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留学+休学後に卒論執筆の時期を迎えたメンタル崩壊大学生。〈続編〉

2023/06/17(4:30〜6:30)

嗚呼朝日が登ってきて、鳥の鳴き声が聞こえる。今日も世界は変わらず回ってるなぁと最近はよく思う。

※今回はこれの続編です👆

留学前の自分からすると考えられないけれど、自分は今、うつの症状(燃え尽き症候群)と共存中。

症状一覧
・人と全く話したくない、会いたくない。(話したいことがゼロ)
・趣味への興味関心が消えた
・集中できない(頭にモヤがかかっている+こめかみに圧迫感)
・倦怠感(ほぼ筋肉痛に近い感覚のときも、いつも外にしかいないし朝型な俺が布団から出るのに苦戦)
・過眠(1日に16時間×3日とか)

2022夏の留学直後の燃え尽き症候群は完治したと思っていたものが、我流で無理矢理乗り切ったから、根本的には治っていなかった模様。

留学中は、我ながら頑張った話

留学中は、常に120%じゃないと追いつけないくらいの課題と試験で必死だった。言い訳をすると、自分の専門でもなんでもない文化人類学、言語学、哲学などを勉強していて、4教科合わせると1週間に100pを超える文献は鬼の難しさだった。日本語で読んでも完全にはわからない内容を、ディスカッション前提で読んでから授業に望まないと話にならないような状況だった。

元々は、英語で文献を読むだけでも負担はかなりのものだから、2年生レベルの授業を取るはずだった。だが、担当のアドバイザーの独断と偏見で行けそうな気がするということで3・4年生中心の授業を取ることに決まってしまったのも相まって、非常にハードモードな留学だった。

その上、せっかく留学に来たのだから友達との遊ぶ時間も確保したいと思って

「どうやったら睡眠時間を最小に抑えて日中集中できるか?」

→血糖値が上がる食べ物を昼に食べると午後の授業後の眠気に負けるから昼は野菜を中心に量は少なめで、めちゃめちゃよく噛んで食べた。

→質の良い睡眠は大事だと思って、毎日歩く+走るで万歩計は10キロ平均になるようにしていた。歩きながらなら夕食の後でも寝ないで済むから、携帯の画面上で授業のディスカッションへのコメント記入をしたりもしていた。

割と自分に厳しく、工夫を凝らして努力していた。コロナで交換留学の機会は2年以上待った末に流れてしまって、学校とは関係なしで外国人編入生として留学していたので成績に反映されるわけでもなんでもないのに、どうせやるなら本気でと思って1年頑張った。その結果綺麗に燃え尽きた

それが、就活を終えた3月に再発した。原因は、恐らく留学中と同じテンションで予定を詰め込んでペースを上げすぎたこと。

◇実家でのちょっとやりすぎだった1日の例
6:00〜9:00:洗顔、運動、コーヒー、前日のメモの復習、日記とやることリスト記入、zoomの準備(面談相手のリサーチ)
9:00〜12:00:zoom(面談、説明会等)×2〜3
12:00〜13:00:昼食(家族が居ない時はガンダム・スラムダンクを観る)
13:00〜18:00:zoom×3〜4(合間で家の周りを散歩したり)
18:00〜19:00:夕食
20:00〜22:00:zoomのイベント参加(趣味っぽい交流会的なイベント)
22:00〜:風呂+リビングでのんびり

留学のときと比べると、ぶつんと糸が切れたような感覚は薄かった。だが、違和感は確実にあった。でも3月時点では、「まさかそんなわけ」と思って、そのまま京都での最後の1学期を全力で楽しむべく勢いでまた乗り切ろうとした。でも、「卒業論文×新しい環境(もういつもの仲間はいなくてどこか心細い京都)」のせいか上手く乗り切れず。最新情報としては、セラピストの助けを借りながら、「認知行動療法」に取り組み始めた!(グッドニュース)

メンタル崩壊の概要

今、簡単に言えば、「完璧主義×凝り性」で自分で自分の首を絞めて苦しんでいる。

※先行研究があまりにも国際法関係の知識を前提とした高度なものが多いという理由で5月の頭にテーマ変更をすることとなった。2ヶ月で仕上げなければ卒業できないというプレッシャーの中、自分の変などうせやるなら本気でやりてえわ、みたいな「完璧主義×凝り性」が邪魔でしょうがない。

歳を重ねるって辛い

歳を重ねながら、たくさんのジャンルを極めている人たちに出会えば出会うほどに、どれもすごく面白いしかっこいいなあと思って、その人たちに近づこうとして努力する。ありがたいことに、自分は「各分野のプロ」と出会い過ぎている。そうすると、どんどんと各分野の目標地点の水準(レベル感)が上がっていく

オールラウンダー

でも、自分は昔から一つのことだけをずっと突き詰めるタイプじゃない。マイブームがありながらも、趣味でも興味関心でも、どんどんと幅が広がっていくような人生を送ってきた。だから、一点集中で尖り切るのは多分自分の一番得意なことではない。自分は恐らく良くも悪くも欲張りなオールラウンダータイプ

でも当然「1日は24時間で、全ジャンルなんでも本気で出来る訳じゃないっていう現実」があって、それと「なんでも本気でやりたい自分の感情」とで上手く折り合いをつけようとすると、どうしてもストイックな毎日を送ることになってキャパオーバーしてしまう。結局どれも中途半端になって、「自分は何をしているんだろうみたいな感覚」に陥ってどんどん自信がなくなってしまう。社会人の方との面談、インターンなどの予定を詰め込みすぎた過去半年は、キャパオーバーがたたって無責任なこともしてしまって超反省している。それの反動と言ったら変だけども、「各方向色々欲張らないで絞って頑張らないと…」という焦りが脳裏には常に焦りとしてある気がする。

全分野に精通=非現実的

優先順位をつけて、一個ずつ丁寧に満足がいくように凝り性を発揮していけば良いんだろうけれど、それが難しい。人生の中で自分には常に劣等感(健全に働く時は大きなモチベーション)があるけれど、最近はそれが良くない方(自分を責める方向)にばかり作用してしまっている。

畑違いで、「自分が人よりできない(知らない)分野」を見つけるたびにしょんぼりしちゃってる感じが強い。

例えば、本を読むのが大好きな友達とか、大学の教授と飲みに行って話していると、自分にはそんなに語れる知識がないなあ…(歴史、政治、経済は特に)世の中のことをあまりにも知らないなあ…とか。

(※フワッとした抽象的なことをああでもないこうでもない言うのは好きだけど、芸能とかポップカルチャーの会話についていける知識は全くなかったりするのも割とコンプレックスの一つではあったりもする。興味がないのだからしょうがないとこれに関してはほぼ開き直っているが。)

理想と現実のギャップがしんどい

興味のある知識を入れるでも趣味を極めるでもなんでも、自分の「欲張り(なんでもやりたい)」を実現するための「自分を追い込むクセ」をやめたいんだけど、それが難しくて困ってる。

このクセをこれを機にしっかり治さないと調子良く走ってたつもりがまたパンクして燃え尽き症候群になっちゃう。その意味で、人生のこの段階で認知行動療法に出会えて良かった。もしこのまま留学のあと無理矢理自分でいつも通りのペースまで持って行って治した気になったまま社会人になって盛大に燃え尽きたら一大事。

自分が頑固で手強くて困ったお話

無い物ねだりの劣等感

ピンポイントで集中していない(好きで色々なことを経験したくてそうしている)から、腹括って部活とかで頑張っている人とかを見ると、自分にないものを持っている感じがしてしょうがない。国立とか医学部とかを受験した幼馴染とかに対しても、自分の中では同じような眼差しがある。ストイックに目標に向けて努力するという意味では彼らに及ばない、負けている、劣っている、感覚(現実問題としてもこれは事実だと思う)が我慢できない。

器用貧乏

1つとは言わずとも「選び抜いたこと」に振り切れていない自分の器用貧乏な感じから来る劣等感はすごい。ストレス耐性があんまり高くない自分なりにではあるけど、留学であんなに追い込んで頑張っても英語も帰国子女には勝てない。

頭が切れる友達は卒論の構成を3日で考え抜いて残りの4日間で書き上げたりしてたけど、自分にはそんな事はできない。学問に向いていなくてそれこそ畑違いなのか、努力が足りないのか。わからない。

自分の凝り性との戦い

「一点集中で深い」⇔「広く浅く」

これは誰がどう見ても相容れない。それなのにこの頑固な笠井康弘は、「広く浅く楽しむ!」とは割り切れない。結構厄介なレベルの凝り性で、ある一定極めないと満足できない性格。「その道一本」で頑張っている体育会部活生、起業家などをみて憧れて、真似しようとするけど、興味関心がすごく散るタイプの自分は一点集中が苦手(? / それともしたくなくてしていないだけ?)だから当然届かない。

高校に遡る。プライド。

自分は高校1年生の頃は東京外国語大学に入りたかった。英語に関心があったからだった。でも、「英語を習得することに4年を費やすのはどうなんだろう?」と思って、国際系の学部を見るようになって、今の国際関係学部に落ち着いた。

でも、傍から見れば「楽に入ってきた推薦入試勢」である。当時の自分としても、なんとなく得意ではないとわかっていた受験から「逃げた感覚」があった。その負い目を埋め合わせるべく、大学では「受験してきた勢・国公立を目指していたけど私立のこの学部に来ることになった勢」に負けたくないという謎のプライドをモチベーションにして勉強を楽しみながら割りと頑張った。GPAもトップクラスとは言わないが、良かった。

※受験を経験していない自分のフィールドではない大企業の足切り対策に時間を大量に使うのは避けるのが賢明だと思って就活でもある意味「逃げた」が、自分で納得のいく仕事を見つけられたと思っている。

中学時代

ちなみに、中学(札幌で一番デカいマンモス校)で仲良くしてたメンバーと一緒にいたことも、今考えてみると「モチベーション 兼 劣等感」の源泉だったのかも知れない。今はみんな働いていたり、医学部の6年目・大学院で勉強していたりする。みんなすごく賢い。その中で自分は「勉強できるキャラ」ではなかった。どれだけ本気でやっても負け試合ばかりの中学の定期試験だった。勉強が全てじゃないから別に気にしていなかったけれど、意外と心には刺さっていた模様笑

得意分野を伸ばせば良い

上にも書いたように、各分野全部は極められない。極めようと思えばいけるんだろうけど、相当タフな人でも数を絞らないと倒れてしまう。

人には、それぞれの強みがある。似たもの同士集まってもしょうがない。「負けていたくない」みたいな感情は自然だと思うけど、「得意分野が人によって違う」という揺るがない事実をもっと素直に受け入れたい。折衝が得意な人も必要だし、経理の人も必要。「畑違い」で頑張りまくってあんまり結果が出なくて落ち込むのって、よく考えると惨めだと思う。まあ、頭で理解するのは簡単だよね。

★自戒:鵜呑みにして苦しむな!

「自分の得意分野」をしっかり把握して、自信を持っていればそれでいい。でも、頑固な笠井康弘は一旦信頼できると思った人や書籍の言葉は間に受け過ぎて、雁字搦めになる傾向が強い。素直すぎて批判的思考力が低い(笑)
「合ってるに違いない!と納得し切ってしまっている自分をいかに納得させて考え方を柔軟に変化させるか?」が鍵。

頭ではわかっていても感情が違う方向に突っ走ってしまう瞬間を自分でコントロール出来るようになりたい。そのための手段として、「認知行動療法」はやっぱり大事そう。しっかり取り組んで柔軟な考え方をモノにしてやる。

この中に含まれるのかはわからないけれど、論理的思考も大事な気がする。なぜなら、「自分で自分を苦しめてしまうような非合理的な判断」をセラピーなしでも全部自分で指摘・論破出来れば、この先自爆する確率はほぼゼロだから。

社会人の壁

久しぶりに学校に戻ってきたら、たくさんの社会人の方々と関わることが出来た貴重な経験が裏目に出た気がしている。「気遣い」が出来るようになった分「気苦労」が増えた。「人様の貴重な時間」の発想が行き過ぎた。こっちばかりが時間を頂いている訳じゃないのに、やっぱり多忙な役職者なんかが時間をくれるとなれば、当然しっかり下調べをして30分なり1時間に望む。それが礼儀であり、リスペクトを示す手段だと思う。自分が逆の立場なら「ネットで見たらわかることは直接話す価値がない」と思うだろうし。

(※この考え方は多分、「べき」がすごく強いからメンタルの意味では毒なのはわかるけど、自分の価値観・大切にしたい部分でもあるから難しい)

教授も学会とかで忙しいけど、自分は「親のお金で高等教育機関にいるお客さん」だからそんなに下からに出なくても良い。(言い方が酷いけど、実際留学前なんかは特にそうだと強く思っていた)でも、最近は国際的に引っ張りだこになっている教授にしょーもない質問は出来ない…とか色々と自分で自分に高いハードルを課して自滅してしまっている。

最近の気づきなど

★自戒:1人で抱え込まず助けを求める

当然人は選ばないといけないけれど。22歳まではうつとは無縁な人間だったからこそ、仲がとても良い友達にでも「こんな状態の自分から電話が来たら困るよな」とか色々考えてしまって助けを求めるまでには時間がかかってしまった。

今回のこの経験は、「人の痛みがわかる人」になるためのステップだと思っている。というか、そう解釈しないとやっていられない。卒論も、もっと早くから人に頼るスタイルで調べたらよかった。教授の時間をしょーもない質問で奪わないように+教授が言う通り「自分で考えるトレーニングだと思って頑張って」という言葉に囚われ過ぎた

明らかに「1人で考えて答えを出していくこと」は自分の得意なことじゃない。今までも試験前は友達に電話で「これ俺こう思ったんだけどどう思う?」みたいなテンションで電話をかけまくっていた自分をようやく思い出した。

愚痴「アカデミックはクソ」

とにかく、権威性が大事。有名な人ならインタビューしただけで論拠になるけど、一般の人の見解なら質より量が大事。これはわかるけれど、権威ある立場からみてあまりにも「際どいところ」を指摘するのは、アカデミックの引用方法などの掟を前提にすると至難の業に思える。「際どいところ」を指摘できるような論拠が、大学の学部生レベルのリサーチで見つかったら苦労しない笑

周りのメンツとメンタル

メンバーが変わると、自分が真面目キャラじゃなくなるという事態が起こった。(笠井康弘は楽しいことが大好きだけど、基本的には生真面目なタイプ。でも、最近ここも生真面目サイドに行き過ぎている。)

程よく周りに「ゆるキャラ」を置いておくのが大事だと気づいた。意図的に怠惰にゆるーく過ごすのが上手なキャラが周りにいるといいバランスで生活できる。「またお前試験前なのに飲みまくってんのかよ!またゲームかよ!」とか言って笑いながら、ちょっと一緒に息抜きするのが最高にいいバランス。

★自戒:新環境は高解像度で想像する

最近ふと気づいた。メンタルが不調だとしても、そもそも寮で暮らすのが向いているタイプじゃないから、それすらもストレスになってしまっているのかも知れない。大勢の人といるのもたまには悪くないけど、基本的には4人くらいの少人数で食事・飲み・遊びに行きたいタイプの自分的に、不特定多数の人がリビングにいる環境は、ちょっと行き過ぎなのかも知れない。

そして、キッチン、洗濯機、バルコニー、シャワー、トイレが部屋にあってそこで完結できることのありがたみにも気づいた。そして、何よりも部屋は南向きが至高。留学前も、留学中も南向きの部屋で暮らしていたし、実家のリビングも南向きなのだ。次に東京で暮らす時は絶対に南向きを…!

さいごに

5500文字、2時間。(ちょっと後から編集して増えたけど笑)構成とか参考文献とか言われなければこんなに文章を書くのってすぐ出来て気づきが多くて楽しいことなのか!と。うつの典型的な症状である、「趣味への関心が薄れる」ってやつで非常に困っていたから少しはいい感触。今日はせっかく早くから起きているから自転車で嵐山にでも行ってこようかな。(メンタルが不調だとこの動きを実行するのは相当ハードルが高いのであえて宣言)

最後まで読んでくださってありがとうございます!また次回のnoteでお会いできるのを楽しみにしています👋


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