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二木先生(夏木志朋さん)~負けない心~

https://youtu.be/ocE-z-mK4so?si=SHUnE1uRWxVQKGJH


今日は、久しぶりに読書感想文にしようかなと。感想文とかそんなだいそれたもんではないけど。読書したよって感じのノリでいこうかなって思っている所存であります。では、よろしくお願いしますね。


~あらすじ~
夏木志朋さんの2019年ポプラ社小説新人賞受賞作である。
誰からも馬鹿にされてしまう高校生の田井中は、自分を地球にひとり投げ出された異星人のように感じていた。だが、ある日、担任の美術教師二木が自分以上に「普通の人たち」から白眼視される秘密を抱えていることに気づき、崖っぷちの取引を持ち掛ける。生徒と教師のスリリングなやり取りを通じ、社会からはじき出されてしまう個性を持つ人間がいかに生きうるかを描いた驚愕のデビュー作。

子どもの頃から「普通」って難しいなと感じる。ここでいう「普通」って、常識とかではなくて。ん?そうでもないか。関係ないわけではないか。常識という意味では、「普通」という言葉は必然的にくっついてくるよね。うん。もうこれだけで難しいわぁ~。人によって「普通」の基準も少しばかり変わってきますし。家庭環境とか関わってきた環境とか?後は、各個人の好きなものとか性癖の中で見てきたもので価値観とかが変わってくるし。ま、あれです。人が傷つけたり、犯罪を犯すことはいけませんよというのは大前提としての「普通」であります。今回はそういう話ではないよってことです。

「少数派」「オタク」「同性愛者」「バイセクシャル」「恋愛感情・性欲を持てない人」「小児愛者」とか色々ありますが。言葉は悪いかもしれませんが、これに属してる人達は、多数派の人達にくらべてしまうと理解して貰いずらいですよね。いや、正直な話。どう捉えられるかは分からないけど。理解できなくても良いのでは?と思うのよね私。多分理解は全て出来ないんじゃないですかね。ここでいう世間で括られてる「普通」の人達には全ては無理だと思うんです。だって、普通に生活していたって、職場なり友達とかに対して分からない感覚ってあるじゃないですか。だから、道の世界の人を理解するのは難しいと思うし、無理しなくて良いと思っている(思う使いすぎ)。なんか、誤解を招くような話し方なような気もしないけど。なんせ語彙力がないもんでね。これが私の限界よ。悲しいことに。

出典元 夏木志朋公式X

だがしかし、人間というものは自分には理解し難いものや、変わったと思うものに気を捉えてしまうものなんだよね。それは、奇妙なほどに。まぁ分からなくもないんだけど。その興味を示された対象は堪ったもんじゃないよな。そっとしてほしいのに。人には誰にも触れられたくない部分があるわけだし、まだ、それを自分自身が理解していないかもしれないのに、「変わってる」とか「おかしい」と言われるのは困ったものだ。まぁ完全に理解してますって言われても胡散臭い気もするけど(言い過ぎ)。
何が言いたいかってその「変わっている」とかそういうものを持っている人達は、自分達が社会で生きやすくなるために、「普通」の人のフリをしながら生活しているのに。フリをしていながらも、ふとした瞬間に「変わっている」「おかしい」ものが出てしまって、周囲から冷たい目をされてしまう。でも、自分としてはそれが自分にとっての「普通」なんですよ。「普通」ではないことは分かっていて、周りにバレない方が良いことは自覚している上で。うん。でも、その軸の部分の自分はやっぱりあるから。どこかで出したいと思うわけ。犯罪以外の手段で。「小児愛者」とかだと、本当にそれをしてしまったらトラウマですから子どもが。まぁ、それだけに限らないんだけどね。トラウマというのは。複雑なものですよね。色々な図式って。私なんて、自分のことでさえあんまり分かってないし、分かろうともしていないかもしれないし自覚してないだけで。感情というのを持っているだけで、難しいんですよね。本当とか嘘とか。嘘のすべてが良くないとは思わないけど。自分の為とか相手の為とか事柄の為とか。本当が正解ってわけでもないし。うん。あぁ、良く分からなくなってきたわ。頭がグルグルしてきた。実に人間は難しい。

出典元 夏木志朋公式X

例えば、私の周りにそんな人達が居ても『そうなんだ』という感情にしかならないし。実際に『そうなんだ』と返したら拍子抜けされたことがある。いや、でもその人私に言っている時、声が震えていたし、目が真っ赤になっていたんだよね。それを見ていたら言うだけ体力を使うだろうし緊張しているだろうし、そんな人に無駄な言葉をかける必要はないんじゃないかなって思ったんだよね。言葉って発したり、文字に起こすと安っぽいから。『そうなんだ』という言葉で充分な気がしている。それが正解なのかは知らないけど。その人は、そのあっさりさが良かったと言っていたの良しとしよう。私たちの間は。他の人は知らんです。はい。

でも、この物語の主人公二人の様に、何かの才能を自覚している人なら自分を好きになれるかもしれないけどさ。ほとんどの人が、私の様に才能がなかったり、何かしたいこともたいしてなかったりさするわけなのよね。そんな人達が、自分の変わった部分を認めて、それを含めて好きになれるのかな?と思うよね。まぁ、私は変わった人ではないけど、それでも自分を好きかと言われたら私は首を縦に振らない。それを自己肯定感が低いとか言われると腹が立つんだけど。その言葉嫌いすぎちゃう。面倒くさい。なんでもそういう括りに入れたがるんだから人間は。それにはみ出したり、何かに当てはまらないものに変わった人と言うんでしょ?面倒くさいわぁ。才能ない上に、特にやりたいこともない自覚があるのに、端からは白い目で見られていたらさ。自分を好きになるなんて酷じゃないですかね?まぁこれは小説なんで上手くきれいに進めるならこれが一番流れが良いと思いますが。あ、小説は面白いんですよ。だからnote書いてるんでね。はい。ただ、自分を重ねるとそう思っただけなんですわ。うん。

あぁまた長くなった。なんでいつも長々と中身のないことをずっと話してんだかって毎回思う(笑)そろそろ終わりにしますかね。はい。

本当に面白かったです。こちらの小説を読む前の本も凄く面白くて。それで、久しぶりに読書スイッチが入ったんですけど。二木先生も非常に面白くて嬉しかったです。なんか二人とも性格が良い感じに性格悪くてかわいかった。(笑)

出典元 夏木志朋公式X

ありがとうございました!!!

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