の一人っ子政策。やるべきときにやらなくて、やらなくてもいい時期になかなか止めることができなかった制度。先見の明があった馬寅初の進言を否定した毛沢東の負の遺産の一つは言い過ぎかもしれませんが、中国という男系の血を重視しすぎる社会の負の伝統の一つであることは確実です。

この一人っ子政策と、中国に根強い子供の売買や誘拐を素材に、誰も悪くないのに世の中の不合理に苦しめられる夫婦や母親の物語を描いた名作がピーター・チャンの『最愛の子』だったとしたら、今日見た『シスター』は中国の女性監督イン・ルオシン(殷若昕)が描いた、不合理な社会の中で強く生きる女性たちの物語。

一人っ子政策の時代に産まれた主人公アンラン。両親は彼女を障がい者に偽装してまで男の子を欲しがり、二人目の子供を生む役所の許可を得ようとします。アンランは小さい頃から自立心が強い子で両親に反抗しますが、それに対して父親は体罰を加えます。決して虐待されて育ったというわけではないけれど、アンランを「女の子」の型に収めようする両親は、大学の医学部を目指せるほど賢い娘の進学先を勝手に看護学部に代え、「地元に就職して親の老後の面倒を見ろ」といいます。

アンランは一度は現状を受け入れて、看護学部で学び、病院に就職しますが、医者の雑用係のような日々に不満を持ち、改めて北京の大学院に進学する目標を持ちます。両親と縁を切ってお金をため、同じ病院に務めるボーイフレンドと一緒に北京に進学する夢もあります。ただ、ボーイフレンドは両親のいる四川を離れる決心がつけられず、両親にアンランとの結婚を急かされています。

この映画は、突然、アンランの両親が交通事故で亡くなったシーンから始まります。そして、アンランの知らない6才の弟があらわれるのです。一人っ子政策が緩和されてから産まれた弟は、両親と疎遠になっていたアンランが知らない存在でした。葬式に集まった親戚は、アンランが育てるべきだといいますが、彼女は当然拒絶します。唯一の味方の伯母(父の姉)も、夫が寝たきりの介護状態で助けられません。結局、アンランが両親の家と一緒に弟を押し付けられた格好になります。

両親が亡くなったことを受け入れられず、恋しがる弟。でも、アンランにとって、弟は自分が得られなかった両親からの愛を得ている存在。病院で看護婦をしながら北京への大学院進学を目指すアンランにとって、弟は生活面でも心情的にも受け入れられません。そんなアンランを「お姉ちゃん」と言って頼るときの弟がすごい。なんと、中国の三国志で有名な故事を暗唱するんです。

煮豆燃豆萁 豆在釜中泣 本是同根生 相煎何太急

(七歩詩)

乱世の英雄曹操が亡くなり、跡を継いだ長男の曹丕が弟の曹植を殺そうとしたときに読んだ詩。「自分たちは姉弟なのになぜ仲良くできないのか」という意味です。中国の大人にとって、子供からの強烈な急襲手段。頭と身体もつかって自己主張し、まとわりつく弟とケンカしつつ、弟の養子先を探すアンラン。ですが、弟の世話をするうち、自分と両親の間には、悪いことばかりではなく、いい思い出もあったことを思い出し、弟との心の距離はだんだん近くなって行きます。

この映画のすばらしさは、第一にアンランと弟の関係改善に「母性」をつかわないことです。自分が弟を拒絶しつつ、アンランが思い出すのは両親のアンランに対する拒絶。つまり、自分が弟にしていることが、実は自分が両親からされたひどい対応とオーバーラップする演出なことで、アンランと弟の心の距離を近づけるシナリオがすばらしいんです。

それでも、両親への反抗と自立はアンランの長年の心の支えでした。両親にも苦悩があったと多少理解できるようになったからといって、自分の一番大事な部分を突然変更できるわけがありません。恋人と別れ、病院をやめて、アンランは進学する勉強に邁進することで、弟に対して芽生えた親近感を振り切ろうとします。

弟と一緒に暮らせないことについて、アンランは正直な気持ちを弟に吐露します。「私は自分の人生を捨てられない。あなたの世話をして、たとえ数年でも進学を待つこともできない。なぜなら両親のように自分もいつ「灰」になるかわからないから」と。姉の率直な言葉を理解した弟は、嫌がっていた養子の話を受け入れ、経済的にも裕福な家に貰われることが決まります。もう二度と弟に会わないという書類にサインを求められたアンラン。そのときの彼女の涙と弟の横顔がなんともいえません。

この映画の第二のすばらしさは、アンランの親戚や事故の関係者など、いろんな登場人物が、みんな善と悪、明暗の部分を持ち合わせていて、リアルなことです。かつて、アンランと同じように「お姉ちゃんだから」と自分の夢や人生を諦めさせられた伯母。彼女もまた犠牲者で、アンランに「伝統的な女性」の行動を求めますが、同時にアンランの理解者で支援者でもあります。

それから、麻雀がやめられずに妻から離婚され、無職で、実の娘からも縁を切られた叔父。彼は、弟を世話するといってはアンランに金銭をたかったり、事故の相手を脅して見舞金をせびったりします。でも、毎月アンランの両親の墓参りを欠かさない、唯一の義理堅い人物でもあるのです。

どこまでもアンランにやさしいけれど、決断力に欠けるボーイフレンド。わがままで意地悪いけれど、患者の治療には誠実なアンランの上司の女医。飲酒をやめられなくて事故を起こした運転手は、責任逃れをしようとする一方で、弟の養子先を探すのに協力してくれます。

中国の伝統的な男性中心の社会の中で、女性が虐げられている物語は、かつての中国の名作映画のよくあるテーマでした。でも、この映画は女性だけでなく、どの人たちも何らかの形で、「伝統的な型」にはまることを強いられ、「模範的な生活」ができずに苦しんでいます。でも、それをストーリーの前面に出すのではなくて、さりげないエピソードの積み重ねで描いているところがうまいし、だからこそ見ている側の心に響きます。

この映画で、結局アンランは弟とどうなるのか、結論はわかりません。映画の演出で「雨」というのは、状況が厳しいことの暗喩ですから、いくら主人公や弟が笑顔でも、彼女たちに幸せな未来が待っているというエンディングはありませんでした。でも、だからこそいろんなことを考えさせられ、余韻が残るすばらしい作品になっているんだと思います。

朝8時という無茶苦茶な上映会誌時間にがんばって出かけてでも、娘と一緒に見れてよかったです。「女に学問はいらない」という親戚を無視し、大学卒業後も地元へ帰れと言わなかった両親への感謝を思い出しました。可能であれば、夫とももう一度見に行きたいです。

邦題:シスター 夏のわかれ道(原題:我的姐姐)
監督:殷若昕
出演:張子楓、金遥源、肖央、朱媛媛、段博文、梁靖康ほか
制作:中国(2021年)127分


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