自分の経験は役立つか④

前回

https://note.com/y620517/n/nda591747fe17

今日は、中学生時代について、振り返ってみます。

1〜2年生の時

中学は普通に県立の中学へ入学。サッカーに入部するが、バレー部からもお誘いがあり(それなりに身長があったため)、2ヶ月間悩んだ結果、サッカー部に所属し続けることに。
クラスでは、周囲から話しかけられることも多く、積極的に話しかけること少なかったが、友人は出来ていた。また、1年生のクラスでは、問題児クラスとして、認知されており、ほぼ担当の教科の先生が授業放棄をすることがあった。(クラスの中心的な人物が先生の怒りを買ってしまう言葉を使う)担任は常に大声を出していた記憶。勉強は平均的であったが、英語、古典が苦手。(長文を日本語訳にするのがダメでした。)

・今振り返ると多分、文脈によって、言い回しが変わることの意味がよく理解できなかったのではと思う。

2年生の時は、特に問題なく楽しんでいた。部活でも、レギュラーになったりと割と充実。(そういえば、大会で優勝とかをしていたなと)




受験

3年生では、受験の準備を行なっていた。クラス内では、若干、浮いた存在(絡める人が少なかった)だったので、他のクラスに遊びにいくことが多かった。担任の先生は体調をよく崩しており、自分の好きなようにしていた。
元々、小学校時代から親に「手に職をつけてもらいたい」と言われており、志望は工業高校にしていたが、急に先を決められていることが不服に感じ、夏の三者面談の時に「志望校は決まってません。」と言い出す。(担任と親がすごく慌てていた事を思い出す)帰ってからは、家族会議となり、どちらも譲らずに半分ケンカ状態。その後、友人から誘われて、名ばかりではあったが、とある進学校へ志望校を決める。両親とも話し合いを行い、何とか同意をもらう。

受験勉強はそこそこしながら、近くの塾(部活の仲間や友人が行っていた)に通う。塾では、あまり勉強せずに遊んでいたことが多かった。

高校の合格発表の時を友人と見に行く。最初、自分の番号が見つからず、友人から「俺、落ちたわ」と言われ、自分も「俺も落ちたみたい。滑り止めのところで一緒に頑張ろうな(滑り止めの私立も同じところを受けていた)」と言いながら、握手を求めた瞬間友人から、







「番号あるよ。」






と言われる。合格発表のボードが縦読みではなく、横読みだったことに気づき、差し出した手をゆっくり引いた事を覚えています。




小学校時代からあった、遅刻、早退癖は治らずにいた。全体的に楽しかった思い出は多いのですが、何となく、集団での活動は得意でないことは継続して感じていた。




次回は高校時代を振り返ってみます。


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